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盛田昭夫 『21世紀へ』(023) 第3章 マーケットの創造 「あくまでSONYを貫く」(1976年)から





盛田昭夫 『21世紀へ』(023) 第3章 マーケットの創造 「あくまでSONYを貫く」(1976年)から


盛田さんは、アメリカでの大きな取引に際し、思い切った決断をしました。

OEM(相手先ブランド製造)の道を選びませんでした。

それはソニー・ブランドを捨てることになり、ずっと下請けに甘んじることになるからです。

自社製品に自信があり、独力で販売することができるのであれば、長期的視点に立てば最終的に大きな売上も大きな利益も見込めます。

相手が提示した条件を一度でも飲めば、足元を見られ値下げ要求が強まり、利益を確保することが難しくなります。

同様な話を京セラの創業者・稲盛和夫さんの本で読みました。

京セラが創業間もない頃、自信作を国内の企業はどこも見向きもしなかったそうです。

それならばということで、稲盛さんはアメリカへ渡り、GE(ゼネラル・エレクトリック)へ部品を納入することができたそうです。

その後、国内企業は、アメリカの一流企業に納入した京セラ製品を購入するようになったということです。

その際、稲盛さんは決して安売りはしなかったそうです。

きちんと利益を確保し、ブランドを維持する方針を貫き通しました。その結果、現在の京セラがあるのです。

目先の売上や利益を得たいがために、安請け合いをしてはいけないという教訓です。
   


『21世紀へ』 盛田昭夫
2000年11月21日 初版発行
ワック


目次

はじめに

第1章 経営の原則

第2章 人材の条件

第3章 マーケットの創造

第4章 国際化への試練

第5章 経済活性化の原理

第6章 日米関係への提言

第7章 変革への勇気

第8章 日本国家への期待

第9章 新世界経済秩序の構築

あとがき




第3章 マーケットの創造

「あくまでSONYを貫く」(1976年)から


ソニーのマーケティングはコミュニケーションなのだから、そこへ第三者が介入したら絶対にうまくいかない。そう、私は判断したのだった。いま、30年の歴史を静かに振り返ってみると、ソニーのこの決定は非常に重要な意味を持っていたと思う

 要するに、最終的にはその国のローカル・マニュファクチュアに同化していくというのが、ソニーの進む方向と考え、またこれまでもそのようにワールド・ビジネスを展開してきた。
 私がアメリカへ行き始めたのは、1954年ごろのことである。商社に頼らず、自分の力で輸出するんだという覚悟を決めて、アメリカ市場に足を踏み入れたのだった。ソニーは、世界でまったく新しい製品を開発する企業なのだから、セールスは開発した本人があたらなければ、お客さんに商品の機能も便利さもわかってもらえない。つまり、ソニーのマーケティングはコミュニケーションなのだから、そこへ第三者が介入したら絶対にうまくいかない。そう、私は判断したのだった。いま、30年の歴史を静かに振り返ってみると、ソニーのこの決定は非常に重要な意味を持っていたと思う。

21世紀へ 盛田昭夫 067 p. 124 



「あくまでSONYを貫く」(1976年)から


当時のソニーにとって、10万台は非常な魅力であった。ソニー・ブランドを捨てて10万台の契約をとるか、10万台に目をつぶってソニー・ブランドを通すか、二者択一の決定を迫られ、結局私はソニー・ブランドを守ることにしたのである

 国内において自分の販売網を持たなければならないという観念を、海外に対しても貫くことのほうが、われわれにとって大切だと判断したのである。
 自力でセールスするとなると、次にはどんなことがあっても、自分のブランドを通す、ということが必要になってくる。アメリカ市場開拓の初期に、ある有名メーカーからトランジスタ・ラジオを10万台買いたいという商談が舞い込んだことがあった。
 だが、そのためには、先方のブランドにするという条件がついていた。当時のソニーにとって、10万台は非常な魅力であった。ソニー・ブランドを捨てて10万台の契約をとるか、10万台に目をつぶってソニー・ブランドを通すか、二者択一の決定を迫られ、結局私はソニー・ブランドを守ることにしたのである。

21世紀へ 盛田昭夫 068 p. 125 


「あくまでSONYを貫く」(1976年)から


元来、私は物理屋のせいか(阪大工学部物理学科卒)、ビジネスに奇跡を信じない。もちろん、運というものはあるだろうが、根本原理は必ず通る、という信念を持っている

 あのとき、もし私が目先の利益だけを考えていたら、10万台も売れるのだから喜んで契約にサインしていたと思う。しかし私は、トップマネジメントとしてニューヨークで陣頭指揮をとっていたので、ロングレンジの立場に立って、今年の注文は少ないかもしれないが、長期的に見てソニーのブランドを捨てるのは得策ではない、と判断したことを記憶している。
 元来、私は物理屋のせいか(阪大工学部物理学科卒)、ビジネスに奇跡を信じない。もちろん、運というものはあるだろうが、根本原理は必ず通る、という信念を持っている。ものごと、ショートサイトのいろいろなことに惑わされず、ロングレンジに見れば、必ず根本原則が通る、という考えを持っているので、こういう決定ができたのかもしれない。

