暗殺拳の継承者、音楽家になる -三話 繋がる道-

 タンタンタンタン、タンタタン。
 靴音が人気のないビルで曲のように鳴り響く。

 『創作において大事なのは、とにかく完成させる事』とはよく言ったもので、どんなに稚拙でも、粗削りでも。曲として完成させていくと、達成感と共に、曲作りがどんどんと上達していくのが感じられた。

「……このリズム、今作ってる曲に使えるかなぁ……」

 そんな中で生まれた、新しい悩みもある。
 最近は曲作りのスピードも上がってきて、作った曲はもう10曲になるのだが、自分の中の曲のレパートリーが少ない事に気づき始めてきた。
 どの曲を聴いても、どこか同じように聞こえるのだ。

 最初の3曲は自身の処女作である『RISING DRAGON 』のビートを変えたり、エフェクトを追加したり、ストリングスや民族楽器を足したアレンジバージョンだったので、どこか同じように聞こえるのも、同じ曲を使っているからだと考えていた。

 次の3曲は完全新作のつもりで作ったが、これもまたどこか同じように聞こえた。これは思いついたフレーズを手成りで作ったので、曲調を意識しないで作ったのと、スキル不足で似たような曲になったのだと思い込んでいた。

 しかし、意図して新しい曲調にチャレンジしようとして作った曲も、やはりどこか似たような曲に仕上がってしまっていたのをみて、もう言い訳や言い逃れは出来なかった。

 レパートリーが少ない。

 テンポも音色も変えて、それぞれ別ジャンルに聞こえるように工夫はしているのだが、どうもどこかで似たような雰囲気になってしまう。なんというか、表現の幅の狭さが、作った曲から感じられてしまう。
 出来た曲を聴いて、原因を読み取ることは出来る。しかし、解決方法の見当がつかない。
 とにかく手探りで解決法を見つけていくしかないので、仕事中の今でも、こうして曲に使える新しいフレーズが無いかを探している。

「はぁ……はぁ……。クソクソクソっ!!なんで俺が……オェ……クソっ!訳分んねぇよ!!!」
「……ゼェ……ゼェ……おい!黙って走れ!!はぁ……追いつかれるぞ……くっ……ぁ……」

 前を走る二人が息も絶え絶えに走る。こちらは相当手を抜いて追いかけているのだが、どんどんと距離が詰まってきている。

 そろそろ仕掛ける頃合いだ。
 切り替えていこう。

 今回の仕事は麻薬組織の撲滅だ。小規模ながら製造、輸入から販売までのルートを組み、着々と力を付け始めているので、これ以上大きくなって脅威になる前に潰して欲しいという依頼だ。
 成長途中とはいえ、もうそれなりの規模を持つ組織だ。その為一度の襲撃で殲滅と言う訳には行かず、師匠との共同で、時間をかけて仕事を進めている。

 師匠は麻薬の輸入ルートの襲撃、俺は売人の始末と言う役割分担で動いていた。

 始めはSNSや電話で客のふりをして呼び出し、始末していった。
 基本は車の中で取引するので、人に見られないように仕事をするのには最適だった。

 ただ最近はやり過ぎたせいか相手も警戒をしてきており、取引を繁華街の街角や路地裏でするようになってきた。繁華街の雑踏では探すのも、人に見つからないように始末するのも、それなりに苦労をする。

 午前2時を過ぎた頃。繁華街からも人の姿が消え始める深夜。
 奴らはそっと現れる。

 12時前の宵の口では遊びまわる人々や巡回中の警察官、町内の自警団に隠れるようにしていて見えないが、人が少なくなってきた深夜になると姿が見えるようになってくる。

 ベロベロに酔っぱらって路上で眠りこける寸前の人や、終電を逃したりして行き場を無くしている人たちでも狙っているのだろうか?
 理由は分からないが、人が少ない時間に現れてくれるのはこちらにも好都合だった。

 フードを被って暗くなった繁華街を歩いていると、道端で目くばせをしている男と目が合う。
 目をそらさずにじっと見つめて、こちらからへらっと笑いかけると、男はこっちに来いと言わんばかりに顎で人けのない方を指し、そのまま歩いて行った。

