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【大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉】 Vol.31

大人の流儀

 伊集院 静さんの『大人の流儀』から心に響く言葉をご紹介します。私は現在『大人の流儀』1~10巻を持っています。このうちの第1巻から心に響く言葉を毎回3件ずつご紹介していこうと考えています。全巻を同様に扱います。

 時には、厳しい言葉で私たちを叱咤激励することがあります。反発する気持ちをぐっと堪え、なぜ伊集院さんはこのように言ったのだろうか、と考えてみてください。しばらく考えたあとで、腑に落ちることが多いと感じるはずです。

 帯には「あなたのこころの奥にある勇気と覚悟に出会える。『本物の大人』になりたいあなたへ、」(『続・大人の流儀』)と書かれています。

 ご存知のように、伊集院さんは小説家ですが、『大人の流儀』のような辛口エッセーも書いています。



「母が教えてくれた花の名前」から

伊集院 静の言葉 1 (91)

 
 少しだけ仕事をするようになっても、いつも言われた。
「損、得で仕事を選んじゃ淋しい人生になりますからね。おおらかが一番イイ」
 副支配人のY女史、部屋の係のオバさんたち、庭の掃除係の元漁師のF爺さん、ホテルの壁が剥がれ落ちると上から塗っては、イタチごっこだなと笑っていた元復員兵のKさん。夜勤のSさん……、皆が私を家族のように可愛がってくれた。

大人の流儀 2 伊集院 静                               




「若い時期にだけ出会える恩人がいる」から

伊集院 静の言葉 2 (92)

 
 I支配人は海が大好きだった。
 南洋航路に乗っていた頃の面白い話を、夜の海を眺め、ウィスキーをやりながら聞かせてくれた。
「船で厨房長を三年やれば新米の船長より偉いんです。きちんとしなきゃ、美味うまい食事も酒も出してやりません。立ち寄る港々に美しい女性がいましてね……。伊集院さん、愉しみなさい。人生は、アッという間に過ぎてしまいますから。でもあせっちゃダメだ。ゆっくりと急げばいい」
 今、思い出しても、見ず知らずの若者にどうしてあそこまでして下さったのか、わからない。
 そのホテルで、いつか小説を書くことがあったらとノートに書いた物語とタイトルが、これまでの私の作品の半分以上をしめる。
 その時の思い出を綴った一冊の本を出版した。
『なぎさホテル』。
 そのホテルの名前である。

大人の流儀 2 伊集院 静                               



「世間の人の、当たり前のことに意味がある」から

伊集院 静の言葉 3 (93)

 
 仙台に戻ってみると、木蓮と夏椿は散り、バラの生け垣にちいさな蕾が見えはじめた。
 山法師もわずかに花をつけている。
 今年の紫陽花あじさいはどうやら難しそうだ。
 私は我家の紫陽花が好きだ。ヤマアジサイ、ガクアジサイと皆小振りで、野に咲いていたものを上手く庭師が仕上げてくれた。毎年、この花たちが咲くのを愉しみにしていたが、あれだけ大地が揺れたのだから繊細な花たちに何かがあっても当然だろう。

大人の流儀 2 伊集院 静                               



出典元

『大人の流儀 2』(書籍の表紙は「続・大人の流儀」)
2011年12月12日第1刷発行
講談社



✒ 編集後記

『大人の流儀』は手元に1~10巻あります。今後も出版されることでしょう。出版されればまた入手します。

伊集院静氏は2020年1月にくも膜下出血で入院され大変心配されましたが、リハビリがうまくいき、その後退院し、執筆を再開しています。

伊集院氏は作家にして随筆家でもあるので、我々一般人とは異なり、物事を少し遠くから眺め、「物事の本質はここにあり」と見抜き、それに相応しい言葉を紡いでいます。

🔷 『なぎさホテル』について少しだけお話します。
『なぎさホテル』(小学館 2011年7月6日 初版第1刷発行 2011年10月11日)

帯に「このホテルから私の小説がはじまりました。伊集院静」と自筆で書いています。

この本のプロローグに次のように書いています(抜粋)。

「西にむかう切符を買おうとして、ダイヤ表を見あげた時、関東の海を一度もゆっくりみていないことに気付いた。
 ----関東の海を少し見てから帰るか。
 横須賀線に乗って降り立ったのは、逗子の駅だった。ちいさな駅だった。
 葉山の釣宿に泊まり、一日海を見て過ごした。やはり海は良かった。私は少年時代、目の前が海の環境で育っていたから海は見ているだけで安堵あんどをもてた。
(中略)
 二日目、私は朝から海岸沿いを逗子まで歩いた。昼過ぎ、逗子の海岸にいた。缶ビールを手に砂浜に座っていた。
『昼間のビールは格別でしょう』
 声に振りむくと一人の品の良い老人がいた。老人は冬の海の素晴らしさを私に語った。
(中略)
 私はこの辺りに安い宿はないかと尋ねた。
『このうしろも古いですが、ホテルですよ』
 その人が”逗子なぎさホテル”のI支配人だった。
 それから七年余り、私はこのホテルで暮らした」

「ともかく金がない若者だったから、部屋代などまともには払えなかった。
『いいんですよ。部屋代なんていつだって、ある時に支払ってくれれば。出世払いで結構です。あなた一人くらい何とかなります』
 I支配人は笑って、私が少し旅に行くと言うと、旅の代金まで貸してくれた。
 今、考えると見ず知らずの若者にどうしてそこまでしてくれたのか、わからない。I支配人だけでなくY副支配人女史をはじめとする他の従業員の人たちも青二才の若者を家族のように大切にしてくれた。
 ホテルで過ごした七年余りの日々は、時折、思い起こしても、夢のような時間だった」

前回にも書きましたが、「支配人は伊集院氏という人物を見抜いていたのでしょう。『昔は外国航路の厨房長だった』し、『氷川丸にも乗っていた』経歴がある人だったので、おそらく多くの顧客や従業員を見てきたのでしょう。

当時の伊集院氏は何か光るものを持っていたのでしょう。
たとえそうであっても、支配人がしたことは誰にでもできることではありません」

なぎさホテルは実在しました。しかし、今は取り壊されありません。
当時の写真が掲載されています。


⭐ 出典元: なぎさホテル 逗子市





🔶 伊集院静氏の言葉は、軽妙にして本質を見抜いたものです。随筆家としても小説家としても一流であることを示していると私は考えています。


<著者略歴 『大人の流儀』から>

1950年山口県防府市生まれ。72年立教大学文学部卒業。

91年『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で第107回直木賞、94年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。

作詞家として『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』などを手がけている。








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