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吉川英治『三国志』新聞連載版(6)橋畔風談(けうはんふうだん)

前章「桑の家」へ

(一)

 蟠桃河の水は紅くなつた。両岸の桃園は紅霞を曳(ひ)き、夜は眉のやうな月が香つた。
 けれど、その水にも、詩を詠人を乗せた一艘の舟もないし、杖をひいて逍遙する雅人の影もなかつた。
「おつ母さん、行つて来ますよ」
「ああ、行つておいで」
「何か城内からお美味(いし)い物でも買つて来ませうかね」
 劉備は、家を出た。
 沓(くつ)や蓆(むしろ)をだいぶ納めてある城内の問屋へ行つて、価(あたひ)を取つて来る日だつた。
 午(ひる)から出ても、用達(ようたし)をすまして陽(ひ)のあるうちに、楽に帰れる道程(みちのり)なので、劉備は驢にも騎(の)らなかつた。
 いつか羊仙の置いて行つた山羊がよく馴れて、劉備の後に尾(つ)いて来るのを、母が後(うしろ)で呼び返してゐた。
 城内は、埃(ほこり)ツぽい。
 雨が久しくなかつたので、沓の裏がぽくぽくする。劉備は、問屋から銭を受け取つて、脂光りのしてゐる市(いち)の軒並を見て歩いてゐた。
 蓮根の菓子があつた。劉備はそれを少し買ひ求めた。——けれど少し歩いてから、
「蓮根は、母の持病に悪いのぢやないか」
 と、取換へに戻らうかと迷つてゐた。
 がや/\と沢山な人が辻に集まつてゐる。いつもそこでは、野鴨の丸揚や餅など売つてゐる場所なので、その混雑かと思うてゐたが、ふと見ると、大勢の頭の上に、高々と、立札が見えてゐる。
「何だろ?」
 彼も、好奇に駆(か)られて、人々のあひだから高札を仰いだ。
 見ると——
   遍(あまね)く天下に義勇の
   士を募る
 といふ布告の文であつた。
  黄巾の匪、諸州に蜂起してよ
  り、年々の害、鬼畜の毒、惨
  として蒼生に青田なし。
   今にして、鬼賊を誅せずん
  ば、天下知るべきのみ。
   太守劉焉、遂に、子民の泣
  哭に奮つて討伐の天鼓を鳴ら
  さんとす。故に、隠れたる草
  廬の君子、野に潜むの義人、
  旗下に参ぜよ。
   欣然、各子の武勇に依つ
  て、府に迎へん。
       涿郡校尉鄒靖
「なんだね、これは」
「兵隊を募つているのさ」
「あゝ、兵隊か」
「どうだ、志願して行つて、一働きしては」
「おれなどはだめだ。武勇も何もない。ほかの能もないし」
「誰だつて、さう能のある者ばかり集まるものか。かう書かなくては、勇ましくないからだよ」
「なるほど」
「憎い黄匪めを討つんだ、槍の持方が分らないうちは、馬の飼糧(かひば)を刈つても軍(いくさ)の手伝ひになる。おれは行く」
 ひとりが呟いて去ると、その呟きに決心を固めたやうに、二人去り、三人去り、皆、城門の役所のはうへ力のある足で急いで行つた。
「…………」
 劉備は、時勢の跫音(あしおと)を聞いた。民心の赴く潮(うしお)を見た。
 ——が。蓮根の菓子を手に持つた儘(まま)、いつ迄(まで)も、考へてゐた。誰も居なくなる迄、高札と睨み合つて考へてゐた。
「……ああ」
 気がついて、間がわるさうに、そこから離れかけた。すると、誰か、楊柳のうしろから、
「若人。待ち給へ」
 と、呼んだ者があつた。
[31]【桃園の巻】昭和14年(1939)9月30日(土)付夕刊掲載

