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盛田昭夫 『21世紀へ』(025) 第3章 マーケットの創造 「あくまでSONYを貫く」(1976年)から



盛田昭夫 『21世紀へ』(025) 第3章 マーケットの創造 「あくまでSONYを貫く」(1976年)から


ソニーは3期連続で大赤字の決算になることを、平井社長は記者会見の席上で明らかにしました。

テレビ事業は分社化し、VAIOブランドで親しまれたパソコン事業をファンドに売却することを決めました。

今後、ソニーは映画やイメージセンサー、デジカメなどの映像事業と、ソニー生命やソニー銀行などの金融事業の2本柱をコア事業にしていこうと目論んでいます。

ソニーのモノづくりはなくなってしまうのでしょうか?

ハードウェアを捨て、ソフトウェアに特化してしまうのは、ソニーらしさをなくしてしまうことになり、とても残念に思います。

ソニーは、ハードウェアとソフトウェアを高いレベルで融合できた会社だったからです。

しかも、ハードウェアが主で、ソフトウェアが従であったはずです。

完成品である「モノ」で勝負できた会社の一つであっただけに、「普通の会社」になってしまうかもしれない可能性が高くなりました。

「部品」を提供するだけの下請けや、黒子に成り果ててしまうのではないかと思うと、なんともやりきれない気持ちになります。

ソニーはどこへ行くのか?


『21世紀へ』 盛田昭夫
2000年11月21日 初版発行
ワック


目次

はじめに

第1章 経営の原則

第2章 人材の条件

第3章 マーケットの創造

第4章 国際化への試練

第5章 経済活性化の原理

第6章 日米関係への提言

第7章 変革への勇気

第8章 日本国家への期待

第9章 新世界経済秩序の構築

あとがき




第3章 マーケットの創造

「あくまでSONYを貫く」(1976年)から

私たちは二〇年も前に、自己資本比率を五〇パーセント以上に向上させようという目標を立て、その実現のためには、銀行からの独立を図ることだと決心し、今日まで努力を積み重ねてきた

 ソニーは、業績を忠実に反映する資本市場で、しかも時価発行によって資本を調達しようと考えた。しかし、そのためには、まず自己資本の充実が急務であった。私たちは二〇年も前に、自己資本比率を五〇パーセント以上に向上させようという目標を立て、その実現のためには、銀行からの独立を図ることだと決心し、今日まで努力を積み重ねてきた。
 その努力がどうやら実を結び、現在ではソニーの自己資本比率は五一・二パーセントと、目標を上回ることができた。同時に、世界のリーディング・ボードに株式を上場し、いずれもアクティブなトレードが行われることも可能になったのである。   

21世紀へ 盛田昭夫 073 p. 133 


「あくまでSONYを貫く」(1976年)から

ソニーのワールド・ビジネスを振り返ってみて感ずるのは、1つのビジネスが完成するには10年かかる、ということである

 ソニーのワールド・ビジネスを振り返ってみて感ずるのは、1つのビジネスが完成するには10年かかる、ということである。
 ソニーは、新しい製品を次々と発表するので、非常に気の短い企業だと思われるかもしれないが、実際には、何事も10年サイクルで考え、実行してきたといえると思う。
 新しい技術が開発されて実用化されるまで10年、それがビッグビジネスになるまでまた10年を要する。たとえば、「ビデオ・テレビ」はソニーが開発してから18年たったいま、テイク・オフを始めている。当初は真空管式の大きな機械だったのがトランジスタ化され、技術が進歩して10年目にUマチックというコマーシャルな機会が完成した。そして、今度、いよいよ一八年目に「ベータマックス」として家庭に入り始めたのである。

21世紀へ 盛田昭夫 074 pp. 134-135 


「あくまでSONYを貫く」(1976年)から

まずマーケットをクリエイトしなければ、いかに優秀な商品でも売れない。マーケットをつくるには、自分で自分のブランドを確立しなければならない。マーケットが拡大してきたら、現地で生産を開始する。資金調達は、よい会社が有利に調達できるような市場と方法で調達する……。みなすべて、単純明快な原則である