 空きテナントが目立つ繁華街の外れの、更に路地裏まで着いていくと、別の男が待ち構えていた。

 ゴミ箱に腰掛けて、煙草をふかしながらこちらをじっと睨んでいる。

「1パケ、イチゴーだ」

 路地裏まで導いた男が振り返って、ぶっきらぼうにそういった。
 後ろに下がろうとすると、いつの間にか屈強な大男が立って、道をふさいでいた。間違っていた時に逃がさない為だろうか。

「どうした?買わないのか?」
「いや……その……高くないですか……?」

 渋るそぶりをすると、大男が肩をつかんできた。

「うるせぇ。さっさと出せ」

 低く、小さな声でそう言った。目は血走っており、肩をつかむ手にも力が入っている。
 目の前の二人も余裕が無さそうにそわついており、見るからに苛ついている。

「わっ……分かりました……。今出しますので……」

 俺がおびえながらポケットに手を入れると、肩を掴んでいる手の力が少し抜けた。それを合図に肩をつかむ手を掴み、大男を引き寄せた。振り返りながらポケットのペンを抜き、引き寄せた大男のこめかみに突き刺した。
 タクティカルペン、護身用でも使われる特殊なペンだ。中身の入った缶を貫通する程の丈夫さを持つそれは、容易に人の頭蓋を貫き、ペンの半分ほどまで男の頭に深々と突き刺さった。。

「なっ……何やってんだてめぇ!!」

 前の男が叫ぶ。ゴミ箱に腰掛けていた男は咥えていた煙草を落とし、ただ固まっていた。

 大男の頭に深々と突き刺さっていたペンを引き抜き、掴んだ腕を離した。
 大男はそのまま糸が切れた操り人形のように倒れ、大口を開けたままビクビクと小刻みに震えた。

「ひ……ひぃいいいいいいいいいい!!」

 甲高い悲鳴を上げ、男二人は一目散に逃げだした。

 ここまでやって、ようやく逃げ出してくれるのか。 
 こちらも待ってましたとと言わんばかりに追いかける。

 繁華街の外れの更に路地裏とはいえ、曲がりなりにも繁華街の一角なのでここでこれ以上の騒ぎを起こすのはまずい。
 逃げた男たちを人けのない方へ、人けのない方へと誘導するように追いかけていく。

 そうして追いかけておおよそ5分。路地裏を通りながら、二人を空きビルへと追い込んでいく。ここらの地理は完璧に頭に入っているので人気のないところ、人気のないところへと誘導するのは容易かった。

 空きビルに入ってからはもう時間の問題だった。後は相手の体力が切れて足を止めるか、痺れを切らして反撃してくるかを待つだけだった。

「はぁ……はぁ……」
「おぇ……」

 前を行く二人は完全に息が切れていて、悪態を突く元気もなく、もはや足が止まる寸前だった。

 そろそろか。

 誘導して、二人を部屋へと追い込む。

「あっ……!」

 入った部屋が行き止まりだと気づき、男二人はお互いに顔を見合わせる。
 一人は奥へと後ずさり、もう一人は観念したのか、息を切らしながらこちらをにらみつけてくる。

「くそっ……やってやる!やってやるよ!!」

 手前の男が吠え、ポケットからナイフを取り出した。

 大きな隙だ。ありがたい。

 1,2ステップで距離を詰め、何も遮るものが無い鼻面にそのままの勢いで左の縦拳を打ち込む。鼻がぐじゃりと潰れる感触を感じながら、間髪入れずに右手のペンをこめかみに突き立てる。

 男が力なく沈み、突き刺さったペンに膝立ちでぶら下がっている。

 ペンを引き抜き、血を振り払うと、もう一人の男の方へと向き直る。

「ひ……ひぃ!」

 男は弱弱しくファイティングポーズを取るが、構わずに距離を詰め、ステップの勢いで同じように左拳を顔面に突き立てる。

 先ほどの男と同じように、拳が顔面に深く刺さった。同じく間髪を入れずに、引手の勢いで同じようにこめかみにペンを突き立てに行く。しかしペンはこめかみを外れ、額の肉を切り裂き、辺りに盛大に血しぶきをまき散らした。

