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「無色透明イデオロギー」からの脱却。

■今回は、個人的な思いについて書く。「ぷらっとほーむ」を開設してもうすぐ丸4年になる。いろんな出来事があり、その度ごとにさまざまな気づきを得ることができた。とりわけこの1年間は、自分にとって大きな意味をもつものとなった。実を言うと、居場所づくりに関わるようになって以来ずっと、フリースペースのスタッフとしての自分の居かたに悩み続けてきた。とりわけ、どのようなキャラでそこに居るかということに葛藤し続けてきた。

■本音を吐いたりホッとしたりできる場所なのだから、スタッフもまた「素」であったり「本音」を口にしたりしている、とは思わないでほしい。誰かの「素」や「本音」は、それを受けとめうる環境が存在してはじめて十全に表出されうる。スタッフのふるまいもまたそうした環境の一部である。これが「ぷらほ」の考えだ。当然ながら、スタッフの「自然体」は、利用者がリラックスできる、それを引き出すための「自然体」であって、「素」とも「ありのまま」とも違う。

■スタッフであるということは、自分にとって「感情管理を徹底し、自分からは何をも出すことなく、無色透明な空気のような存在として、ただその場に一緒に「ある」こと」を意味した。ただずっと、そのことだけが居場所での自分の役割だと思い込んで、それ以外の自分が漏れ出てしまわぬよう、必死で自分のキャラをコントロールし続けてきた。そうしなければならないのだと、いつのまにか思い込まされてしまっていた自分がいた。しかし、この一年でそれが破綻した。

■破綻のきっかけは2つある。第一に、気づかぬうちに漏れ出ていたわたしの臭いに気づいてくれていたメンバーがいたこと。それどころか、もっと嗅ぎたいと近づいてきてくれたこと。第二に、あるメンバーがわたしから話を引き出してくれたことで、「空気であれ」という強迫の起源が何であったのか、自分で気づくことができたこと。それらを主なきっかけとして「無色透明でなくても、空気でなくてもいいんだ」と素直に思えた。ようやくそう思えるようになった。

■そうした気づきが訪れてはじめて、わたしは、自分のある傲慢さに思い至ることになる。わたしが居場所スタッフとして自分に固有のキャラを出せなかったのは、「たとえそれを出したとしても、彼(女)らにそれが理解できるはずがない」という勝手な思い込みがどこかにあったからだ。どこかで密かに彼(女)らをバカにしていた部分があったからだ。なんと浅はかな。本当に申し訳ないと思う。あなたがたを、あなたがたの力を、ちゃんと信じようと思う。

※『ぷらっとほーむ通信』048号(2007年04月号) 所収

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