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この広いようで狭い世界の片隅で

これは長くは続けられないな、と思っていた会社を唐突に辞めて1か月が過ぎた。仕事をやると集中しすぎ、完璧主義でこだわりすぎ、とまあまあ仕事人間なので、辞めてからやることがない。何かしたいんだけど、薄っぺらい”やりがい”だとかのために仕事をしたくない。今のところお金に不自由していないし、養う家族もない。

仕事とは、自分の好きな事やできることやって、それがなぜか社会貢献になっている、というのが理想。会社だったら、志を共有できる人が1人でもいたらいい。全ては共感できなくても、会社の方針に沿った形で貢献できればいい。くらいのもんだった。


それがこないだ辞めた会社は全てがうまくいかなかった。詳細は書かないが、仕事以外にもツッコミどころ満載の会社で、それでも魅力もあったから辞められなかったのだが、やはり第一印象は正しかったらしい。留まることによるデメリットが大きすぎるので、なんだかんだ辞めて正解だった。

そして今。新しいことを始めたいと思いつつ、動けないでいる。もう就職や嫌だ。でも1人で始めるガッツもない。てか何すんの? お金に困っていないなら、ブログでもやればいい。でもネット上で自分の思いを書くなんてツマラナイことをしたくない。と思っていた。

出不精で友達も少ないので、ネットの世界に引きこもった。朝から晩までツイッターやyoutubeを見ていた。好きな人たちをフォローしていると、情報は良くも悪くも偏る。しっかり自分の意見を主張する人ばかりなので、自分がちっぽけに思えてくる。同じジャンルで何か思うことがあっても、「私ごときの知識で軽々しく呟いたら、バカにされそう」なんて1人縮こまっていた。

世界は広い。ネット上で見も知らずの人のタイムリーな意見が聞ける。最新情報が見られる。世界中と繋がれる。でも私にとって無限とも思える繋がりや情報の中で、また狭い世界に閉じこもってしまっていた。snsは面白いと同時に危険だ。会社を辞めて久々に通勤ラッシュの電車に乗った時「この人たちは大変だな」と違う世界の人のような、優越感のようなものもあった。決められた時間に出社し、会社という狭いコミュニティやルールの中で生きている——。そんなことないかもしれないけど、自分がそうだった。

ただ、今の私はその人たち以上に空しいことをしているかもしれない。会社から解放されて自由なはずなのに、自らを小さいモニターに押し込め、膨大な意見の中から、ポジティブになれない情報に踊らされている。このままは嫌だ。

じゃあどうしたいか?自由に発信したい。ただし、
発信するなら有益な情報を発信したい。他人はいいけど、私は日記みたいなことは絶対やらない。絶対グチばっかになるし。そういう奴だと思われたくない。ついでになぜかnoteだけは絶対やりたくない。
でもそれって実は全部やりたかったこと。「それだけはダメ」っていうのは裏返し、ってね。「それがめちゃくちゃやりたい」ってことなのです。だから始めてみた。


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