********************

【前回迄の梗概】

 今から千七百七十年前、後漢の建寧元年のことである。涿県楼桑村の青年劉備は行商の途中黄河の畔で母への土産に大金を投じて茶を求めたが、その頃全国土に蝗の如く跳梁してゐた黄巾賊の一味に襲はれ、命の次に大切にしてゐた茶を奪はれた上寺の一室に監禁された。その劉備を救ひ出したのは寺の老僧であつた。老僧は劉備に自分の元にかくまつてゐた領主の娘芙蓉の一身を託して自殺して了つた。
 厳しい族の追跡に遭ひ危く一命を落すばかりになつたところを突然賊の一味に化けてゐた県城の武士張飛に助けられた。お礼の印に伝家の宝刀を与へ芙蓉の一身を渡してやつと故里に戻つた劉備を驚かしたのは、苛斂誅求に会つて見るかげもない我家であつた。
 偶々宝剣紛失に怒つた老母は、劉家の先祖は漢の景帝であるを告げると共に、家運復興をうながすのであつた。羊仙といふ老人も劉備の将来を暗示する謎の言葉を残して去つた。さうした或日、城内に出た劉備は黄巾賊討伐の募兵の布告文を目にした。その時高札を前に立去り兼ねてゐる彼に突然呼びかける者があつた。
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(二)

  さつきから楊柳の下に腰かけて、路傍(みちばた)の酒売(さけうり)を対手(あひて)に、声高に話していた男のあつたことは、劉備も知つてゐた。
 自分の容子を、横目ででも見てゐたのだらうか、二、三歩、高札から足を退けると、
「貴公、それを読んだか」
 片手に、酒杯(さかづき)を持ち、片手に剣の把(つか)を握つて不意に起(た)つて来たのである。
 楊柳の幹より大きな肩幅を、後ろ向(むき)に見てゐただけであつたが、立上がつたのを見ると、実に見上げるばかりの偉丈夫であつた。突然、山が立つたように見えた。
「……私ですか」
 劉備はさらに改めて、其人を見直した。
「うむ。貴公より他に、もう誰も居ないぢやないか」
 黒漆の髯(ひげ)の中で、牡丹のやうな口を開いて笑つた。
 声も年頃も、劉備と幾つも違ふまいと思はれたが、偉丈夫は、髪から腮(あぎと)まで、隙間もないやうに艶艶しい髯を蓄へてゐた。
「——読みました」
 劉備の答へは寡言だつた。
「どう読んだな、貴公は」
 と、彼の問ひは深刻で、その眼は、烱々として鋭い。
「さあ?」
「まだ考へてをるのか。あんなに長い間、高札と睨み合つてゐながら」
「こゝで語るのを好みません」
「おもしろい」
 偉丈夫は、酒売へ、銭と酒杯を渡して、づか/\と、劉備のそばへ寄つて来た。そして劉備の口真似しながら、
「ここで語るのを好みません……いや愉快だ。その言葉に、おれは真実を聴く。さ。何処へ行かう」
 劉備は困ったが、
「とにかく歩きませう。こゝは人目の多い市(いち)ですから」
「よし歩かう」
 偉丈夫は、闊歩した。劉備は並行してゆくのに骨が折れた。
「あの虹石橋(カウセキケウ)の辺はどうだ」
「よいでせう」
 偉丈夫の指さす所は町端(はづ)れの楊柳の多い池の辺(ほとり)だつた。虹を架けたやうな石橋(セキケウ)がある。そこから先は廃苑であつた。何とかいふ学者が池を坑(ほ)つて、聖賢の学校を建てたが、時勢は聖賢の道と逆行するばかりで、真面目に通つてくる生徒はなかった。
 学者は、それでも根気よく、石橋に立つて道を説いたが、市の住民や童(わらべ)は
(気狂(きちが)ひだ)
 と、耳も借(か)さない。それのみか、小賢しい奴だと、石を投げる者もあつたりした。
 学者は、いつのまにか、ほんとの狂人になつてしまつたとみえ、遂には、あらゆる事を絶叫して、学苑の中をさまよつてゐたが、そのうちに蓮池の中に、あはれな死体となつて泛(うか)び上つた。
 さういふ遺蹟であつた。
「こゝはいゝ。掛け給へ」
 偉丈夫は、虹橋(カウケウ)の石欄へ腰をかけ、劉備にもすゝめた。
 劉備は、こゝ迄(まで)来る間に、偉丈夫の人物をほぼ観てゐた。そして
(この人間は偽物(ギブツ)でない)
 と思つたので、こゝへ来た時は、彼もかなり落付(おちつき)と本気を示してゐた。
「時に、失礼ですが、尊名から先に承りたいものです。私はこゝから程遠くない楼桑村の住人で、劉備玄徳といふ者ですが」
 すると偉丈夫は、いきなり劉備の肩を打つて
「好漢。それはもう聞いてをるぢやないか。此方(このはう)の名だつて、よく御承知のはずだが」
 と、云つた。
[32]【桃園の巻】昭和14年(1939)10月1日(日)付夕刊掲載

