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「解散」のあとに続くもの――「東北の春」に向けて(23)

新型コロナウィルス禍のもとで世間がざわついているのを横目に、この数か月ずっと博士論文の執筆に集中してきた。もちろん勤務校での授業リモート化とか主宰するNPO活動のオンライン化とか、やるべきことは膨大にあり、その隙間を見つけての作業ではあったのだが、それでも作業はそれなりに進んでいる。

繰り返しになるが、〈居場所づくり〉について研究している。昨年秋まで、若者の居場所づくりNPO「ぷらっとほーむ」(以下「ぷらほ」と略記)の運営に従事し、それが解散したのちもその後片づけを細々と継続している。現在とりくんでいる博士論文はその「ぷらほ」の16年史を記述するもので、後片づけの一環である。

内容は大きく五部構成となっている。第一部では「ぷらほ」のユニークな実践のありようを民族誌、歴史叙述の形式で描き、第二部ではそこでどんな支援が達成されているのかを明らかにする。第三部では、そうした場がどうやって生まれ、保持されてきたのかを解き明かし、第四部ではそれが社会をどう変えてきたかを記述する。

現在、この四部まで草稿ができており、これから五部にとりかかるところである。第五部のテーマは、そうした〈居場所づくり〉という価値や方法がどのようにして持続させられてきたかを扱う。活動の世界でよく言われる「始めるのは割と簡単だが、続けるのは難しい」の言葉のとおり、どう持続するかが大事なのである。

しかし、ここでひとつ、読者の間には疑問が生じるかもしれない。あれ、「ぷらほ」ってすでに解散してるよね? 持続できなかった事例をもってきて持続について論じるって無理なのでは、という疑問である。もっともな疑問である。しかし、組織として続いていることだけが「持続」の唯一のかたちではない。

これはどういうことか。以下、これから展開しようと考えている「解散」=「持続」論について、そのアウトラインを記述してみたい。以下に示すロジックは、「ぷらほ」がその「解散」にあたって採用し、周囲への説明に用いていた理路であり、支持者や支援者の人びとに概ね受け容れられたものである。

すなわち、「ぷらほ」はその「目的論なき〈居場所づくり〉」のゆえに多様な領域にネットワーク状に活動が拡散していき、ひとつの中心から全体を見渡すことが困難なほどの広がりをもつにいたった。それぞれの実践コミュニティが自由かつ機動的に活動を続けていくのに、そうした図体の大きさや重さがネックになってきた。

では、どうするか。「ぷらほ」の支援空間は、どの場所も同じ原理と方法とでつくられ運営されている。それが「目的論なき〈居場所づくり〉」である。それは、来るもの拒まずの精神でいろんな人びとを包摂し、課題が発覚するたびに対処可能な資源を地域から探し出しては問題解決ツールを開発、社会実装にとりくんできた。

そうしたありようがどの実践コミュニティにおいてもひとつの文化としてわかちもたれていたのが「ぷらほ」であった。つまりそれは、自律分散型のネットワーク的組織である。いちおうそこには創設者――筆者ともうひとりの共同代表――という中枢が存在していたわけだが、もはや中枢がなくても大丈夫かもしれない。

そうした発想から、中枢の場としてあったフリースペース――ならびにその運営母体であった「ぷらほ」――を解散し、ネットワーク内のクラスターごとに〈居場所づくり〉の活動が続けられていくことになった。クラスターは三つ、①「クローバーの会@やまがた」、②「ぷらいず」、そして③「よりみち文庫」である。

以上が、「ぷらほ」の解散である。それは組織の終わりではあるが、活動の終わりではない。むしろ、活動を持続するための選択であったわけで、先に「解散」=「持続」論と書いたのはそういう意味だ。仲間の一人はこれを「地域に溶けた「ぷらほ」」と表現した。土壌となったそれは地域に新たな芽吹きをもたらすだろうか。

(『みちのく春秋』2020年夏号 所収)

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