見出し画像

「自主性」と「主体性」

受け持っている学級が終わりに近づき、寂しさが徐々にこみ上げています。


今日はよく教員同士の議題にあがるテーマについて、自分なりの解釈を記したいと思います。

はじめに書いておくと、教務主任のH先生が、わざわざ僕に時間を割いて教えてくださったことを踏まえ、自分の考えをここに残していこうと思います。「それってこうじゃない?」という意見がありましたら教えていただけると、またさらに自分が成長できますので、教えてください。



本題に入ります。

タイトルの2つの言葉の違いについて、ざっくり説明します。(言われるまではさっぱり分からんかった笑)

「自主性」とは、

「与えられた選択肢の中から、自分で判断して選ぶこと。」

です。


主体性とは、

「課題解決に向けた選択肢を自ら生み出し、その選択に責任をもって行動すること。」

です。


細かいニュアンスの違いこそあるとは思いますが、こういうことです。


新学習指導要領では、

主体的・対話的で深い学びの視点に立っての授業改善を我々に求めています。


今年度は特に主体性という部分が、子どものみならず、大人にも求められていたと思います。
学校に焦点を絞って考えると、
コロナ禍における行事の中止、規模縮小、カリキュラムの変更、、、

考えた部分が全てパーになるなんてことは日常茶飯事でした。

そんな中、この学校の子どもたちはとてもたくましく、まさに主体性をもって活動していました。


例年行われた合唱コンクールの中止を受け、代替の行事として、全校レクリエーション大会を開催しました。

代替の行事としては、ベクトルは少し異なる向きにも感じますが、自ら選択肢を生み出し、何かを成し遂げようと働きかけた姿はまさに主体性をもった姿でした。


もちろん、いきなりそんなことができるわけがないので、そういう子どもを育てられるように指導をしていかなければなりません。


我々にできることは、

目的から逆算する能力を育成すること、


子どもの発想にない選択肢を提案できる準備をしておくこと、


主にこの2つかなと思います。

実際にクラスであった例を紹介します。(正しい指導ができているかは分からないので教えてもらえると嬉しいです。)


体育大会の大縄。苦手な人がなかなか練習に積極的に参加してくれない、そう悩むリーダーがいました。

考えれば当たり前です。苦手なんだから。笑
嫌いな野菜をもりもり食べなさい。と言われて食べる人いません。笑


そこで当初立てた目標が活きてきます。最初に学級で、
「やり切ったと思える体育大会にしよう。」と、
設定しました。

リーダーたちには、「どうやったら苦手な子たちがやり切ったと思えるようになる?」

と質問しました。すると、

「苦手でも仲間が喜んでくれたら嬉しいかも。」

と返してきました。その時点で立派なのですが。
「じゃあ君が喜んであげたら?」と声をかけたら、次の日から、縄を持って苦手な子を誘い、グラウンドへ飛び出して行きました。

その後の練習でもそばで声をかけ続けていました。
(全体に指示したあと、その子に寄り添って声をかける。優しすぎ笑)

当日。大縄を跳び終えたその苦手な子は僕のところへ来るなりボソッと、

「体育大会って、楽しい、、、」
と言いました。なんで?と聞き返すと、

「だって失敗しても声かけてくれるもん。」

と言いました。リーダー、すごいです。笑
もちろんみんなにはこのことを紹介し、
リーダーはそれを機に、

目的から逆算する能力

を身につけ始めました。

その後何度も行われる学級での話し合いでは、

この視点をもって意見をまとめていました。

例示としてずれているかもしれませんが、このリーダーは主体性をもって学級での活動に取り組んでくれています。



今ある課題は何か、それはどのように解決できるか。

絶えず、自分もそう考え続けて、子どもたちに示していくことが必要かなと思いました。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます😊
いつもまとまりがなくてすみません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?