(三)

「え?……私を以前から御存じの方ですつて」
「お忘れかな。はゝゝ」
 偉丈夫は、肩をゆすぶつて、腮(あご)の黒い髯(ひげ)をしごいた。
「——無理もない。頰の刀傷で、容貌も少し変つた。それにこゝ三、四年はつぶさに浪人の辛酸を舐めたからなあ。貴公とお目にかかつた頃には、まだこの黒髯も蓄へてなかつた時ぢや」
 さう云はれても、劉備はまだ思ひ出せなかつたが、ふと、偉丈夫の腰に佩いてゐる剣を見て、思はずあつと口をすべらせた。
「おゝ、恩人!思ひ出しました。貴郎(あなた)は数年前、私が黄河から涿県のはうへ帰つてくる途中、黄匪に囲まれて既に危ふかつた所を助けてくれた鴻家の浪士、張飛翼徳と仰有つたお方ではありませんか」
「さうだ」
 張飛はいきなり腕をのばして、劉備の手を握りしめた。その手は鉄(くろがね)のやうで、劉備の掌(て)を握つて猶(なほ)、五指が餘つてゐた。
「よく覚えて居て下された。いかにもその折の張飛でござる。かくの如く、髯を蓄へ、容貌を変へてゐるのも、以来、志を得ずに、世の裏に潜んでをるが為です。——で実は、貴公に分るかどうか試してみたわけで、最前からの無礼はどうかゆるされい。」
 偉丈夫に似あはず、礼には篤かつた。
 すると劉備は、より以上、慇懃に云つた。
「豪傑。失礼はむしろ私のはうこそ咎めらる可(べ)きです。恩人の貴郎を見忘れるなどゝいふ事は、たとへ如何に当時とお変りになつてゐるにせよ、相済まない事です。どうか、劉備の罪はおゆるし下さい」
「やあ、御鄭重で恐れいる。ではまあ、お互ひとしておかう」
「時に、豪傑。あなたは今、この県城の市(いち)に住んでをるのですか」
「いや、話せば長い事になるが、いつかも打明け申した通り、どうかして黄巾賊に奪はれた主家の県城を取返さんものと、民間にかくれては兵を興(おこ)し、又、敗れては民間に隠れ、幾度(いくたび)も/\事を謀つたが、黄匪の勢力は旺(さかん)になるばかりで、近頃はもう矢も尽き刀も折れたといふ恰好です。……で先頃から、この涿県に流れてきて、山野の猪(ゐのこ)を狩つて肉を屠り、それを市にひさいで露命をつないで居るやうな状態です。おわらひ下さい。こゝの所、張飛も尾羽打枯らした態(テイ)たらくなので」
「さうですか。少しも知りませんでした。そんな事なら、なぜ楼桑村の私の家を訪ねてくれなかつたのですか」
「いや、いつかは一度、お目にかかりに参る心では居たが、その折には、ぜひ尊公に、うんと承知して貰ひたい事があるので——その準備がまだ此方(こつち)にできて居ないからだ」
「この劉備に、お頼みとは、一体何事ですか」
「劉君」
 張飛は、鏡のやうな眼をした。らん/\とそのなかに胸中の炬火が燃えてゐるのを劉備は認めた。
「尊公は今日、市で県城の布令(ふれ)を読まれたであらう」
「うむ。あの高札ですか」
「あれを見て、何(ど)う思はれましたか。黄匪討伐の兵を募るといふ文を見て——」
「べつに、何(ど)うと云つて、何の感じもありません」
「無い?」
 張飛は、斬りこむような語気で云つた。明らかに、激怒の血を、顔にうごかしてである。
 けれど劉備は、
「はい。何も思ひません。なぜならば私には、ひとりの母がありますから。——従つて、兵隊に出ようとは思ひませんから」
 水のやうに冷静に云つた。
[33]【桃園の巻】昭和14年(1939)10月3日(火)付夕刊掲載

