2021年1月25日 -恐怖って何なのか?-
こんにちは、中嶋です。
お初の人の為に、私は普段長崎、佐世保を中心にフットサルの指導をする仕事をしております。幼児から社会人まで幅広い選手とフットサルを楽しんでいます。
フットサルの話と、フットサルに繋がるヒューマンな部分に興味があり、色んな視点で自分自身が感じたことを書いています。
さて、先日からチャレンジの話、心理的安全性の話をしていますが、その奥底で一番の問題、課題にもなる恐怖の話について...
僕も、こんなTweetを最近しました。そう、僕も少し恐怖を感じていたんです....
恐怖ってなんなんだろうか?
恐怖(きょうふ)、または恐れ(おそれ)(英: fear)とは、動物や人間のもつ感情の一つで、こわいと思うことやその気持ち[1]。ブリタニカ国際百科事典によると、恐れの中でも具体的な事態になっておらず明確な対象があるものが「心配」だという。また、具体的な事態になっておらず、かつ明確な対象もないものが「不安」だという
との事。
なるほど....
同じような言葉で、
心配は?
物事の先行きなどを気にして、心を悩ますこと。
不安は?
不安(ふあん、英語: anxiety, uneasiness)とは、心配に思ったり、恐怖を感じたりすること。 または恐怖とも期待ともつかない、何か漠然として気味の悪い心的状態や、よくないことが起こるのではないかという感覚(予期不安)である。
とのこと。
●どうなるか分からない ●悪い結果に繋がるのではないか?
こういう心理的な状態が、僕らを恐怖に繋げるんだと思います。
これが自分だけで感じる問題と、他人からどう思われるのか?
それによって、自分自身が更に恐怖を感じてしまうことがあるのではないか?自分自身は怖くないけど、他人からどう言われるか?観られるか?そこが心配とか不安とか?
自分自身で感じる恐怖と他人から与え感じられる恐怖の中で人は、足を止めてしまうことがあるんだと思います。
確かにあります。僕はどちらかと言うと後者で、他人からの与えられる不安はストレスになってしまいます。中々慣れません....
他人からどう思われるのか? 他人がどうしてくるのか?
だからこそ、一人心配だったり、不安だったりすることもあるでしょう。
本当、よく分かります。
だからこそ、考えたいですよね。
不安、心配、恐怖を感じたくないから、恋愛離れ?してしまうのか?
話は少し変わり....
まぁ、僕も沢山フラレました(苦笑) 色んな恋愛、人間関係の中で、人から絶たれるって中々辛いものです。動画にもあるようにこういうのは個人の問題ではなく社会の問題かもしれませんね。これだけ不便さが無くなった時代の中で、恋愛離れになるのは、自らに自信が持てずに踏み出せないのかもしれないのです。恐怖や心配、不安になるぐらいなら、そこに踏み出さないことで得られる安心を欲しいのかもしれませんね。
確かに、そうです。
フラレたら、もう二度と人を信じないと思うだろうし、恋愛だってしないで良いと少なからず思います。
失敗が、恐怖に繋がるんでしょうね。
分かります。
でも、人の本来の目的は子孫繁栄。自分のDNAを残す事。動物はその目的を果たすために命を賭けて戦うぐらいです。
勿論、動物と人間は違いますし、今では子孫繁栄だけが生きる目的ではないし、多様な考え方の中で生きているわけで、恋愛だけが目的ではないのも確か!!
だからこそ、自分のやりたいにもっとフォーカスした方が良いと思うのです。
一番の恐怖って死ぬことではないか?
高血圧問題の1月。
血圧が200以上の日々の中で、明日起きれないんじゃないか?と、本当にビビっていました。もし、明日死んだとして、自分は自分の人生に何を思うのか?
と、正月早々思ったときに2つ感じました。
1.自分の整理をしておいたかどうか? 2.後悔の無い生き方をしたのかどうか?
