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【短編小説】仮装

 星祭りの日の午後は、ジゼルは支度に忙しい。首から上と手首から先を真っ白に塗り、右目の周りに青い星を、左目の周りに金色の星を、ピエロのように描き入れる。黒装束の上に、内側が赤い黒の長いマントを着て、オオカミのようなかつらをかぶり、その上に三角の黒い帽子をかぶる。つま先の上にとがった靴を履き、手の指先には黒い付け爪をする。カンテラの灯りに照らさられながら、ジゼルは粛々と祭りのための支度を行う。

 ジゼルは物心ついたときから、星祭りの夜はこの出で立ちと決めている。それももう、三十数年、ジゼルの身体はすっかり大きくなり、すべての持ち物を作り替えた。もともと持っていたものがひとつもなくなってしまっても、ジゼルにはこの衣装しか着られないわけがあった。

 日が暮れかかって、思い思いの装束に身を包んだひとびとが表に出てきた。いよいよ星祭り本番。ある者は厚く化粧をし、ある者はマスクを身に着け、ある者は被り物をして、誰が誰だかわからぬままに、夜通し飲み歩き、踊りまくる不思議な夜。誰だかわからぬほどに身を飾ってしまっていても、それだからこそ、誰だかわかることがある。

 ジゼルは待ち望んでいる。なんの根拠もないのに、胸にはなぜか確信がある。さあ出番だ、出かけよう。ジゼルはカンテラを消して、表通りに出た。

 通りにはずっと提灯が吊るされていて、あちこちに屋台が出ている。人通りも既に多めだ。表通りを北に行きかけたところで、女に呼び掛けられた。

「あらジゼル。今年も相変わらずね、あなたは」
 女は豊満な胸の谷間が見えるブルーのドレスを着て、青に銀の縁取りのマスクで目元を隠し、金色の美しい巻き毛を風に揺らせながらシャンパンを飲んでいた。

「マチルダおばさん、からかわないでください。僕はいたってまじめなんですから」
 ジゼルは答えた。つまり仮装をしていたところで、誰が誰かはわりとすぐわかる。

「そうよね、ジゼルはいつだってまじめなのよね」
 マチルダおばさんは笑った。
「そうだジゼル、野菜売りの市場を訪ねてみるといいわよ。星占いの易者が来てるって話だから」

「占い師に訊きたいことなんてありゃしませんよ」

「そうかしら。あたしだったら『ジゼルの恋のお相手は、いつになったら現れるでしょう』って訊くけど」

「マチルダおばさん、本当にいい加減にしてください。そんなんじゃないんです」

 ジゼルはマチルダおばさんに手を振って、人通りの少なくなる北の方へ向かって歩いた。見つける。見つける。見つける。今年こそ見つける。必ず見つける。南広場を目指して向かい側からこちらに歩いてくる仮装したひとびとをかき分けながらジゼルは、今夜は現実感がまるでないな、などと思っていた。まるですべてが夢のような。とてもリアルな夢のような。

「ジゼル!」
 誰かに呼び止められた。あの高くて柔らかい声は―――
「コゼット?」
 見ると、イチゴのような真っ赤なドレスを着て緑の帽子を被ったコゼットは、すこし離れたところを南のほうに押し流されていくところだった。

「ジゼル! 北の崖の方に行って、いますぐに! 少年王が現れたよ!」
「え! 本当に?!」
 コゼットはジゼルのほうに来ようとしているが、人波に押し流されて戻ってこられない。

「ジゼル! 行って! 早く!」
「ありがとう、コゼット!」

 ジゼルは走った。北へ向かって走った。人波をかき分け、酔っ払いをすり抜け、物売りの呼び声も素通りして走った。北のほうに進めば進むほど、ひとも灯りも少なくなってきた。北の崖の手前に来たところで、ジゼルは叫んだ。
「出てこい! 少年王!」

 するとジゼルの目の前を、ツタンカーメンのマスクを被り、学生服を着て学生鞄をたすき掛けにしてスケートボードに乗った人物が、左から右に滑り抜けた。ジゼルは叫んだ。

「父さん!!」
 するとツタンカーメンのマスクの少年王はスケートボードを降り
「ジゼルか! 信じられない! お前は少しも変わらないな」
 と言った。
「父さんこそ、まったくお変わりなく」

 ジゼルは、やはり自分は間違っていなかったと感慨深く思った。もしも星祭りの夜でなければ、お互いをお互いと認識することも叶わなかったかもしれない。三十数年の年月を経て、ジゼルと父さんはこうして星祭りの夜に再び巡り会えたのだ。

≪了≫

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