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ハードモードな「進撃の巨人」とイージーモードな「なろう系」

ゲームには、普通にプレイするノーマルモード以外にも、敵が強くなるハードモードや、逆に弱くなるイージーモードがある。

人生も同じだ。
明らかに生まれながらに成功を約束されたようなイージーな人生と、こんな逆境でどうやって生きていけばいいんだよ…みたいなハードな状況がある。

もちろん、イージーに見える人生も、その人にしかわからない、「持てる者」の苦労もあるだろう。
つまるところ、多くの人が「自分の人生はハードモードだ」と思って生きている。
自分は平均以上に賢いと考えたり、良いドライバーだと思い込むバイアス同様に、人生への見方にもバイアスがありそうだ。それぞれの人が感じる苦労は、外から見える以上に、本人には辛いものだ。

人生はハードモード。そう受け入れて、生存戦略を立てていくしかない。

様々なエンタメ作品がある中で「イージーモード」な人生を許さず、「ハードモード」な人生の苦悩をこれでもかと描いたのが「進撃の巨人」だ。
壁の中に閉じ込められた人類は、巨人に怯え、自由を奪われながら暮らしている。巨人問題だけじゃない。人類同士の争いや、歴史が紡いだ暴力の連鎖が牙をむく。
そんな過酷な世界で生きざるを得ない主人公たち。何かを変えるために命を賭して外の世界と対峙していく。

一方で最近大人気なのが「なろう系」コンテンツだ。冴えない現実生活を送る主人公が、ひょんなことから死亡して、異世界に転生する。そこでは自分だけがもつ強い力があり、何故か周囲の人々から承認され、ゲームで冒険する気軽さで問題を解決していく。いわば「イージーモード」な人生なのだ。

そういった作品を見るのは、意外にも癒やしになる。「安心」と「冒険」が共存する良いところ取りは、妙に楽しい。夢・理想・希望が詰まった世界の肌触りは、ただただ気持ち良い。
そういう意味では、作品を鑑賞する行為がエネルギーの回復になる。余暇時間での良い休憩をもたらし、その後の理想的ではない現実世界で生きる力になる。

逆に「ハードモードな人生」を描くエンタメは、ごっそり体力・気力を削られる。
進撃の巨人を見て「地獄だ地獄だ」と叫ぶ阿鼻叫喚の民たち。そんなに辛いならわざわざ見なきゃいいじゃんという外の声を跳ね除けてでも、劇薬のように摂取してしまう私がいる。

何故「ハードモードな人生」をわざわざ見るのか?

そこで描かれているものは
「何かを得るには何かを捨てなければならない」
「変革には痛みを伴う」
「世界は理不尽で溢れていて、乗り越えるのは辛い」

という見たくない現実である。

しかし、その過酷な状況の中を主人公たちは、知恵を使い、勇気を振り絞り、傷だらけになりながらも進んでいく。その先にある未来が必ずしも良いものとは限らないのに、戦っていく。
その姿を見たいのだ。

「勇気をもらう」とも違う。
「過酷な人生に目を向けて、向き合っていっても、その先に何かが待っているはずだ」ということを信じさせてくれる。
直視したくない現実の「トレードオフ性」や「ままならない」感じを受け入れることができる。これから体験する「痛み」を覚悟することができる。

余暇時間に見るその「痛みとカタルシス」が、現実世界での自分を後ろから支えてくれるのだ。

人生はハードモード。揺るがない僕らの現実がある。
いつだって頑張れるわけじゃない。だから「イージーモード」な癒やしも、「ハードモード」な痛みもどちらも必要なのだろう。

現実にまだまだ納得がいっていない私にはどうか?
ハードモードなエンタメ作品がもっと必要なのだ。
明日も戦うために。


追伸:先日podcastでもそんな感じの話をしました↓


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