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日本の革新者(イノベーター)2014世界を動かす12の発想 1/3 2014.11.24


<このページでは、『日経ビジネス』の特集記事の概要紹介と、管理人のコメントを掲載しています>



日本の革新者(イノベーター)2014 世界を動かす12の発想 1/3 2014.11.24



CONTENTS

PART 1 常識の破壊者

ホンダ エアクラフト カンパニー社長   藤野道格
WHILL CEO               杉江 理 
東京工業大学教授             西森秀稔
Lalitpur CEO               向田麻衣
シャープ副事業部長           田村友樹
九州工業大学教授            伊藤高廣

PART 2 日本文化の伝道師

旭酒造社長               桜井博志
マイファーム社長            西辻一真
中川政七商店社長            中川 淳

PART 3 組織を変えた異端児

近畿大学水産研究所長          宮下 盛
「萩しーまーと」駅長           中澤さかな
AgIC CEO                清水信哉

クレージーが革新を生む



第1回は、

PART1 常識の破壊者の6名のうち、4名
ホンダ エアクラフト カンパニー社長   藤野道格
WHILL CEO               杉江 理 
東京工業大学教授             西森秀稔
Lalitpur CEO              向田麻衣


を取り上げます。


今週の特集記事のテーマは

新興国に迫られ、市場の成熟が進むこの国が蘇(よみがえ)るには、特に3つのタイプの革新者が欠かせない。
従来ない製品を創る「常識の破壊者」、埋もれている日本の魅力を世界に発信する「伝道師」、戦後70年を迎え官民共に老朽化が目立つ組織を再活性化させる「異端児」だ。
多様な分野で活躍する、日本の未来を変える「三種の人財」12人の今に迫った
(『日経ビジネス』 2014.11.24 号 P.027)

です。



日本の革新者(イノベーター) 2014
世界を動かす12の発想
(『日経ビジネス』 2014.11.24 号 表紙)


今特集記事では、まず、世界を動かす12人のお名前をご紹介します。

「日経ビジネス」は、

常識の破壊者
日本文化の伝道師
組織を変えた異端児

に3分類しました。

常識の破壊者

ホンダ エアクラフト カンパニー社長   藤野道格
WHILL CEO               杉江 理 
東京工業大学教授             西森秀稔
Lalitpur CEO               向田麻衣
シャープ副事業部長           田村友樹
九州工業大学教授            伊藤高廣


日本文化の伝道師

旭酒造社長               桜井博志
マイファーム社長            西辻一真
中川政七商店社長            中川 淳


組織を変えた異端児

近畿大学水産研究所長          宮下 盛
「萩しーまーと」駅長           中澤さかな
AgIC CEO                 清水信哉


最終回にご紹介しますが、この12人の中から、「日本イノベーター大賞2014」の大賞、優秀賞、特別賞、そして日経ビジネス創刊45周年記念
特別賞の5人が選出されています。

(但し、日経ビジネス創刊45周年記念特別賞には、ここにノミネートされた方に特に関わりの強い方も選ばれています。そのため6人の選出となりました)

どなたがどの賞に選出されたのか、想像しながらご覧ください。

第1回は、「PART1 常識の破壊者」6名のうち、4名を取り上げます。

第2回は、「PART1 常識の破壊者」の残りの2名と、「PART2 日本文化の伝道師」3名を取り上げます。

最終回は、「PART3 組織を変えた異端児」3名と、「日本イノベーター大賞2014」受賞者、「2014年のイノベーターを読み解く5つのキーワード」をご紹介します。


PART1 常識の破壊者

ホンダ エアクラフト カンパニー社長 藤野道格(ふじの・みちまさ)
ホンダジェット離陸 不可能成し遂げた戦略家

(写真=常盤 武彦)

