
【大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉】 第98回 『大人の流儀4 許す力』から
訃報
2023年11月24日夜に伊集院静氏が亡くなりました。73歳でした。
ご冥福をお祈りいたします。
非常に残念です。「大人の流儀」をもっと長い間拝読したかった……。
大人の流儀
伊集院 静氏の『大人の流儀』から心に響く言葉をご紹介します。私は現在『大人の流儀』1~10巻を持っています。このうちの第1巻から心に響く言葉を毎回3件ずつご紹介していこうと考えています。全巻を同様に扱います。
時には、厳しい言葉で私たちを叱咤激励することがあります。反発する気持ちをぐっと堪え、なぜ伊集院氏はこのように言ったのだろうか、と考えてみてください。しばらく考えたあとで、腑に落ちることが多いと感じるはずです。
『大人の流儀3 別れる力』をご紹介します。
ご存知のように、伊集院氏は小説家(直木賞作家)で、さらに作詞家でもありますが、『大人の流儀』のような辛口エッセーも書いています。
大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉 第98回 『大人の流儀4 許す力』から
まえがき
「許す力」から
伊集院 静の言葉 1 (291)
許してあげることができない自分をダメな人間だと思う人はたくさんいる。
しかしはたしてそうだろうか。私は許せないものを持つことが人間なのだろうと思う。さらに言えば、人が生きていけば必ず許せないことに出逢うのが、当たり前のことなのではないか。
許すということはとても難しい。
なぜなら、これが許すことです、と決まったかたちがないし、許していたつもりが、何かの拍子に、許せなかった記憶がよみがえり、腹が立ったり相手を憎んだりしてしまうことが多いからだ。
許せないものの大小はあろうが、誰もが許せないことに出逢い、それをかかえている。それが人間である。それが生きることであり、人生である。
許してあげたいと誰しも思うだろうが、その特効薬はない。
だから私は、許せなくてもいいから、そのことであまり悩んだりせずに、許せないことをそのまま胸の中に置いて懸命に生きた方がいいと提案したい。
いつか許せる日は必ずやってくる。その時に必ず何かが身体の底から湧いてくる。許せないことも、許すことも生きる力になってくれると私は信じている。
2014年3月1日
仙台にて
伊集院 静
第1章 許せないならそれでいい
「許さなくていい」から
伊集院 静の言葉 2 (292)
私は若い時から、他人に対していったん ”許せない” という感情が湧くと、易々と許すことができない性分である。
五年経っても、十年経っても、その人の名前を聞くと、その時の感情がよみがえる。
そういう私の性格を、母は男児なのに情無いと嘆いていた。
かと言って、私は、誰某が許せない、と四六時中思っているわけではない。
むしろ忘れてしまっている方が多いし、その感情がよみがえることなど普段の暮らしの中ではほとんどない。初中後そんなことを考えていたら、生きて行けない。
人間はそういう生きもののはずだ。
「許さなくていい」から
伊集院 静の言葉 3 (293)
女、子供に "許せない" と思ったことはない。
相手は皆年長の男である。もう大半が亡くなった。人を蔑んだり、知人、友人、家族に切ない思いをさせ、非道な行為をした相手である。
よほどのことをなした者たちだ。
私に直接何かをした相手はいない。”目には目を" が私のやり方だから、それはない。
だが世の中には "目には目を" ができぬ人が大半である。
口惜しさ、無念を抱いて生きている男女は大勢いる。
だから "倍返し" などというバカな言葉が流行するのである。報復は報復を生む。たとえ報復しても気持ちが晴れるわけはない。
ましてや "許せない相手" の不幸を願うようなことは最悪である。
では消そうにも消せない感情を抱いてどう生きて行けばいいのか。
私は "許せない" という感情は抱くが、それ以上でも以下でもなく生きてきた。それは先述した母の教えが功を奏したのだろう。
「決して人を羨んだり、人を恨んではいけません。そういうことをしていたら哀しみの沼に沈みますよ」
子供の時は彼女が言っている言葉の意味がよくわからなかった。それでも人を羨むな、人を恨むな、と反復しているうちに、そういう感情を抱かなくなっていた。身に付いたのだろう。
そういう心構えは歳月がかかるかもしれない。そうできない人のほうが普通だろう。
なら私は、
__許さなくともいいのではないか。それもあなたの生き方だから……。
と思う。