(四)

  秋かぜが橋の下を吹く。
 虹橋(コウケウ)の下には、枯蓮(かれはす)の葉がからから鳴つてゐた。
 びらつと、色羽の征矢(そや)が飛んだと見えたのは、水を離れた翡翠(かはせみ)だつた。
「噓だつ」
 張飛は、静な話し対手(あひて)へ、いきなり呶鳴(どな)つて、腰かけてゐた橋の石欄から突つ立つた。
「劉君。貴公は、本心を人に秘して、この張飛へも、深くつゝんで居られるな。いや、さうだ。張飛を御信用なさらぬのだ」
「本心?……私の本心は今云つた通りです。何を、貴郎(あなた)につゝむものか」
「然(しか)らば貴公は、今の天下を眺めて、何の感じも抱かれないのか」
「黄匪の害は見てゐますが、小さい貧屋に、ひとりの母さへ養ひかねてゐる身には」
「人は知らず、張飛にそんな事を仰有つても、張飛は貴郎を、凡(たゞ)の土民と見ることは出来ぬ。打明けて下さい。張飛も武士です。他言は断じて致さぬ漢(をとこ)です」
「困りましたな」
「どうしても」
「お答のしやうがありません」
「噫(あゝ)——」
 憮然として、張飛は、黒漆の髯を秋かぜに吹かせてゐたが、何か、思ひ出したやうに、突然、佩いてゐる剣帯を解いて、
「お覚えがあるでせう」
 と、鞘を握つて、劉備の面(おもて)へ、横ざまに突きつけて云つた。
「これはいつか、貴公から礼にと手前へ賜はつた剣です。又、私から所望した剣であつた。——だが不肖は、いつか尊公に再び巡り会つたら、この品は、お手許へ返さうと思つてゐた。なぜならば、これは張飛の如き匹夫が持つ剣ではないからだ」
「…………」
「血しぶく戦場で、——又、戦に敗れて落ち行く草枕の寝覚めに——幾たびとなく拙者はこの剣を抜き払つてみた。そして、そのたびに、拙者は剣の声を聞いた」
「…………」
「劉君、其許(そこもと)は聞いた事があるか、この剣の声を!」
「…………」
「一揮(イツキ)して、風を断てば、剣は啾々と泣くのだ。星衝(ほしつ)いて、剣把(ケンパ)から鋩子(バウシ)までを俯仰すれば、朧夜の雲とまがふ光の斑(ふ)は、みな剣の涙として拙者には見える」
「…………」
「いや、剣は、剣を持つ者へ訴へて云ふのだ。いつ迄(まで)、わが身を、為すなく室中に閉ぢこめて置くぞと。——劉備どの、噓と思はば、その耳に、剣の声を聞かさうか、剣の涙を見せようか」
「……あつ」
 劉備も思はず石欄から腰を立てた。——止める間はなかつた。張飛は、剣を払つて、びゆつと、秋風を斬つた。正しく、剣の声が走つた。しかもその声は、劉備の腸(はらわた)を断つばかり胸をば搏(う)つた。
「君聞かず哉!」
 張飛は、云ひながら、又も一振り二振りと、虚空に剣光を描(か)いて、
「何の声か。抑(そも)」
 と、呼んだ。
 そして猶(なほ)も、答へのない劉備を見ると、もどかしく思つたのか、橋の石欄へ片足を踏みかけて、枯蓮の池を望みながら独り云つた。
「可惜(あたら)、治国愛民の宝剣も、いかにせむ持つ人も無き末世とあつてはぜひもない。霊あらば剣も恕(ジヨ)せ。猪肉売(ゐのこうり)の浪人の腰にあるよりは、むしろ池中に葬つて——」
 あなや、剣は、虹橋の下に投げ捨てられようとした。劉備は驚いて、走り寄るなり彼の腕を支へ、
「豪傑。待ち給へ」
 と、呼んだ。
[34]【桃園の巻】昭和14年(1939)10月4日(水)付夕刊掲載