「ぎゃあああああああ!」

 しまった、仕留めきれなかった。

 俺は慌てて、額を抑えて屈もうとする男の髪を掴んだ。そしてそのまま引き倒し、地面に頭を押さえつけて後頭部にペンを突き立てた。

 深々と突き刺さったペンは脳幹を貫き、男の命を奪った。男はその場から起き上がることなく、血だまりの中で身体を硬直させ、ビクビクと小刻みに震えていた。 

 麻薬の売人三人を始末し、仕事を終えた俺は自分の拳をじっと見つめた。
 まただ。また最後の最後で手間取った。

 このところ、最初の一人二人はすんなりと始末出来るが、それより多い人数を相手取ると一手多く、手間がかかっている。
 なんとなくだが『技が読まれている』という感覚がするのだ。

 原因については、なんとなく分かっている。
 今回のように同じような仕事を繰り返し、繰り返し行っているうちにおぼろげにそれが見えてきた。どうやら自分は音楽だけでなく、暗殺の方でも技のレパートリーが少ないようだ。

 今までは少人数を相手取る仕事や、めちゃくちゃやる乱戦のような仕事が多かったので、何とか力業で誤魔化してこれたのだが、今回のような複数人数を相手取る仕事、それも長期に渡って同じことを繰り返していると徐々にボロが出始めてきているような気がする。

 自分は何につけてもレパートリーが少ないのだろうか。
 しばらく思い詰めていると、ふと遠くでサイレンの音が聞こえてきた。

 その音で我に返り、今の自分の状況を思い出した。
 血まみれの部屋で転がる二つの死体と、そばに立つ血に濡れたペンを持つ男。こんな場所で物思いにふけって、ぼさっと立っているのなんて言語道断だ。一刻も早くこの場を去らねば。

 俺は直面した問題と煮え切らない思いをひとまず胸にしまい、死体の転がるその部屋を後にした。

 
 仕事を終えて山奥の隠れ家に戻ると、空はほんのりと明るくなってきていた。
 悩みと疲労で重くなった頭を抱えてひと眠りすると、起きた時には昼を過ぎて太陽はすっかりと登り切っていた。

 疲れは抜けきれておらずまだ眠っていたかったが、腹の音がうるさく鳴って早く起きろと催促をしてきた。
 そういえば昨日の夜から何も食べてはいなかった。

 疲れが残った身体を無理やり起こして廊下に出ると、台所の方から食欲を刺激する甘い匂いが漂ってくる。
 匂いにつられて台所へ向かうと、師匠がエプロン姿で立っていた。

「おはようございます、師匠」
「うむ、おはよう。飯ができるから、顔を洗ってきなさい」
「はい!ありがとうございます!」

 顔を洗って着替えると、テーブルに昼食もとい自分にとっての朝食が並べられていた。

 ドロドロの濃厚なコーンスープに素饅頭、それに茹でたチンゲン菜と蒸し鶏のスライス。甘い味噌だれと揚げネギも添えられていた。
 疲れている身体にはうれしいメニューだ。最上のご馳走を目の前にして、喉も腹も大きく鳴った。

「ゴホ……冷めないうちに食え」
「はい、いただきます!」

 まずはコーンスープから手を付ける。お粥のようにとろみのあるスープを口に含むと、トウモロコシの自然な甘みと鶏の出汁の風味がいっぱいに広がった。ふわりと混ぜられた卵とシャキシャキとしたトウモロコシの粒がアクセントとなっていて、スープだけでも十分な満足感を得られた。
 蒸したてで、ふんわりと柔らかい饅頭をちぎってスープに浸す。トウモロコシの甘い匂いに、小麦の甘い匂いが加わって鼻孔をくすぐった。熱々のそれを口に押し込むと、ジューシーな甘さがぶわりと広がった。

 蒸し鶏のスライスもほのかに温かく、下ごしらえに一工夫が施されたであろうそれはパサつくことなど無く、風味豊かに肉汁を蓄えていた。
 饅頭を割り、その間に蒸し鶏と味噌だれ、そして揚げネギを挟み、即席の肉まんを作る。それに齧り付くと口の端からあふれんばかりに肉汁が飛び出し、甘い味噌と香ばしいネギと混ざり合い、一体となって口内を満たしていった。