2015年、新しい航空機メーカーが誕生する。
7人乗りの「ホンダジェット」を製造するホンダ エアクラフト カンパニー(米ノースカロライナ州)だ。

東京大学工学部航空学科を卒業。根っからの飛行機好きだと誤解されがち だが、藤野が航空学科を選んだのは「自動車学科がなかったから」。

新しいコンセプトを考える仕事がしたくて、若いうちから大きなプロジェクトを任せてもらえそうなホンダの門を叩いた。

無論、ずっと順風満帆だったわけではない。

直近では2008年秋のリーマンショック。ホンダの業績が低迷し、F1と同様、ホンダジェットからの撤退もささやかれた。

脚部を供給する住友精密工業専務の田岡良夫は「いろいろな航空機メーカーと取引しているが、経営トップであそこまで全てを詳細に把握している人はいない」と語る。

取材中、終始冷静に話していた藤野が、ふいに素顔を見せた一瞬があった。

試験用のホンダジェットが3台並ぶ姿を見つけた時だ。「たくさん機体があるとうれしくなっちゃって」。少年のように笑う藤野の頭にはもう、ホンダジェットが続々と量産されて飛び立っていく姿が描かれているようだった。

日本の革新者(イノベーター)2014 
世界を動かす12の発想 
2014.11.24 pp. 028-030
 


二輪(バイク)からスタートしたホンダが、四輪(自動車)に進出し、モータースポーツの最高峰F1を、ブラジルの英雄、F1レーサー、アイルトン・セナとともに制覇した日々がありました。

ホンダは地上を走行するだけでは飽きたらず、遂に空に羽ばたくプライベートジェットを製造する会社の一つとなりました。

藤野さんの小学校時代のエピソードが掲載されています。

小学校の先生が課題で出した、ゴム動力のミニカー作り。クラスメートを驚かそうと、ベアリング(軸受け)からタイヤまで工夫を重ねて、コンテストに臨んだ。圧倒的なスピードで走る少年のクルマを前に、教室は興奮に包まれる。

「人は想像もしないモノを作ると、皆が喜んでくれるんだ」。翌年の卒業文集には迷わずこう書いた。

「設計技師になりたい」。

日本の革新者(イノベーター)2014 
世界を動かす12の発想 
2014.11.24 p. 028
 


藤野さんの夢はまだ実現したわけではなく、夢の途中で、夢ははるか先まで続いているのかもしれません。


WHILL CEO 杉江 理(すぎえ・さとし)
若き職人が作るワクワクする車椅子

(写真=林 幸一郎)

今年9月、電動車椅子の常識を覆す乗り物が日米で発売された。斬新なデザインと砂利道も走れる機動性が売りの「WHILL(ウィル)Type-A」だ。2014年度には250台の販売を見込み、来年には台湾での量産も始まる。

2012年5月、杉江はCDO(最高開発責任者)の内藤淳平やCTO(最高技術責任者)の福岡宗明と共同で、株式会社WHILLを設立した。

「これが本当に作れたらすごい」という思いと「やる」という覚悟だけは、誰に聞かれても「あります」と自信をもって答えられた。

杉江は「1次情報が好きで、リアルな経験しか信じない」と自分の生き方を語る。

自分で見て聞いたことだけを信じるのは、今も変わらない。自らシリコンバレーをWHILLで走り、車椅子の利用者にどんどん声をかけて話を聞く。

前後に動く座席や可動式のハンドルはそんな調査を重ねて加えた機能だ。

内藤は「杉江の一番すごい能力は絶対に諦めないこと」と言う。そして、福岡と顔を見合わせながら「俺らもだけどな」と付け加える。

日本の革新者(イノベーター)2014 
世界を動かす12の発想 
2014.11.24 pp. 030-031
 


「1次情報が好き」というのは、いいですね。
2次情報や3次情報は脚色されたり、内容を変更されているため、実態からかけ離れていることが多いからです。

自分の五感を信じ、現場で、現物を、現実のものとして(三現主義)見て、聞いて、匂いをかいで、味わって、触れて感じ取ることはとても大切なことだ、と思います。

地位が上がるに従い、自らそうした体験をしなくなったり、少なくなる傾向が強まります。部下から上がってくる報告を見聞きするだけになると、非常に危険です。

普段から三現主義で五感を鍛えておくと、部下の報告に違和感を感じることができ、正しい判断ができます。

逆に言いますと、その感覚が鈍ってきたと感じた時が、引退時期となります。本人は認めたくないでしょうが。


東京工業大学教授 西森秀稔(にしもり・ひでとし)
夢のコンピューター引き寄せた理論

(写真=村田 和聡)

