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【マキアヴェッリ語録】 第5回

マキアヴェッリ語録


🔷 塩野七生しおのななみさんの『マキアヴェッリ語録』からマキアヴェッリの言葉をご紹介します。マキアヴェッリに対する先入観が覆されることでしょう 🔷

7年前にブログで投稿した記事を再構成して、お届けします。
(2015-04-26 16:23:55 初出)


目的は手段を正当化する

 マキアヴェッリ(日本ではマキャベリと表現されることが多い)は『君主論』の著者として知られ、「マキャベリズム」が人口に膾炙しています。


 その思想を端的に表現する言葉は、「目的は手段を正当化する」です。


 目的のためならどんな手段を講じてもかまわない、と解することが多いですね。


 実は、私もこの書を読むまではそのように解釈していました。
 言葉を文脈の中で解釈せず、言葉が独り歩きすることの怖さは、風説の流布でも経験することです。


 福島第一原発事故以後、周辺にお住まいの方々は風説の流布に悩まされ続けています。拡散した誤情報はさらに誤情報を加え、拡大していきます。
 容易に訂正されることはありません。


 話しを戻しますと、マキアヴェッリの実像はどのようなものであったのか、そして「目的は手段を正当化する」と言っていることの真意は何だったのか、を知りたいと思いました。


 先入観を取り払い、大前研一さんが言う、「オールクリア(電卓のAC)」にしてマキアヴェッリの説くことに耳を傾けることにしました。


 マキアヴェッリは、1469年5月3日にイタリアのフィレンツェで生まれ、1527年6月21日に没しています。15世紀から16世紀にかけて活躍した思想家です。500年位前の人です。

 


 塩野七生しおのななみさんは、「まえがき」に代えて「読者に」で次のように記しています。塩野さんが解説ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由を説明しています。


 尚、10ページ以上にわたる説明からポイントとなる言葉を「抜粋」しました。

塩野さんが解説ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由


この『マキアヴェッリ語録』は、マキアヴェッリの思想の要約ではありません。抜粋です。
なぜ、私が、完訳ではなく、かといって要約でもなく、ましてや解説でもない、抜粋という手段を選んだのかを御説明したいと思います。

第一の理由は、次のことです。
彼が、作品を遺したということです。
マキアヴェッリにとって、書くということは、生の証あかし、であったのです。

マキアヴェッリは、単なる素材ではない。作品を遺した思想家です。つまり、彼にとっての「生の証し」は、今日まで残り、しかもただ残っただけではなく、古典という、現代でも価値をもちつづけているとされる作品の作者でもあるのです。生涯を追うだけで済まされては、当の彼自身からして、釈然としないにちがいありません。

抜粋という方法を選んだのには、「紆曲」どころではないマキアヴェッリの文体が与えてくれる快感も、味わってほしいという私の願いもあるのです。そして、エッセンスの抜粋ならば、「証例冗漫」とだけは、絶対に言われないでしょう。

しかし、彼の「生の声」をお聴かせすることに成功したとしても、それだけでは、私の目的は完全に達成されたとはいえないのです。マキアヴェッリ自身、実際に役に立つものを書くのが自分の目的だ、と言っています。
 

『マキアヴェッリ語録』 「読者に」から PP.3-6、15        

  


 お待たせしました。マキアヴェッリの名言をご紹介していきます。


マキアヴェッリの名言


第1部 君主篇


国を守るためには、信義にはずれる行為でもやらねばならない場合もあるし、慈悲の心も捨てねばならないときもある。人間性をわきに寄せ、信心深さも忘れる必要に迫られる場合が多いものだ。

だからこそ、君主には、運命の風向きと事態の変化に応じて、それに適した対応の仕方が求められるのである。また、できれば良き徳からはずれないようにしながら、必要とあらば、悪徳をも行うことを避けてはならないのである。                        
   

『マキアヴェッリ語録』 「君主論」から P.71             



成功を収めるには2つの方法があるということだ。第1の方法は法律であり、第2の方法は力である。

第1の方法は、人間のものであり、第2の方法は、野獣のものである。

しかし第1の方法だけでは多くの場合充分でないのが現実だから、第2の方法の助けを借りるほうが有効であることを知っておく必要がある。

要するに君主は、人間的なものと野獣的なものを使い分ける能力をもっていなければならない、ということになる。

『マキアヴェッリ語録』 「君主論」から PP.72-73          
                    
                    
 


               
   

          
善人としての評判を得ていた人物が、目的達成のために悪を為さざるをえなくなったときは
、普通ならば、少しずつ人の注意をひかないようにしながら、やり方を変えていくほうがよい。

だが、もしも好機が訪れれば、一朝にして変わるほうが有効だ。

なぜなら、変容があまりにも急なものだから、以前のやり方で得ていた支持者を失うより先に、新しい支持者を獲得することができるからである。

これを守らない場合、あなたの真意は人の知るところとなり、ために以前の支持者すらも失ったあげく、破滅に向かって突進することになるわけだ。

『マキアヴェッリ語録』 「政略論」から P.75           


マキアヴェッリの語る言葉は深い

                            
🔶 マキアヴェッリの語る言葉は深い、と思います。

『マキアヴェッリ語録』を読むと、500年前の人物が語ったとはとても思えません。

マキアヴェッリは今ここに存在するかのように、現代の君主(リーダー)のあり方を率直に語っているように感じます。

キレイ事だけでは、人を取りまとめ、多くの人を守り、より良き方向へ導く(リード)ことはできないということです。

八方美人は君主(リーダー)にはなれないのです。すべての人に好かれることなど不可能です。それどころか、信用されません。

好かれることばかりを気にかけ、嫌われることを恐れている人は、リーダーに不向きです。

考え方に一貫性がなく、コロコロ変わってしまうからです。
そんな人物を信用、信頼できますか?


「悪者」になりきらなければならない時が必ず、あります。




🔷 著者紹介

塩野七生(しおのななみ)<著者紹介から Wikipediaで追加>

日本の歴史作家、小説家である。名前の「七生」は、ペンネームではなく本名。
東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。

日比谷高時代は庄司薫、古井由吉らが同級生で、後輩に利根川進がいて親しかった。

1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。

同年から再びイタリアへ移り住む。『ローマ人の物語』にとりくむ。

2006年に『第15巻 ローマ世界の終焉』にて完結した(文庫版も2011年9月に刊行完結)。『ローマ人の物語Ⅰ』により新潮学芸賞受賞。

99年、司馬遼太郎賞。

2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。

2007年、文化功労者に選ばれる。

高校の大先輩でした。



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