①自分の整理
ミニマリストが流行っているけど、色んな整理をしたおくことが本当大事だなと... 僕が死んだら持っているものはゴミにしかならないですし、色んな契約しているような持ち物もなるべく減らしていくことだなぁと...必要なもの、必要でないもの、後からの居るからとっておくと言う生活から、今必要なものがそこにあると言う生活にシフトしていくことだなぁと思いました。
②後悔の無い生き方
人は死にます。これは間違いない事実。
検索すると、本になってたり、記事になってたり、死ぬときに幸せな人の共通点とかありますよね。
一番の恐怖である死ぬ時に、幸せであるって大事なことなんじゃないかな?と、思ってて
死に方を選べるのが今なのかもしれないのです。
今、自分がどうしているのか?が、一番の恐怖への向き合い方なのかもしれないのです。
義母が昨年秋に突然亡くなりました。朝方お風呂場で亡くなっていました。お風呂場の脱衣所には使用中の湿布が貼ってあったそうです。そう、お風呂から上がってまた貼るために...
明日したいこともあっただろうし、食べたいものもあったでしょうし、生きたい場所もあっただろうし、言いたいこともあったことでしょう。
でも、人は年に関係なく明日が来る保証なんて何一つ無いのです。
だからこそ、一番の恐怖である死に向き合う生き方をする。
恐怖には幸せが一番の対抗策なのです。
図にしてみましたが、心配や不安の先には死があります。でも、その死のときに一番の後悔は、自分らしく生きれなかったことなのかもしれません。
恐怖、心配、不安の中で、自分がどう生きてきたか? その道程から感じ取られるのは、自分がどう死んでいくのか?なのです。
恐怖や不安、心配事は沢山あるでしょう。でも、死ぬときに後悔する生き方こそ、一番の心配事じゃないですか?
そう、そんな僕の子育てのテーマは
"棺桶に入るときに、子どもたちの明日のご飯を気にしないで死ねること"
です。自分たちの事は自分たちの意思で出来る。そういう風に育てたつもりです。死ぬときに、子どもたちが自分の意思を持ち生きていける人になっていければ安心して死ねますからね。(笑)
今、幸せですか?
スティーブ・ジョブズの言葉に
If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today? もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは 本当に自分のやりたいことだろうか?
って言葉があります。それ以外にも
Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose.
自分もいつかは死ぬ。それを思い出すことは、失うものなど何もないということを気づかせてくれる最善の方法です。
って言葉もあります。
まさに、今、僕はここに居ます。失うことなんてそんなにないのです。いやいや、そもそも整理して捨てようとしているぐらいですから....
優勝した思い出は、みんなの心の中にありますし、お金を持っては死ねません。あるお金はみんなで使ってください。
幸せだと感じれた時間や、誰かにほんの少し影響を与えれたものは、僕にとってはやりたいことで、死んでもこの世に残るものです。
こうやって、noteを日々書いているのもその一つ。
残しておくこと。
それは物ではなく、権威や、名誉や、お金ではなく、意思です。
自分の意思を直接的にも間接的にも、誰かに与えること。
そして、ほんの少しでも良かったと思ってもらえること。
恐怖に打ち勝つには、恐怖を与え合うことで戦う事が今の世の中多いですよね。
誰かのチャレンジを妬み、誰かの失敗を喜び、自分の意思ではなく誰かの意思や目で生き、気付いたら自分の意とは違う場所に来てしまってませんか?
誰かから与えられる、不安や心配事、恐怖に行動を縛られてませんか?
恐怖に対抗するには、自分が自分らしく生き生きと生きることだと思っています。
失敗なんて自分のやりたいことなんで、失敗ではないしそれは学び。それを繰り返し試行錯誤の先にあるのが成長。そして、自分らしくそこにたどり着けたら成功。それを沢山繰り返していく。そうすると恐怖なんてどこにも見えなくなってしまいます。
だからこそ、
常に行動あるのみ!! 試行錯誤中に居ること。ワクワクを見つけ出すこと。
好きなものに囲まれて、音楽でも匂いでも食べ物でも人でも、自分が自分として生きれる場所に居ること。
あー、長くなりましたね( 笑)
な訳で、人生を楽しんでたら恐怖なんてないはずです。
今日もまだまだお昼です。楽しんでいきましょう♪
ではでは!!
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