 箸休めにシャキシャキの青梗菜を食べると、甘さと旨さでいっぱいとなった口が青菜の清涼感でリセットされ、またスープや饅頭に手が伸びてしまう。

「旨いか?」
「はい!最高です!」

 師匠の真心が腹と心を満たしていき、悩みでいっぱいだった頭が少しづつほぐれていった。
 山のようにあった料理は、悩みと共に次々と腹の中に納まっていった。

「……それで、何を悩んでいるんだ?」

 テーブルの料理をあらかた平らげ、3杯目のスープを飲み干そうとしている時だった。何の前触れもなく師匠に突如問われたので、コーンスープを吹き出しそうになった。
 吹き出しそうになるスープを飲み干し、口を拭いながら答えた。

「……気付いておられましたか?」
「うむ。中身までは分からぬが、お主の顔を見れば、悩みがあるのは手に取るように分かる」

 頭を掻きながら、恥ずかし気に少しうつむいた。
 師匠にはかなわないな。師匠の観察眼の鋭さを目にして、改めてそう感じた。

「はい、実は……」

 俺は音楽の事は抜きにして、昨日の仕事の最中に起こったこと、感じたことを交えながら悩みをぽつりぽつりと話し始めた。

「なるほど……ゴホッ、技のレパートリーが少ないことで悩んでおるのだな」
「はい。ここ数日の仕事をこなしていく中で、自分の技の引き出しの少なさに気が付きました。なにか……技の引き出しを増やす良い鍛錬はありませんでしょうか?」

「……ふむ。まぁ、そもそもの我が流派における攻め手の技は少ないからなぁ……。技のレパートリーの少なさで行き詰るのも、至極当然の事と言えるだろうか」
「えっ!?」

 思わず、大きな声が出てしまった。

「ゴホッ……フフフ、4000年も続いているのに意外か?」
「あっ。いえ、その……」

 大声を出したのと、驚きを指摘された恥ずかしさで、顔が少し赤くなった。

「我が流派の『無影手』は暗殺拳という性質上、手合わせや立ち合いよりも奇襲などで相手より先んじることに重きを置いている。よって、その場面場面での技の引き出しは多数あるが、場面ごとでの技の種類はそう多くない」
「そう、だったんですね……」

「さらに言えば相手の殺傷を前提としている拳法なので、同じ相手と二度戦うことは想定していない。つまりは……ゴホ……裏を返せば、技を見切られる想定はしていないということだ。……一度見せたら相手は死んでいるわけだからな。
 俗っぽく言うと、初見殺しや分からん殺しに特化した拳法が我が流派、無影手となる。なので、技のレパートリーが少なくてもやってこれた、という訳だ」
「なるほど。暗殺を目的とする殺人拳ならば見切られる心配はないので、レパートリーは少なくとも、奇襲性に優れた技一つ一つ磨く方が理にかなっている。ということですね」

「左様。さらに言えば……その初見殺しの技が事前にばれてしまっては対処をされてしまうので、外部に知られないようにすることが重要だ。その為の門外不出、他流試合禁止。ゴホ……武術の門外不出には、そういうからくりがあるのだ」

 目から鱗だった。言われてみれば、今までの仕事では奇襲や先制攻撃で構えすらしていない相手を倒すことがほとんどだった。
 加えて、無防備な相手が態勢を整える前の一瞬の隙を突くためには、とにかく出が早い技を使う必要があったので、意図せずとも使う技は限られていた。

 今回は同じ内容の仕事を繰り返し行っていたので、複数人相手でも意識なく同じ技を繰り返し、選択していたのだと今となって気が付いた。

「まぁ実践を想定している武術ならば、どこの流派でも初見殺しの技は持っているし、技のバリエーションが少ないから弱いということもない。
 ゴホ……例えば、剣術になるが……納刀の状態から、素早く刀を抜いて切りかかる居合などは奇襲や初見殺しのいい例だ。技の少なさで言えば、薬丸自顕流は技の少なさゆえに修練が早く、必殺の一撃を持つ剣術だと恐れられていたという」

「師匠。その……初見殺しの技がバレていた時にはどのように対処すれば良いでしょうか?例えば……誰かに技を知られたり、複数人を相手にしていて技を見られたりなど、そういう場合もあるかと思います」

「ゴホッ……ふむ……試合を前提としている武道ならば、フェイントや崩しといった牽制を交えて仕掛けたりするのが定石だ。
 逆に『後の先』と言って、仕掛けてきた技に対応する待ちの戦術もある。後は……ガードが出来ないような強力な攻撃をする、という手段もある……がお主が言いたいのは、そういうことではないのだろう?」

