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瀧澤克成の自己紹介その3(高校生)

なんとなくnoteで自己紹介を書いてみております。
全くもってこんな事をしている場合ではないんだけれども、
なんかほら、切羽詰まっている時って違う事したくなるじゃんね。

今日も朝からミックスとかレコーディングとかで頑張ったから
まぁ休憩がてらって事で、関係者の皆様、よろしくお願いいたします。

前回、前々回を読んでいない人はこちらからチェケラ!!



 | 高校生時代 |

偏差値的にはもう少し上の高校に行けたのですけれども
「友達がみんなそこに行くから俺も行く」という理由だけで
志望校を決めて普通に受験をして、晴れて高校入学となりました。

で、軽音楽部なる物があったのでそちらに入る事にしたのですが、
まぁギタリストの多い事、多い事。

図で表してみますとこんな感じ。

多分今でもどこでも大して変わらないんじゃないかしら。
とにかくギタリストが多かったのですよ。

なのでギター以外の事をしようと思いまして、
高校3年間は学校ではずっとドラムを叩いておりました。

「凄いギタリストが沢山いたの??」とか
「ギターでは適わないとか思ったの??」とか
そういう事では全くござらん。

普通に学年どころか学校中を含めても
「多分俺が一番ギターうまいな。」と思ってました。

だから学校ではあまりギターを弾かなかったんです。
なんかここでギター弾いちゃったら普通だなぁ、と。


 | ビックリする程のモテぶり |

振り返ると高校三年間、ライブやイベントを通して、
ドラムを叩いたりギターを弾いたりして凄いモテてました。

そりゃもう、ビックリするぐらいモテてました。

あの、本当に、なんでか知らないけれども、
昔も今も、本当にずーーっっとそうなんです。

なんか、凄いモテるんです。


男から。やったら男から。

高校の時、めっちゃ後輩の男の子からモテてました。

「先輩、ギターぱねぇっす!!」
「音楽理論教えてください!!」
「どうやったらそんなうまくなれんすか!!」

「なんでこんなに男からモテるんだろうか・・・。」と
当時からずっと心の中で思ってました・・・。

今でもなんかそのきらいが続いておりまして、
みそとかは「同性から好かれるってめっちゃいいですよ。」と
言ってくれたりするのですが、なんなんだろうかと。

当時の軽音楽部はそんなに部員数は多くなかったけれども、
僕がギターを弾くとやたらに目を輝かせる子が多かったです。

「ギターうまいと自負してたけれど瀧澤さんに会って挫折した。」とか
そんな事を言われる事もありつつ(実は今でもたまに言われる)。

まぁ軽音楽部時代は普通にバンドを組みつつ、
学校の中ではドラムを叩いて、外ではギターを弾いていました。


 | 音楽理論習得っぷり |

高校一年生の頃に「音楽理論を勉強しよう」と思って
楽典なる参考書を買いました。

音楽の友社の楽典。
音大や専門学校などで基礎教育として使われる参考書です。


もうね、ハッキリ言って。

超絶つまらない勉強でした。


とりあえず1941年に書かれた本なので
言葉の意思疎通が難しい場合が多いんですよ。

まぁ本なので一方的なキャッチボールですよね。
こっちが理解してなくても向こうは一切容赦無しなんで。

しかし現代ならオンラインで無料で砕いて教えてくれる
素敵な男性もいるものですから驚きですわよね。

この時の僕にこの人の動画を見せてあげたかったです。
みなさんもよければこの人の動画をチェキラしてみてください。


そんでワタクシの学校はとても緩い学校でございましたので、
学校にこの楽典を持っていって休憩中はもちろん、
授業中やあまつさえテスト中とかでも読んで勉強をしておりました。

