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映画とわたしたち

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映画及びドラマに関するエッセイ。(昔は批評めいてました)
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#映画レビュー

『窓辺にて』

 初めて持ったiPhoneはiPhone4Sだった。中学三年生の冬のことだ。その次に買ったのが6Sで、その次が8。そして2年前から使用している12へと至るわけだが、その間わたしは一度も旧Phoneを下取りに出していない。きょーび、TwitterやInstagramのアカウントどころかLINEのトーク履歴さえ引き継げるし、写真だってGoogleフォト上に保存されるのだから、手放してその分のリターンをもらうのが賢いのだろうが、どこか口惜しい。そのくせ、4Sや6Sが今もなおわたしの

『アイスクリームフィーバー』

 昨日も、アイスクリームをこぼした。アイスクリームは夏に食べたい。けれどアイスクリームはアイスクリームであるがゆえに溶ける。そこがたとえ室内で、冷房が効いていたとしてもそこにある冷房はけっしてアイスクリームを冷やすために息を吐いているわけではないから、室内でもアイスクリームはやっぱり溶ける。溶ける前は固形を保っているが、それを保っていられる時間には限りがあってそのあとは大変ベタつくから、コーンをぶん投げる佐保の気持ちもわからないでもない。アイスクリームがアイスクリームでいられ

『aftersun / アフターサン』

 暗室に入らない人生を過ごすわたしたちにとって、チェキを使ってみる行為は写真という事象に最も肉薄する瞬間だと思う。  ほんとうの「写真」は、スマホの「画像」のようにすぐに出来上がるわけではない。チェキ文化に触れてわかることだが、わたしたちの像は時間をかけて定着する。本作の中でも2人で写った写真が色を帯びていくさまにレンズが向けられていた。そうして色づく写真と同じように、私たちにとって親の実像もまた、年月が経てば経つほどその輪郭が明確になっていく。子にとっての親の認知が、偶像

『リバー、流れないでよ』

 大学生のころ、鞍馬山越えデートをしたことがあった。鞍馬山はあの牛若丸——源義経少年が天狗との交わりにより武道の腕を磨いたとされる山で、叡山電鉄の駅を降りるとどデカい天狗にお迎えされる。そこからものすごく長い階段があり、それを上りきると鞍馬寺に辿り着く。京都市内を一望し、満足した人々は再び階段を降り、叡山電鉄に乗ってカップルたちは出町柳でよろしくやるのであるが、どうも鞍馬山は超えることができるらしいということを知っていたわたしたちは、チョチョイと鞍馬寺を脇に逸れて、獣道よりは

『花束みたいな恋をした』

 いい映画というものは、鑑賞直後のテンションの高まりから「これは自分の人生史上最高の作品だ…!」という感覚に陥りやすい。地下に存在するテアトル新宿から、光溢れる昼間の新宿の街へ抜け出たりすると、どうしてもその映画のおかげで視界がひらけたという気になってしまうが、実際は光の加減に過ぎない。  『花束みたいな恋をした』については、敬愛する坂元裕二氏が脚本を書き下ろしており、それも菅田将暉と有村架純がいわば普通の大学生を演じるというのだから、これほど地に足ついたラブストーリーは未