「はい。武道や武術ならば牽制を交えて仕掛けることが定石です。
 しかし、そうすると牽制の分、ワンテンポ遅れが生じます。崩しととどめの二手、可能であれば一手で決める『二撃必殺』が我が流派の基本理念です。ですので……ええと……」

「ゴホ……いや、その先は言わんでいい。つまりは初見殺しの技が初見で無くなった場合には、いかにして必殺の一撃を決めるか。ということだな?」
「はい、その通りです」

 奇襲技の最大の強みは相手の不意を突けるところにあり、知られてしまっては、その強みは無くなる。さらに言えば仕掛ける側は技を知られていない前提で打つので、技を打つ時の心の隙が他の技よりも大きい。
 知られている奇襲技をかけるのは、下手に普通の技を仕掛けるのよりもよっぽど危険な行為だ。

「ふむ……いくつか方法はあるが、一つは知られているという前提で技を仕掛けることだ」

「知られている前提……ですか?」
「左様。一度技を見せ、相手に対応させるように仕向ければ、それは相手の
技を読み切ったのと同じ。隙だらけの体に打ち込むのと同じことだ」

 なるほど。見切られているという前提で動く、という発想か。
 確かに相手の練度が高ければ高いほど、見切った技に後の先で対応した方が楽だし、自ら仕掛けに行くよりも危険も少ない。それが初見殺しに頼っている奇襲技ならばなおさらだ。
 見切られているか否かの判断は非常に難しいが、相手の立ち振る舞いなどで、ある程度の目星は付けられる。

「そうすると……相手の力量を推し量る観察眼と、見切られていることを分かっていないようにふるまう演技力が必要になってきますね」

 師匠がにやりと笑う。

「ゴホ……あとはまぁ、単純に技のレパートリーやバリエーションを増やすことだ。例えば……初動が同じ技が2種類もあれば、相手に2択の選択肢を迫ることが出来る。
 それがどちらの技も見切られていたとしても、選択肢が増えるというだけで脅威となる」

「あの、技のバリエーションを増やすのにはどうしたら良いでしょうか?
 師匠は先ほど『我が流派は暗殺拳という性質上、技のバリエーションが少ない』とおっしゃられました。自分の流派だけでは技のバリエーションを広げられない場合には、他の流派から技を盗み取る……例えば積極的に他流の暗殺拳の使い手と立ち合う、というようなことをすれば良いのでしょうか?」

「そういう方法も悪くはないが……リスクの方が大きいし、自分の技が知られる危険性も高い。そして何よりも技が偏る」
「技が偏る……ですか?」

「左様……ゴホ。同じ暗殺を主目的とした拳ならば、必然的に技も似てくる。レパートリーを増やしたいのならば武道やスポーツなどの……そうだな……表の格闘技を参考にする方が良いだろう」
「スポーツや武道をですか?あれは暗殺や、ましてや殺人を目的としていない、暗殺拳とは真逆の性質の武術です。そのような技が……参考になるのでしょうか?」

「真逆だから、だ。先ほど言ったであろう?『偏る』と。
 同じジャンルのものだと、必然に似通ったものになってしまう。
それを打ち破るには真逆の、全く違うものを参考にするのが一番だ。
 ゴホ……なに、別にただそのまま真似しろという訳ではない。その技を見て学び、自分なりに解釈し、自分に合った形で参考にしろと言っているのだ。
 我が流派『無影手』も同じ技をただ4千年以上継承してきた訳ではない。他流派の良い部分を吸収し、今まである技を再編し、不要な部分をそぎ落とし、改変と改良と変革を重ねてきたからこそ4千年以上続いてきたのだ。
 むしろ4千年以上そのまま伝わった技など皆無に等しい」

 晴天の霹靂だった。今まで自分は無影手の継承者として、教えを忠実に守り、学んだ動きより良くするために工夫してきたつもりだった。その為にはただただ教えの解釈を深める事が重要だと考えていたが、その思い込みのせいで自分の視野がいかに狭くなっていたかを気付かされた。