21世紀へ 盛田昭夫 069 pp. 125-126 



盛田昭夫公式ウェブサイト



➳ 編集後記

『21世紀へ』を読み返して感じたこと

『21世紀へ』は、20世紀を全力で走り抜けてきた盛田さんが、このままでは日本がダメになるという危機感に、すべての日本人が気付いてほしいという悲痛な気持ちが伝わってくる本です。

盛田さんの「予言」はいみじくも当たってしまいました。
少なくとも現状においてですが。

この警世の書に書かれていることの多くが当たっています。
盛田さんの慧眼は本当に素晴らしいと思いました。

本書をアマゾンや楽天でなくても、ブックオフ等で目にしたら、ぜひ手に入れてください。なかなか見つからないかもしれませんが。

その内容の濃さと経験に裏打ちされた説得力のある文章に惹きつけられることでしょう。

⭐盛田昭夫さんの言葉の数々は、時として大言壮語と感じることがあるかもしれません。しかし、盛田さんはそれだけ、ソニーの行方が気がかりだっただけでなく、21世紀において世界の中の日本がどのように変貌していくのか、気になって仕方がなかったのだろうと推測します。

21世紀のソニーと日本を自分の五感を通じて確かめたかったに違いありません。しかし、その願望は叶いませんでした。1999年に亡くなられました。


🔴「私は、トップマネジメントとしてニューヨークで陣頭指揮をとっていたので、ロングレンジの立場に立って、今年の注文は少ないかもしれないが、長期的に見てソニーのブランドを捨てるのは得策ではない、と判断したことを記憶している」

歴史に「もし・・・だったら」は成り立ちません。

しかしながら、盛田さんが米国で相手企業の要求を受け入れ、OEMで10万台のトランジスタ・ラジオの販売契約を結んでいたら、今のソニーはなかったかもしれません。ずっと下請け企業(黒子)として存在し、世界に知られることはなかったかもしれません。

私たちは1日の中で常に細かな選択をしています。朝から夜まで瞬間瞬間に右に行くべきか、左に行くべきか、あるいは真っすぐ突き進むべきか、判断し行動しています。

一方、トップマネジメントは自分の判断が企業の命運を左右することになります。責任重大です。正しい判断ができるかどうかは、トップマネジメントの頭に中にあります。その意味でトップマネジメントは孤独です。



盛田さんは、一点の曇りもなく、自分に正直で、言行一致した行動派の経営者でした。また、今ではなかなか見つからないダンディなジェントルマンでもありました。表現がダサい? 古い?



⭐ソニーの現状 (ソニーグループの子会社)


ソニーを日本企業とは知らない人たちがいることに驚きました。

ここ数十年で業態を変えてきたことは、世の中の変化に素早く対応できることを示しています。

ソニーは「エレクトロニクス・プロダクツ&ソリューション分野」を扱う企業ということになりますが、半導体も生産していますし、得意な映像技術を深掘りしています。映画部門も持っていますね。

極論すれば、音と映像を2本柱にして、これらに関わる技術を開発し、横展開していると言えます。

ただし、ウォークマンが大ヒットしたあと、アップルの iPhone のようなスマートフォンがなぜ作れなかったのかと悔やまれます。技術力はあったはずです。目利きが及ばなかったのでしょう。

スマホがここまで世界中に受け入れられるとは想像していなかったのかもしれません。


⭐『21世紀へ』について

『21世紀へ』に関するこのブログを最初に投稿したのは、アメブロで9年前(2014-08-01 22:09:56)のことでした。

note に再投稿するにあたって、大幅に加筆修正しました。

『21世紀へ』の「はじめに」の1行目から2行目にワック編集部による
この本の説明が書かれています。

本書は、井深大と並ぶソニー株式会社のファウンダー(創業者)盛田昭夫によって、1960年代から90年代にかけて執筆された論文の集大成である。

21世紀へ 盛田昭夫 p. 1  


ソニーは日本を代表する世界的企業であることに異論はありません。



✑ 盛田昭夫氏の略歴

巻末の「著者紹介」から

盛田昭夫(もりた あきお)
ソニー創業者。1921年生まれ。大阪大学理学部卒業。
海軍技術中尉に任官し、井深大と出会う。
46年、井深とともにソニーの前身、東京通信工業を設立。
ソニー社長、会長を経て、ファウンダー・名誉会長。
この間、日米賢人会議メンバー、経団連副会長等を歴任。
海外の政財界にも幅広い人脈をもち、日本の顔として活躍した。
98年米タイム誌の「20世紀の20人」に日本人として唯一選ばれる。
99年死去、享年78。
著書に『学歴無用論』(朝日文庫)『新実力主義』(文藝春秋)
『MADE IN JAPAN』(共著、朝日文庫)『「NO」と言える日本』
(共著、光文社)等がある。


(4,185文字)


⭐出典元



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