実現は早くて50年後と考えられてきた量子コンピューターの実用化が始まった。

原動力は、東京工業大学教授の西森秀稔が考案した一つの理論。「役に立たない」はずの基礎研究は、社会を一変させる注目技術に飛躍した。

9月、米グーグルがまた一つ「野望」を明らかにした。「量子コンピューター」のチップ開発に乗り出すというのだ。同社は昨年、カナダのD-Waveシステムズが開発した1台10億円と言われる世界初の量子コンピューターを購入。

社内でその実力を見極めてきたが、今回ついに自ら開発を始める。

1980年代に提唱された量子コンピューターは、実現に50年かかるとされた。

従来検討されてきた量子コンピューターとは全く違う原理で現実となった。基盤にあるのは東京工業大学教授、西森秀稔の考案した「量子アニーリング理論」だ。

D-Waveの量子コンピューターは、「組み合わせ最適化問題」の計算を高速化するためのマシンだ。

実は最適化は画像認識や自然言語処理、医療診断など今や社会に欠かせない技術。

調べる数の組み合わせが増えると現在のスパコンでは手に負えないが、量子コンピューターなら瞬時に解ける可能性がある。検索や地図などを本業にするグーグルにとって、看過できない技術なのだ。

「西森さんは紙と鉛筆で解ける問題にしか興味がない。世俗離れしていたが、それが基礎研究の力強さかもしれない」。かつて西森の研究室に在籍した京都大学大学院助教の大関真之は語る。

当初は米国の研究者のアイデアを基にしたマシンと思われてきたが、やがてそのルーツが西森の理論にあることが明らかになった。

日本の革新者(イノベーター)2014 
世界を動かす12の発想 
2014.11.24 p. 032
 


量子コンピューターのことはよく分かりませんが、「現在のスパコンでは手に負えないが、量子コンピューターなら瞬時に解ける可能性がある」ということですから、素晴らしい技術だ、と思いますね。

しかも、その基盤となったのは、日本人学者の西森秀稔・東京工業大学教授であったということは、日本人として大いに誇れることですね。

「ITは米国」という誇りを持つ米国人でも、こればかりは認めざるをえないでしょう。

さらに、すごいことは「紙と鉛筆で解ける問題しか興味がない」というところです。コンピューターによって自分の理論を確認するということではないのは確かです。


Lalitpur CEO 向田麻衣(むかいだ・まい)
モノより心の豊かさを 新世代の社会起業家

(写真=Kohei Kawashima)

社会問題に切り込む社会起業家を目指す若者が増えているが、多くはあくまで「モノ」による支援。それに対し、向田麻衣は新興国で精神的被害に苦しむ女性に対して「心の豊かさ」を支援する。

2013年に設立したベンチャー企業、Lalitpur(ラリトプール)でCEOを務める。取り扱うのはネパール産のハーブを使った化粧品だ。

一見、華やかな世界に身を置くように見えるが、真の目的はネパールなど新興国で精神的被害に苦しむ女性たちの支援。ラリトプールは、ネパールで人身売買の被害に遭った女性たちの雇用創出のために設立された。

狙いは、それだけではない。向田はネパールの被害女性たちに化粧による喜びを伝える心のケアも実施している。拠点となるのが、5年前の2009年に設立した一般社団法人、Coffret Project(コフレ・プロジェクト)だ。

トルコ滞在中に、夫からドメスティックバイオレンス(DV)被害に苦しむ女性たちから聞いた「化粧をしてみたい」という言葉が、コフレ・プロジェクト設立につながった。

向田は「子供のように素直でとにかく行動が速い」(ラリトプールを支援する外資系コンサルティング会社勤務の柳沢和正)。

化粧品ビジネスの米国展開も視察でニューヨークに滞在した3週間で即決。「スピード感が日本と全然違う。米国で勝負するしかないと思った」(向田)。

日本の革新者(イノベーター)2014 
世界を動かす12の発想 
2014.11.24 p. 033
 


向田さんは、三断跳び(三段跳びではありません)の実践者です。三断跳びとは私の造語です。

判断・決断・断行で三断です。ホップ・ステップ・ジャンプで最後のジャンプで決まります。

判断・決断までは頭の中でのことです。断行は実行することです。判断・決断まではしても、最後の断行できないケースはよくありますね。

向田さんは断行までのスピードが速い、ということが素晴らしい、と思います。考えることはできても、実行できないことは多々あります。向田さんは余計なことを考えすぎずに実行に移すという、日本女性と言うよりも、日本人離れした行動力の持ち主のようです。