「気付いたようなだな?……ゴホ。それに有名な格闘技やスポーツならば、本やテレビ、インターネットでたやすく学ぶことが出来るし、街に行けば実際にそれを教えている道場もある。
 難しく、固く考えずに、まずは視野を広く持ち、インプットを増やせ。技に限らず自分の中のレパートリーを、アウトプットを増やすのにはそれしかない。まぁ……次の仕事までは少し時間があるから、それまで軽い気持ちで色々と参考にしてみると良い」
「ありがとうございます。前を見過ぎていて、いつの間にか視野が狭くなっていたようです」

「拳法家としては致命的だな。視野を広く持っていないと、思いがけないところからの攻撃で痛い目を見るぞ」

 師匠は微笑みながら立ち上がった。

「授業料として、片づけはやっといてくれ。それと……ゴホ。もう一つの悩み事も、これで解決出来たか?」

 師匠はニヤリと笑って俺の横を通り過ぎ、そのままひらひらと手を振って台所を出て行った。師匠が台所から出て行ったのを見て、椅子に寄りかかり、天井を見上げた。

「……音楽の方でも悩んでいることは言っていないはずなんだけどなぁ……」

 全く師匠にはかなわない。そう独り言ちながら皿を流しに運んで行った。
 さぁ、早く洗い物を済ましてしまおう。色々とやりたいことが出来た。
 袖をぐいっとまくり上げ、汚れた皿とスポンジを掴んだ。

 皿洗いと片づけを終えた俺は、さっそく部屋で格闘技やスポーツの試合や解説動画を漁っていた。
 今まではスポーツだから、競技だからと敬遠していたのだが、いざ見てみるとなるほどと感心する事ばかりだった。道は違えど一流の選手は皆、尊敬すべき達人であり、学ぶべきことは大いにあった。
 鍛えた身体とその使い方、立ち合いの際の間合いの取り方、仕掛け方、そして残心の残し方。参考にしたいところは山ほど見つかった。

 逆にどの競技でも学ぶべきことが山ほど見つかってしまうので、何を参考にすべきか、絞っていくのが大変だった。

「……いやいや、だからそれが駄目なんだって」

 一人、頭を横に振った。
 目先の目的のため、ピンポイントで参考になるものを探すことは真に視野を広げることにはならない。
 自分が知りたいことだけを知る、見たいものだけを見ているの、という事のは自分の知っている範囲の中だけで行動しているのと同じで、自分の中には無かった全くの未知に触れ、真にレパートリーを増やすことにはつながらない。
 最短の道を進もうとして、その道で行き詰ってしまうというのはさっきまでの自分がやっていたことだ。

 同じことを繰り返すな。反省をしろ。そう自分に改めて言い聞かせた。
まずは師匠の言うとおりに遠回りでも、進まなくてもいいから、色々な道があるということを知るべきなのだ。

「……ああ、だから『軽い気持ちで』なのか」

 師匠が『難しく』『固く考えずに』『軽い気持ちで』とあえて言ったのがようやく理解できた。
 『役に立てよう』と意識すると、どうしても自分が使えるものを探してしまい、意識せずともチョイスが偏ってしまう。だから『役に立てよう』とか『参考にしよう』とかをなるべく意識せず、楽しむような『軽い気持ち』で色々と見ていくことが視野を広げていくコツなのかもしれない。

 しかし、そういう心意気で臨んでも『全くの未知を知る』というのは非常に難しい。

 『未知を知る』ということは、『存在そのものすら知らない何かを知ろう』とする行為であり、調べ方やたどり着き方すらものによっては分からない。そもそも存在そのものを知らないので『まずそれを知ろう』という考えに至れない。

 例えばスポーツのボクシングや空手、レスリングなどは有名で知っていた為にすぐに調べて試合などを見ることが出来た。
 しかし、東南アジアの伝統武術であるシラットや『剣と棒』を意味するタイの武術のクラビー・クラボーンなどは、各地の伝統武術を調べていく中で偶然知りえた武術だ。他にも軍で使用されているような、近接格闘術のシステマやクラウ・マガなどは、色々な格闘技を調べ始めるまで全く知らなかった格闘術だ。