 まずマーケットをクリエイトしなければ、いかに優秀な商品でも売れない。マーケットをつくるには、自分で自分のブランドを確立しなければならない。マーケットが拡大してきたら、現地で生産を開始する。資金調達は、よい会社が有利に調達できるような市場と方法で調達する……。みなすべて、単純明快な原則である。
 もう一例あげれば、SONYというブランド名の決定のときもそうだった。日本語の名前では、世界中で商売できるはずがない。簡単で、覚えやすく、しかも世界中どこも同じ発音で読める名前にしよう。この原則にもとづいて、ソニーというブランドが決まった。あのとき、カナ文字の社名などおかしい、というような批評をいろいろ頂戴したが、世界中で通用するように組み合わされた文字が、席に通じないはずはない、と私は確信を持っていた。 

21世紀へ 盛田昭夫 075 pp. 135-136 


「あくまでSONYを貫く」(1976年)から

物理は「真理を探求する学問」である、というのは大きな間違いで、物理とは「たくさんの現象を、なるべく簡素化した法則で説明する学問」なのである

 ソニーがシンプルな原則にもとづいて経営してきた背景には、当社に物理屋が多かったこともあずかっているかもしれない。
 物理は「真理を探求する学問」である、というのは大きな間違いで、物理とは「たくさんの現象を、なるべく簡素化した法則で説明する学問」なのである。リンゴが木から落ちる、重いものを重いと感ずる、それは重力によるのだというというように、共通の説明できる法則を発見するのが物理学なのだ。

 私たち物理屋の頭はそうトレーニングされているので、何事をやるにも、その本質は何か、根本原則は何か、をまず考える。そして、根本原則を発見すると、必ずそれが通用すると信じこむことができる。
 アメリカ市場の開拓に当たっても、後にいわゆるソニー方式と呼ばれる「よい商品を正当な価格で販売する」という根本原則を貫くことができたのも、この身についた物理的思考がものをいったのかもしれない。 

21世紀へ 盛田昭夫 076 pp. 136-137 



盛田昭夫公式ウェブサイト



➳ 編集後記

『21世紀へ』を読み返して感じたこと

『21世紀へ』は、20世紀を全力で走り抜けてきた盛田さんが、このままでは日本がダメになるという危機感に、すべての日本人が気付いてほしいという悲痛な気持ちが伝わってくる本です。

盛田さんの「予言」はいみじくも当たってしまいました。
少なくとも現状においてですが。

この警世の書に書かれていることの多くが当たっています。

盛田さんの慧眼は本当に素晴らしいと思いました。

本書をアマゾンや楽天でなくても、ブックオフ等で目にしたら、ぜひ手に入れてください。なかなか見つからないかもしれませんが。

その内容の濃さと経験に裏打ちされた説得力のある文章に惹きつけられることでしょう。

⭐盛田昭夫さんの言葉の数々は、時として大言壮語と感じることがあるかもしれません。しかし、盛田さんはそれだけ、ソニーの行方が気がかりだっただけでなく、21世紀において世界の中の日本がどのように変貌していくのか、気になって仕方がなかったのだろうと推測します。

21世紀のソニーと日本を自分の五感を通じて確かめたかったに違いありません。しかし、その願望は叶いませんでした。1999年に亡くなられました。


🔴「まずマーケットをクリエイトしなければ、いかに優秀な商品でも売れない。マーケットをつくるには、自分で自分のブランドを確立しなければならない。マーケットが拡大してきたら、現地で生産を開始する。資金調達は、よい会社が有利に調達できるような市場と方法で調達する……。みなすべて、単純明快な原則である」

いまでこそ、「マーケットの創造」という言葉も概念も当たり前と考えられるかもしれませんが、当時の盛田昭夫さんをはじめとしたソニーの経営陣や社員は「マーケットをつくる」ことに心血を注いでいたことが推測できます。

マーケティングの重要性に早くから気付いていたのです。


🔴「SONYというブランド名の決定のときもそうだった。日本語の名前では、世界中で商売できるはずがない。簡単で、覚えやすく、しかも世界中どこも同じ発音で読める名前にしよう。この原則にもとづいて、ソニーというブランドが決まった」