演習問題が多いから、結構筆記をしなければいけないの。
しかも結構難しいから何回も同じ演習問題やったりするの。

なので先生方が席を回っている時にさ、見つかる訳じゃん。

普通に授業しているのに、全然関係ない事やってるからさ、
先生もビックリしちゃうじゃん、「えー!!」って。

「数学の授業なのにこの人数学のすの字もないぜ!!」って。
「何しにYouは学校に来ているんだい!?」って。
ビックリしちゃうじゃん。

でもそういう時にさ、やたら真面目な顔で。

「僕、音大に行きたいと思ってるんです。
でも音大目指す奴なんて英才教育とか家庭から大きな支援を受けて
行く奴ばっかりだから、少しでも頑張って差を埋めたいんです!!」

って言ったりすると先生方は納得しちゃったりしてさ。

結局音大は行かなかったけれども音楽を職業にする事になったわけで、
あの時に寛容に見て下さってた先生方にはある意味感謝ですわね。


 | 進路とわたし |

あんまりコレと言って大きなトピックもなく、そのまま高校三年生に。

ある日の母がわたしにこう言いました。

「悪いけど学費の面倒は見れないから大学行きたいなら
自分で稼ぐか奨学金でも借りて行ってくれ。」

「じゃぁ進学しなくていいや。」

就職するのも嫌だったので早い段階でフリーター確定。
大学受験とかで苦しむ皆様を横目にギターを練習してました。

周りの友達はバンドマンとか、軽音楽部員とか
そんな人ばっかりだったので専門学校に行く人が9割でした。

「俺もちょっとそういうのに興味あるんだけどなぁ。」と
それぞれ学校の学費を見てみてびっくり!!

「あらまぁ!!こんなに高いのね!!
こんなにお金を掛けてまで学ぶ価値はあるのかしら!!」


僕は自分で言うのもアレですけれども、
昔からそんなにケチじゃない方だと思うんですよ。

むしろ奢ったり物を買ってあげたりプレゼントしたり、
割と「与える側」だと思っているのですが。

「ここにこのお金を払う価値はない」と感じた物には
一切お金を払うつもりがなくなるのです。昔から。

だから高校3年生になった時には
「教科書なくても学校の勉強なんかいけんべ!?」と
教科書を買う予定だったお金は教科書買わずに
そのまま母に戻して焼肉食べに行きました。

高校3年生の生活はwithout教科書で過ごして卒業しました。


つまり、何百万も出す程の価値を得られるんだろうか、と
なんか凄く気持ちが引っかかってしまった訳ですよ。

でも正直な所、金銭的な意味合いで行けないのは確定でしたが
「自分でめっちゃ練習して学校行った奴よりうまくなったろ。」
そんな負けん気根性がとってもヒートアップしました。


そのまま学校を卒業して晴れてフリーターになったわたしは、
居酒屋でアルバイトを始めて料理人のスキルを身につけ始めます(本当)。


 | 余談と次回予告 |

どっかでもこんな話を書いたかも知れませんけれども、
僕は基本的には働くのが好きなんですよ。

高校を卒業して、コンビニと居酒屋のアルバイトをかけもちして、
自分のバンド活動とかもめっちゃやってました。

コンビニの夜勤が22時から朝9時に終わって、
そっからバンドのライブをやって22時から居酒屋アルバイトとか、
11時間とか普通にアルバイトで通しで働いてました。

なんか楽しかったんです、ゲームみたいで。

目の前にやる事があって、それをいかに素早く終わらすか、
同時に進行する事があったら段取りと順番を瞬時に考えたり。

ゲームっぽくて楽しかったんです。

しかし!!

そんなアルバイト三昧の生活をいつまでも続ける訳にはいきません。
実際は結構長い間ダラダラ続けちゃったんだけれども、
ギターの先生を始めながらもフリーターみたいな生活を続けて
25歳の時に色々と身の回りに変化が起き始めます。

というか!!

変化を起こさざるを得なかったのです。

目の前にあったけれども、見ない振りをしていた大きな岩を
どうにかこうにか動かして行動しなければいけない時が来たのです。

でもその岩の転がりっぷりや、転がしっぷりが尋常じゃなくて、
25歳のある節目をきっかけに僕は世の中を見る目線が180度変わりました。

ハンパ無い革命でございます。

そんな時期の話をしてみようかなと思います。
次回もお楽しみに!!

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