 それでもスポーツや格闘技ならまだいい。
 格闘技については『伝統武術』や『軍用格闘術』、もしくは『近接戦闘』などで調べれば、少しマイナーなものでもまとめて紹介がされているし、そこから競技や武術の名前で調べればより詳しく分かる。そこまで調べられたら、その技や概要は分かるし、試合や組手の動画が見つかることもある。
 それらに加えて、スポーツやメジャーな格闘技ならば一流の競技者のプレイはいくらでも見つかる。ルールもきちんとあるし、教義もある。ものによっては、一つ一つの技の解説を丁寧にしている動画だって見つかる。

 しかし、音楽になると話は少し違ってくる。

 音楽は一つの作品としては山ほど見つかるが、ジャンルで探そうとしたり、その解説を見つけようとすると、難しさが格段に上がる。そもそも現代音楽は複数のジャンルから影響を受けている作品がほとんどなので、ジャンルで分けられないような作品もたくさんあり、自分が聞きたい音楽や知りたい音楽がジャンルで出てこない場合と言うもある。

 おまけにサブスクリプションや動画サイトで音楽を探していると似たようなものが検索候補やおすすめで出てきてしまう。これはエコーチェンバーというらしいが、これは好みな音楽がどんどんと聴ける素晴らしい仕組みなのだ、何気なしに聴いていると同じような曲ばかり聴いてしまうことになる。
 普段楽しんで聴く分なら良いが、未知の音楽はそうしたフィルターがかかってしまっておすすめされるまま音楽を探していても、自分が思いもしなかった未知のジャンルにはたどり着くことは出来ない。そういう音楽には自ら率先して探しに行かないと、永遠にたどり着くことは出来ない。

 ただとっかかりすら見えない状態で全くの未知の音楽を調べるのは、非常に難しい。偶然素晴らしい音楽に出会えても、そこから自分の知りたい方向にジャンル開拓していくのは困難極まる。
 例えていうのなら、達人同士の立ち合いだけを見させられて、何の武術の使い手かを当てさせられるようなものだ。

 音楽理論や楽器解説などから入っても、それは知識だけが先行して頭でっかちになるだけだ。見聞を広げることとはまた少し違う。

「……予想以上に、見聞を広げるって難しいんだな……」

 見聞を広げるためには未知のものに触れるしかない。
 しかし、未知のものは未知故に知ろうとする発想すら出てこない。

 これも知るための、創作とはまた別の苦難の道なのだろう。

 見聞を広げる、というのもまた一足飛びでは出来ない。道がないところにはいきなり道を作れないように、今ある知識をとっかかりにして新しい知識を広げていく。

 そうして道が次々につながっていって、己の見聞が広がっていくのだ。こればかりは地道に進めていくしかない。

「これも修行……とはいえ、格闘技と音楽。その二つを同時に知る方法はないものか……」

 本業の方をおろそかには出来ないので格闘技の勉強は欠かせないが、同時に音楽の勉強も出来たのなら、それに越したことはない。有効に使える時間は限られているのだ。

 何かないものか。

 そう思い、検索サイトに『格闘技 音楽』の検索ワードを打ち込んでみた。そう上手くはいかないだろうと思いながらも、試しにいくつか動画を漁ってみた。いくつかの動画を早送りで流し見していると、ある一つの動画が目に留まった。

「これは……?」

 頭に戻して始めから再生して真剣に見てみると、そこには自分とは真逆の世界が広がっていた。

 初めて知るその世界に、食い入るように動画を見た。再生が終わった後も、関連動画を漁って、時間を忘れたかのように次々に再生していく。
 あまりにも自分の世界とは真反対なので、流石にこれは参考にはならないかと考えたが、師匠に言われたことを思い出し、考えを改めてまた見始めることにした。

 どのくらい時間が経ったか分からない位に集中してその世界に浸っていたが、部屋の外から聞こえるノックの音に意識を呼び戻された。

 すっかりと固くなった身体を起こし、ドアを開けると、部屋の外では師匠が立っていた。

「ゴホ……順調に進んでいるようだな」

「はい、おかげ様で」

 長い時間集中していたせいか声が上擦って出てしまい、師匠が苦笑した。

「……それで、何の御用でしょうか?」
「仕事の仕上げの日が決まった」

 緩んでいた空気が一瞬にして張り詰めた。

「明日後の夜12時だ。これはワシとお主の二人で行う、心してかかれよ」

原案&協力:オカピー(https://twitter.com/okapy888

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