若くして髪が薄い。美容師はドライヤーの魔法使い
若くして髪が薄い。鏡を見る度に、未来を覗いているような気持ちになる。美容院に行く頃には、毎度髪はずいぶん伸びていて、自分の毛量を忘れられる。けれどシャンプー台で水分をたっぷり含んだ僕の頭からは、ほんのり地肌が顔をのぞかせている。「今日はどうされますか?」ひょっとするとどうもならないのではないか。「前のがとってもよかったので」と消え入るような声で言う。わかりましたよとにこやかに美容師さんは答えてくれる。そうだ、ここは表参道。魔法の場所。どんな頭も髪型も、オシャレに仕上がる不思議な土地。高い地価と美容院の競争率が人の髪の毛を彩ってくれる。
髪の毛にはこだわりたい。小学1年生の秋、美容師のカットに不満を覚えた私は自らの工作ばさみで髪の毛を切った。母曰く「落ち武者」になってしまったらしい。翌朝、応急処置として丸坊主になった。父が必死に「よかった!かっこいい、かっこいい」と言っていた。何もよくなかったしかわいげのあった小学一年生が突如丸刈りになることは一体どれほどのショックを伴うのだろう。髪を乾かすことが嫌いだったのもあり、そのあとも相当長い間丸坊主だった。というのも小学二年生から少年野球を始めたからだ。何も少年野球では丸刈りにする義務は発生しないが(元来、すべての野球で丸刈りの義務は発生すべきではない)、帽子がかぶりやすかったこともあって私は丸刈りだった。そのあと中学の野球部に入った。正式に丸刈りを求められた。そこから中学三年の部活引退まで丸刈りで過ごした。最長記録、7年。驚異的だ。7年もの間、頭部がずいぶん軽かった。人並みのオシャレのひとかけらを欠落させた。そのあと高校球児になって二年半、これまた丸坊主で過ごした。人生で初めてワックスをつけたのは高校3年の冬だった。そして大学1年の夏に初めてパーマを当てたりして、大学二年の終わりころには相当爆発的なパーマにしたりした。そして社会人になりおでこを出す機会が増え、それと同時に同世代の中で比較的髪の毛の数が少ないことに気が付いた。
髪の毛にはこだわりたくて、丸刈りだった分大事にしたくて、サロン専売トリートメントを使ったりしたが、そもそもの本数が少ないのでは。確かに私の髪の毛は枝毛もないし、ああ川の流れのようにとさらりと流れる。しかし、ああ、でもなあ。そんなことを思いながら髪を切られていく。ここは表参道だ。
さすがに完璧な仕上がりに感嘆した。そして再度シャンプー。目をつむる。マスクが微妙に耳にかかったまま行われるシャンプー、本当にいったいいつまでこんななのだろう。
席に戻った。さあ、ここだ。ここなのだ。ドライヤーを誰が扱うか。これはその時の美容院の混雑度による。わりと余裕のある時ならば、そのまま担当の美容師さんが乾かしてくれる。しかし、混雑している場合はアシスタントさんが髪を乾かすことになる。ここから先は偏見に満ちている。しかしながら確かに、自分の数少ないドライヤー@美容院の経験上言えることだ。アシスタントさんはあまりドライヤーがうまくない。いや正しくは、彼らのドライヤーは毛量が少ない人間に対応していない。「担当の美容師さん」は歴代どれもレジェンドで魔法使いなので、僕みたいな髪の毛にも空気を入れることができる。星野源みたいな毛量にしてくれる。あの技術は一体なんだ。いつも思う。空気を入れるとか言うけれど自力ではほぼ不可能。少なくとも彼らは毛量の少なさに対して配慮があるから、ドライする前に櫛を使って髪の毛を分けるときも、分けたあとの状況を考慮してくれる。具体的に言うならば、「将来ハゲるかも」という不安を抱かせない。美容師は常に未来を描いているということを確かにわかっているのだ。
この日はアシスタントさんだった。彼に掻き分けられた前髪は、「お前は将来的にハゲるぞ」と雄弁に語った。配慮がないわけではない。仕方ないのだ。けれども、わかってほしい。若くして髪が薄い人々は、わりかし不安とともに生きている。自分でドライヤーをやって、今日はうまくいった、分け目も隠れているなとか、そういうことを考えて生きている。ルッキズムが云々、知らない。私は毎朝未来を見ている。だからこそ、髪の毛のプロに軽んじられることにどこか失望をしてしまう。
けれどもそのあと、担当の美容師さんが魔法を使ってどうにか髪の毛に呼吸を注ぎこんでくれた。蘇る髪の毛。これで青山を歩くことができる。ただの髪の毛、されど髪の毛。そして整えるには美容室に行くしかない。日々の憂鬱を希望に変えたい。そんな思いで私は半蔵門線に乗る。かつて自分で刈り上げた髪の毛を誰かに委ねる。こんな悲しい人間たちを幾人も見た末に、トップスタイリストたちのドライヤーの技術があるのだろう。何より彼らの思いやりが髪の毛に注がれて、私は人知れず涙を流すのだ。
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