このエピソードからは、ソニーは早くから世界市場に向けてアピールし、販売を拡大して行こうとしていたことが窺われます。

社名を漢字やカタカナではなく、アルファベットにしたのはそういう意味が込められていたのです。

社名で思い出したことがあります。
すでに消滅してしまいましたが、カメラフィルムの世界市場を富士フィルムと二分していたコダックについてです。

KODAKというスペリングは、左から読んでも右から読んでも発音が近いことがわかります。

なぜこの社名にしたのでしょうか?
それは、アラビア語やヘブライ語は右から左に読む言語だからだそうです。
コダックには、これらの言語を使う人たちにも使ってもらいたいという強い意志があったからでしょう。

余談になりますが、コダックはデジカメ化の世界の潮流を読み誤り、フィルムカメラ市場が縮小するという将来予測に対応できなかったのです。

大企業でも世界の趨勢を読み違えると、淘汰されるという実例です。

富士フイルムは、現在、チェキというインスタントカメラで市場を独占しています。富士フイルムはチェキのカメラもフィルムも生産しています。

チェキは、特に、アジアで大人気だそうです。デジカメは高価ですし、スマホでは撮影できてもその場で印刷することはできません。

しかし、チェキは違います。その場で写真が見られるのです。

日本でも若い人たちに人気があるそうです。撮影したら、プリントされた印画紙が出てくるので、サインペンなどで書き込んで、渡したり交換できます。かなり需要があるのでしょう。



盛田さんは、一点の曇りもなく、自分に正直で、言行一致した行動派の経営者でした。また、今ではなかなか見つからないダンディなジェントルマンでもありました。表現がダサい? 古い?



⭐ソニーの現状 (ソニーグループの子会社)


ソニーを日本企業とは知らない人たちがいることに驚きました。

ここ数十年で業態を変えてきたことは、世の中の変化に素早く対応できることを示しています。

ソニーは「エレクトロニクス・プロダクツ&ソリューション分野」を扱う企業ということになりますが、半導体も生産していますし、得意な映像技術を深掘りしています。映画部門も持っていますね。

極論すれば、音と映像を2本柱にして、これらに関わる技術を開発し、横展開していると言えます。

ただし、ウォークマンが大ヒットしたあと、アップルの iPhone のようなスマートフォンがなぜ作れなかったのかと悔やまれます。技術力はあったはずです。目利きが及ばなかったのでしょう。

スマホがここまで世界中に受け入れられるとは想像していなかったのかもしれません。


⭐『21世紀へ』について

『21世紀へ』に関するこのブログを最初に投稿したのは、アメブロで10年前(2014-08-04 21:47:10)のことでした。

note に再投稿するにあたって、大幅に加筆修正しました。

『21世紀へ』の「はじめに」の1行目から2行目にワック編集部による
この本の説明が書かれています。

本書は、井深大と並ぶソニー株式会社のファウンダー(創業者)盛田昭夫によって、1960年代から90年代にかけて執筆された論文の集大成である。

21世紀へ 盛田昭夫 p. 1  


ソニーは日本を代表する世界的企業であることに異論はありません。



✑ 盛田昭夫氏の略歴

巻末の「著者紹介」から

盛田昭夫(もりた あきお)
ソニー創業者。1921年生まれ。大阪大学理学部卒業。
海軍技術中尉に任官し、井深大と出会う。
46年、井深とともにソニーの前身、東京通信工業を設立。
ソニー社長、会長を経て、ファウンダー・名誉会長。
この間、日米賢人会議メンバー、経団連副会長等を歴任。
海外の政財界にも幅広い人脈をもち、日本の顔として活躍した。
98年米タイム誌の「20世紀の20人」に日本人として唯一選ばれる。
99年死去、享年78。
著書に『学歴無用論』(朝日文庫)『新実力主義』(文藝春秋)
『MADE IN JAPAN』(共著、朝日文庫)『「NO」と言える日本』
(共著、光文社)等がある。


(5,193 文字)


⭐出典元



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