⭐出典元
『大人の流儀 4 許す力』
2014年3月10日第1刷発行
講談社
表紙に書かれている言葉です。
あなたはその人を許すことができますか。
✒ 編集後記
『大人の流儀』は手元に1~10巻あります。今後も出版されることでしょう。出版されればまた入手します。
伊集院静氏は2020年1月にくも膜下出血で入院され大変心配されましたが、リハビリがうまくいき、その後退院し、執筆を再開しています。
伊集院氏は作家にして随筆家でもあるので、我々一般人とは異なり、物事を少し遠くから眺め、「物事の本質はここにあり」と見抜き、それに相応しい言葉を紡いでいます。
「決して人を羨んだり、人を恨んではいけません。そういうことをしていたら哀しみの沼に沈みますよ」
子供の時は彼女が言っている言葉の意味がよくわからなかった。それでも人を羨むな、人を恨むな、と反復しているうちに、そういう感情を抱かなくなっていた。身に付いたのだろう。
そういう心構えは歳月がかかるかもしれない。そうできない人のほうが普通だろう。
なら私は、
__許さなくともいいのではないか。それもあなたの生き方だから……。
と思う。
私も七十年近い人生を振り返ってみると、人を羨んだり、恨んだことはあります。その時には頭に血が上り、感情を爆発させたこともあります。
当然のことですが、さすがに相手に危害を加えることを考えたり、実行することはありませんでした。
犯罪者にはなりたくありませんからね。自分一人だけの問題ではありません。一人の感情だけで危害を加えるようなことをすれば、犯罪者になるということだけではなく、親や兄弟、親戚、友人にまで迷惑をかけることは普通に考えればわかることです。
ところが、世の中には自分の感情をストレートに行動に移し、相手に危害を加えるだけでなく、命までも奪ってしまうという、自分の感情をコントロールできない人がいます。
精神を病んでいるのです。
事件を起こしてから後悔しても後の祭りです。「覆水盆に返らず」です。
自分の感情をコントロールするのは自分しかいない、と自覚しなくてはなりません。
もちろん、他人によるマインドコントロールは危険極まりないものです。
🔷「同居した当初、私は毎日のごとく酒を飲んでいた。浴びるほど飲むという表現があるが、そんなもんじゃなかった。酒の中にひたって、普段でも身体がウィスキーと日本酒の煮凝状態であった」(大人の流儀 3 別れる力 「素晴らしき哉、人生」から)
伊集院静氏は本当に酒が好きな人だったというエピソードを披露しています。「浴びる」どころではなかったのですから。
言葉は悪いですが、完全にアル中でした。これが直接の原因とは断定できませんが、肝内胆管がんで亡くなられたことと無関係ではないでしょう。
「酒は百薬の長」といわれますが、度を過ぎると毒にもなるということです。
散々厳しいことを指摘してきた伊集院氏でしたが、自分の弱さを披露したり、家人(奥様のこと)のエピソードを記したことは、今から振り返ってみると、意味のあることだったのかもしれない、と考えさせられました。
(3,787文字)
🔶『大人の流儀3 別れる力』について『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』の中で言及しています。
伊集院静と城山三郎
『別れる力 大人の流儀3』
私が伊集院静さんに興味を持ったのは、彼の先妻が女優の夏目雅子さんであったこともありますが、『いねむり先生』という題名の小説を読み、不思議な感覚を味わい、また『大人の流儀』という辛口エッセーを読んだからです。
夏目雅子さんのプロフィール
🔶伊集院静氏の言葉は、軽妙にして本質を見抜いたものです。随筆家としても小説家としても一流であることを示していると私は考えています。
<著者略歴 『大人の流儀』から>
1950年山口県防府市生まれ。72年立教大学文学部卒業。
91年『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で第107回直木賞、94年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。
作詞家として『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』などを手がけている。
⭐ 原典のご紹介
クリエイターのページ
大人の流儀 伊集院 静
五木寛之 名言集
稲盛和夫 名言集
回想録
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