犬も歩けば棒に当たる

 意味が間違えたままで浸透しちゃう事って結構ありますよね。例えば「爆笑」。「こないだこの動画を深夜で一人で見て爆笑しちゃったよ」みたいによく使われたりしますけれども、実はめためたに細かい事を言うと爆笑という言葉は笑い声の音量とかを指しているわけではなくて、「大勢の人が一気に笑う事象」を指しているんですよね。「早急」とか「そうきゅう」って読んじゃったりね。まぁそんな細かい事を言っていると嫌われそうだから、意味が通じればいいんじゃね??って思うタイプの人間ではありますけれどね。ふふふ。

 「情けは人の為ならず」とかも結構勘違いされやすい諺の一つで、「他人を甘やかすとその人のためにならないからやらない」という意味で理解している人も多い気がするのですが、実際の意味としては「愛をバラ撒いていると回り回って自分に返ってくるから、どんどん施していこう」っていう意味なんですよね。死ぬ気で愛をバラ撒いているとその愛が育って自分にとんでもない量で返ってくるので、ホドコセ!!みたいな。

 そのホドコセ理論の延長線で「お金で幸せを買う方法」ってが実は一つだけあるんだけれども、その話って知ってます??まぁこのテーマを書くと今回のnoteが終わるのでまた別の機会にしましょう。「お金で幸せを買う方法」の話が知りたい方はコメントでもリプライでも「知りたい!!」とリアクションをよろしゃすです。

 前置きが長くなりましたが、「犬も歩けば棒に当たる」っていう諺、わたし結構好きなんですよね~。「行動していると悪いことが起こるので余計な事をするな」っていう意味もあるのですが、「なんかしていればなんか起きる」っていう意味もあるんですよ。わたしはこの後者の意味がとてつもなく大好きでございまして。そう、なんかすれば、なんか起きるんですよ。この世界はとてつもなくシンプルで、なんかすれば、なんか起きる。そして一通り終わって反省したりして次回にその経験を繋げたりしてさ。世間的にはPDCAサイクルとか言われたりしますが、まぁ基本的には「なんかすれば、なんか起きる」ってやつなのです。素晴らしい。

 わたしはこの人生をちょいと壮大なロールプレイングゲームだと思ってたりします。主人公はもちろん自分。環境や仲間を揃えて、自分が進みたい目標に向かって着実に歩いて行く。練習をし、勉強をし、色んな文化に触れて自分の知見を深め、よりよい毎日を過ごす努力をする。そしてより多くの経験値を毎日キッチリと積むためには、常に何かをし続けて、常に何かを起こし続ける。効率性とかもあるかもしれないけど、失敗したとしても「こうすると失敗すると理解できたので結果的に成功です」のマインドで過ごす。その方が面倒くさくないし一番手っ取り早い。当たって来た棒を己の体で粉砕してやるくらいの気合が必要な訳です。知らんけど。

 そうすると毎日って奴はとってもエキサイティングでして、「うほ!!今日は何をしちゃおうかな!!うほ!!」って未来の自分に超絶ワクワクしちゃうんですよね。今日はどんな棒に当たれるのかしら!?みたいな。なんかとんでもない事起きねーかな!!みたいな。瀧澤克成という主人公のステータスを今日もモチャモチャに上げていくぞ!!みたいな、みたいな。

 こんな話をすると多くの人が「ストイック過ぎません??」みたいな話の流れになるのですが、全然そんな事はないんですよね。むしろめちゃくちゃ楽しんでいるというか。瀧澤さんが強力であればあるほど、出来ることが増えて、結果的に多くの誰かを助けることができる。で、誰かを助けて「ありがとう」って言ってもらえると、瀧澤さんは凄く喜んで、「よーし、もっと頑張るぞ~!!」みたいになったりするんです。

 一つ、これは瀧澤さんの特徴なのかなとも思うのですが、瀧澤さんはいつも何かをしている時に、実在する人物を頭の中に思い浮かべていたりします。例えば。

外でご飯食べている時は
「これ美味しいな~。真似して今度お嫁ちゃんに作ってあげたいな」

ギターの練習をもりもりしてる時は
「この曲、こんな感じで弾いたらおみっちゃん歌いやすくて喜ぶかな」

お店で味付けの試作をしている時は
「これめっちゃ美味しく出来たわ。お客さん喜んでくれそうだな~」

ライブツアーの段取り組んでる時も
「こんな感じに段取りすれば瀧プロメンバーも道中楽しく過ごせるかな」

「こんな動画を作れば喜んでくれる人いるんじゃないかな」
「こんなイベントあれば喜んでくれる人いるんじゃないかな」
「こういう発信をすれば喜んでくれる人いるんじゃないかな」
「こんな事を企画すれば喜んでくれる人いるんじゃないかな」

 ちょっと話がずれてしまうかも知れませんが、「人を喜ばせる」とか「人を幸せにする」っていうのはどういう事なんだろうといつも考えたりします。今まで人に育てられてきたので、人に還元していきたい。しかしわたしは人に対して何が還元できるんだろう。ギターを弾いたりするけれど、わたしよりうまい人は星の数ほどいる。わたしは残念ながら凡人なので、何に対しても一流にはなれなかった。けれどもメジャーデビュー出来なかったら音楽活動をする意味はないのか??オリンピック選手になれなかったらスポーツをする意味はないのか??個展が開けないなら芸術家を名乗れないのか??決してそんな事はないと思う。実力は大した事ないんだけれども、なんか凄く響くっていう事も不思議とよくある。

 とどのつまりの所、一番の要所は「在り方」なんじゃないかと思うわけです。実力とか経歴とか名誉とか色々あったりはするけれども、つまりは「どう在るべきなのか」なんじゃないかと。瀧澤さんは世界に一人しかいないので、ギターは大した事なくても「瀧澤さんがギターを弾いている」という「在り方」が凄く大事な訳であって、もちろん実力を向上させる努力は大前提として超必要なんだけれども、とどのつまりはどう見せるか、を超えて「どう在るか」。「瀧澤克成という人間の在り方」で、どうやって人を助けるのか。それがわたしに取って生きる意味、命題なんじゃないかとも近頃思うわけです。

 「瀧澤さん、すげーなー、歩きながらずっと棒を粉砕しているよ」

くらいの人間で在る事が、わたしにとって理想の「在り方」なんじゃないかという話でした。なんかポチポチ書いてたら1時間くらい経ってしまったので寝ます。明日からも施せるわたしでいようと思います。まずはしっかり寝て睡眠を十分に取るところから!!健康大事!!ホドコセ!!!


おわり。


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