(五)

  張飛は元より折角の名剣を泥池に捨てゝしまふのは本意ではないから、止められたのを幸(さいはひ)に、
「何か?」
 と、わざと身を退(ひ)いて、劉備の言を待つものゝやうに見まもつた。
「まづ、お待ちなさい」
 劉備は言葉しづかに、張飛の悲壮な顔いろを宥めて、
「真の勇者は慷慨せずといひます。また、大事は蟻の穴より漏るといふ喩(たとへ)もある。ゆる/\談(はな)すとしませう。然(しか)し、足下が偽物でない事はよく認めました。偉丈夫の心事を一時でも疑つた罪はゆるして下さい」
「おつ。……では」
「風にも耳、水にも眼、大事は路傍では語れません。けれど自分は何をつゝまう漢の中山靖王劉勝の後胤で、景帝の玄孫にあたるものです。……何をか好んで、沓(くつ)を作り蓆(むしろ)を織つて、黄荒の末季を心なしに見てをりませうや」
 と、声は小さく語韻はさゝやく如くであつたが、凛たるものを裡(うち)に潜めて云ひ、そして莞爾(にこ)と笑つてみせた。
「豪傑。これ以上、もう多言は吐く必要はないでせう。折を見て又会ひませう。けふは市(いち)へ来た出先で、遅くなると母も案じますから——」
 張飛は獅子首を突出して、嚙みつきさうな眼をした儘(まま)、いつ迄(まで)も無言だつた。これは感極まつた時にやる彼の癖なのである。それから軈(やが)て唸るような息を吐いて、大きな胸を反らしたと思ふと、
「さうだつたか!やはりこの張飛の眼には誤りはなかつた!いやいつか古塔の上から跳び降りて死んだ彼(あ)の老僧の云つた事が、今思ひあたる。……ウヽム、貴郎(あなた)は景帝の裔孫だつたのか。治乱興亡の長い星霜のあひだに、名門名族は泡沫(うたかた)のやうに消えてゆくが、血は一滴でも残されゝばどこかに伝はつてゆく。あゝ有難い。生きてゐたかひがあつた。今月今日、張飛は会ふべきお人に会つた」
 独りしてさう呻いてゐたかと思ふと、彼は遽(にはか)に、石橋の石の上にひざまづき、剣を捧じて、劉備へ云つた。
「謹んで、剣は、尊手へお回(かへ)しします。これは元々、やつがれなどの身に佩くものではない。——が、但しです。貴郎はこの剣を受け取らるゝや否や。この剣を佩くからには、この剣と共に在る使命もあはせて佩かねばならぬが」
 劉備は、手を伸ばした。
 何か、厳かな姿だつた。
「享(う)けませう」
 剣は、彼の手に回(かへ)つた。
 張飛は、いく度も、拝姿の礼を、繰返して、
「では、そのうちに、きつと楼桑村へ、お訪ねして参るぞ」
「おゝ、いつでも」
 劉備は、今まで佩いてゐた剣と佩き代へて、前の物は、張飛へ戻した。それは張飛に救はれた数年前に、取換へた物だつたからである。
「日が暮れかけて来ましたな。ぢやあ、いづれ又」
 夕闇の中を、劉備は先に、足を早めて別れ去つた。風にふかれて行く水色の服は汚れてゐたが、剣は眼に見える黄昏(たそがれ)の万象の中で、何よりも異彩を放つて見えた。
「体に持つてゐる気品といふものは争へぬものだ。どこか貴公子の風がある」
 張飛は見送りながら、独り虹橋(コウケウ)の上に暮れてゐたが、やがてわれに回(かへ)つた顔をして、
「さうだ、雲長にも聞かせて、早く歓ばしてやろう」
 と、何処ともなく馳け出したが、劉備とちがつてこれは又、一陣の風が黒い物となつて飛んで行くやうだつた。
[35]【桃園の巻】昭和14年(1939)10月5日(木)付夕刊掲載

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