これから難題が次々に発生するかもしれませんが、乗り越えていってほしい、と思います。

【判断・決断・断行 思考のプロセス】


次回は

PART1 常識の破壊者

シャープ副事業部長           田村友樹
九州工業大学教授            伊藤高廣

PART 2 日本文化の伝道師

旭酒造社長               桜井博志
マイファーム社長            西辻一真
中川政七商店社長            中川 淳

をご紹介します。


🔷編集後記

この特集記事(元記事)が公開されたのは、10年前のことで、アメブロでも10年前(2014-11-27 20:00:16)のことでした。

大幅に加筆修正しました。

ホンダは永年の願望が実現しました。

ホンダジェットの公式ウェブサイトを見てみましょう。

「HondaJetのこだわり」というコーナーに5つの先進技術が紹介されていました。

詳細は下記の公式ウェブサイトでご確認ください。


ホンダのクルマ作りには、創業者の本田宗一郎の「人まねはしない」という基本的な考え方が息づいています。オリジナルでなくてはならないということです。

大昔の話になりますが、オイルショック(1970年代)後、厳しい排ガス規制がとりわけ日米市場で適用されました。

世界の自動車業界にとって生きるか死ぬかというほどの深刻な問題を引き起こしました。従来のエンジンでは、マスキー法〈1975(昭和50)年からはCO(一酸化炭素)、HC(炭化水素)、NOx(窒素酸化物)の排出量を、いままでのレベルの1/10程度にまで低減するという非常に厳しい排ガス規制〉をクリアできないこととなり、アメリカの自動車メーカーはお手上げとなった時期がありました。

そんな折、ホンダはCVCCエンジンを開発し、世に問うたのです。マスキー法をクリアした画期的なエンジンでした。本田独自のエンジンでした。

ホンダがCVCCシビックで乗り越えた排ガス規制とオイルショック、軽自動車では鈴木自動車が2ストロークで対応へ【スズキ100年史・第15回・第4章 その1】

1970(昭和45)年、米国でマスキー上院議員提案の大気汚染防止法「マスキー法(俗称)」が制定されました。これは、1975(昭和50)年からはCO(一酸化炭素)、HC(炭化水素)、NOx(窒素酸化物)の排出量を、いままでのレベルの1/10程度にまで低減するという非常に厳しい排ガス規制でした。
(中略)
この規制を世界で初めてクリアしたのは、1973(昭和48)年12月発売のホンダのCVCC(複合渦流調整燃焼方式)エンジンを搭載した「シビック」でした。

こうしたホンダのクルマ作りがビジネスジェットにも生かされていると考えられます。

ホンダはソニーと合弁でEVを開発していますが、ごく最近のニュースによれば、日産自動車がホンダとEVの開発で協業する可能性があるとの報道がありました。

EVで生き残りを模索しているのです。

【独自】日産 ホンダとの協業検討を開始

日産自動車が、ライバルのホンダと協業に向けて検討に入ったことがテレビ東京の取材でわかりました。国内2位と3位の企業同士の協業が実現すれば、今後の自動車業界に大きな影響を与えそうです。
(中略)
日産がホンダとの協業を目指す背景には、EV=電気自動車の開発や生産にかかる莫大なコストをホンダと分担することで経営を効率化させたい狙いがあるとみられます。 一方のホンダも、EVの開発で先行する日産と協業することで、技術開発や生産面でシナジーを生み出せる可能性もあります。 ただ、ホンダは13日までに正式に協業に向けた検討に入ることを決定していないと見られ、協議の行方には不透明さも残ります。


(7,111 文字)


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