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興味の連鎖のはじまり

やがて孫が生まれれば息子の参考になるかもしれないし、僕自身が懐かしく思い出すこともできそうなので、書いてみたくなった。

2003年に子供が生まれて、ハイハイをして、つかまり立ちをして、一歩一歩と歩き出すようになる。その過程の中で息子の見つめている先に何があるのか興味があった。どんな音に反応し、どんな色彩に魅入られているのか。興味を持ったものに歩いて向かい、手を伸ばそうとする。父や母の顔を触りながら顔というものを理解する。親が嫌がれば嫌なのだと理解する。人間の子は興味の趣くままに自らを向かわせ、理解していくのだと気づく。まずは手を伸ばしてみることが大事なのだと思いいたる。

玩具もあらゆる種類のものを買うようにしてみた。高いものという意味ではない。積み木を買えば電池で動くもの。大きなものを買えば小さなもの。縫いぐるみを買えば、ミニカーを与えてみた。

ある時、仕事帰りに何げなく駅前のBOOK OFFに立ち寄った。児童書がいっぱいあった。自分の息子が何に興味を持つのか。全く分からなかったので、とりあえず10冊くらい(といっても2000円~3000円程度)の児童向け図書を買い込んで、居間のソファに並べてみた。ちょうど息子が3歳くらいでようやく平仮名が読めるかどうかくらいの頃。

絵本、生物、乗り物、太陽や星、偉人伝、星座。他にもあったかもしれない。本が山のようにある中で、一つ一つの本を手に取り、4歳くらいになるまでには、小学生向け本は自力で読めるようになっていた。子供の可能性に蓋をするのは親なんだなと理解したのもその頃だった。

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いつかの週末、近所の書店でどうしても欲しいとせがんだのが宇宙の不思議がわかる(実業之日本社)だった。クリスマスも近かったので、結局サンタクロースにお願いすることになったのだが、息子の天文学への興味はここから始まる。水星や金星、地球の成分組成を諳んじたり、オールトの雲について祖母に熱心に説明したり。毎日毎日熱心に読み込んでいた。

たまたまネットで知った三鷹にある国立天文台の一般公開にも何度も通い、土星の観測をしたり、星座や惑星の講義を受けて嬉々としていた。「どうして岩石惑星・ガス惑星・氷惑星の違いが生まれたのか?」と大学院生に質問して困らせていたのは小学1年生のころだったか。

小学2年生になって天文宇宙検定を受けさせてみようと思った。なんか形に残るものがあってもいいかもと思ったので。検定では星座の知識が必要なので星座関連の本も与えてみた。3級の試験こそ合格して星空博士になったが、なぜだか星座にまつわる物語にはまるっきり興味を持たなかった。だから、星雲や恒星の知識はどんどん吸収するのに、ギリシアの神々の話には興味を持たなかった。そのせいか歴史にも全く興味を示さなかった。まんが日本史とかも数冊買い与えてみたが一度目を通してそれきり。

むしろ本人の興味はより細かい知識に向かう。

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小学3年生で「元素百科」(グラフィック社)を紀伊国屋で見つける。宇宙の惑星を構成する元素の存在は理解していたが、その元素がたくさんあるということを知る。水素・ヘリウム・窒素・酸素・炭素・金・鉄・ホウ素・セシウム・イリジウム。この本をトイレに入る時も、外食するときも、おばあちゃんの家に行くときも話さずに持ち歩いていた。この頃から紀伊国屋新宿店の地下にあった東京サイエンスのショールームにやたらと行きたがるようになる。店に入ると1時間ずっと鉱物を眺め続けるのである。そして、200円の標本を一つ買ってもらって嬉々としていた。

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他にも元素関連ではサンタさんに「元素生活」(化学同人)をお願いしていた。だんだんと図鑑というよりも解説文を好むようになってきたのもこの頃か。

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ある時僕は気づいた。東京には、宇宙や物理・化学に興味のある子の興味をさらに刺激する手段があることに。つくばにあるJAXA高エネルギー加速器研究機構、東京大学のカブリ数物連携宇宙研究機構(IPMU)といった施設は、年に数回一般公開をしていた。子供の興味に蓋をする必要はない。大学レベルのものにも触れさせたらどうなるか見てみたくなった。

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そうして親の理解を超えた先に子供は手を伸ばす。天文学の仮説検証の領域に踏み込み始めた。これもたまたまBOOK OFFで見つけた書籍で、タイトルがもしも月が2つあったなら(東京書籍)面白そうだったのと、そろそろ小学生向けの事実を解説したものだけでは刺激が弱くなっているように感じたので、仮説検証という新しいものを息子の目の前に置いてみた。小学4年の頃、そこにも息子は手を伸ばしてきた。

小学校3年生から4年生の頃は、IPMUの村田斉先生、国立天文台の渡部潤一先生、JAXAではやぶさプロジェクトをリードされた川口淳一郎先生といた方々の講演会にも通った。「一つは質問しよう」と約束をして。

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小学校5年生になると中学受験が忙しくなってきて、親子で出かける機会は少なくなったし、本を読む時間も少なくなってきてしまった。その中で手にしたのが「ホーキング、宇宙を語る」(早川書房)。そんな頃に息子が小学校の課題で将来の夢に「難病を治す薬を開発する」と書いたのは印象的だった。ホーキング博士という偉大な宇宙物理学者個人に興味を深めたのだろう。

その後も、息子の好奇心は抑えられることなく、算数や社会の問題への強い関心から受験に向き合っていた。星座物語に興味がなかったように小説は苦手だったけど、受験生活は本当に楽しかったらしい。

その後、中学に入ってから、息子は天文や物理・化学ではなく、全く異なる分野に興味の矛先を向ける。自分で興味の先を開拓し、手を伸ばしていくようになり、親の助けを必要とはしなくなっていった。六法全書を買い込んできたり、エスペラント語のレポートを学校に提出したと聞いたとき、父親としての役割は終わったのかな、と少し寂しい思いをした。でも、それでいいのだとも思った。

興味の先に、さらにその先に手を伸ばしてほしい。それをやり続ける自由を獲得し、このまま知的探求を続けていってくれればと願う。

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