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吉川英治『三国志』新聞連載版(7)童学草舎

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(一)

  城壁の望楼で、今し方、鼓(コ)が鳴つた。
 市は宵の燈(ひ)となった。
 張飛は一度、市(いち)の辻へ帰つた。そして昼間展(ひろ)げてゐた猪(ゐのこ)の露店をしまひ、猪の股や肉切庖丁などを苞(つと)に括(くく)つて持つと又馳出した。
「やあ、遅かつたか」
 城内の街から城外へ通じるそこの関門は、もう閉まつてゐた。
「おうい。開けてくれつ」
 張飛は、望楼を仰いで、駄々つ子のやうに呶鳴(どな)つた。
 関門の傍(かたはら)の小さい兵舎から五、六人ぞろ/\出て来た。途方もない馬鹿者に訪れられたやうに、からかひ半分に叱りとばした。
「こらつ。何を喚いてをるか。関門が閉まつたからには、霹靂が墜ちても、開ける事ではない。何だ貴様は一体」
「毎日、城内の市(いち)へ、猪の肉を売りに出てをる者だが」
「なる程、こやつは肉売だ。何で今頃、寝呆けて関門へやつて来たのか」
「用が遅れて、関門の時刻までに、帰りそびれてしまつたのだ。開けてくれ」
「正気か」
「酔うてはゐない」
「はゝゝ。こいつ酔つぱらってゐるに違ひない。三べんまはつてお辞儀をしろ」
「何」
「三度ぐるりと廻(まは)つて、俺たちを三拝したら通してやる」
「そんな事はできぬが、このとほりお辞儀はする。さあ、開けてくれ」
「帰れ/\。何百遍頭を下げても、通すわけにはゆかん。市の軒下へでも寝て、あした通れ」
「あした通つていゝくらゐなら頼みはせん。通さぬとあれば、汝等(なんぢら)をふみ潰して、城壁を躍り越えてゆくがいゝか」
「こいつが……」と、呆れて、
「いくら酒の上にいたせ、よい程に引つ込まぬと、素ツ首を刎落(はねおと)すぞ」
「では、どうしても、通さぬといふか。おれに頭を下げさせて置きながら」
 張飛は、そこらを見廻した。酔どれとは思ひながら、雲突くような巨漢(おほをとこ)だし、無気味な眼の光りに関(かま)はずにゐると、づか/\と歩み出して、城壁の下に立ち、役人以外は登る事を厳禁している鉄梯子(かなばしご)へ片足をかけた。
「こらつ。どこへ行く」
 ひとりは、張飛の腰の紐帯をつかんだ。他の関門兵は、槍を揃へて向けた。
 張飛は、髯の中から、白い歯を見せて、人馴(な)つこい笑ひ方をした。
「いゝぢやないか。野暮を云はんでも……」
 そして携へてゐる猪(ゐのこ)の肉の片股(かたもも)と、肉切庖丁とを、彼等の目のまへに突出した。
「これをやらう。貴公等の身分では、滅多に肉も喰らへまい。これで寝酒でもやつたはうが、俺に撲(なぐ)り殺されるより遙(はるか)にましぢやらうが」
「こいつが、云はしておけば——」
 又一人、組みついた。
 張飛は、猪の股を振上げて、突出して来る槍を束にして払ひ落した。そして自分の腰と首に組みついてゐる二人の兵は、蠅でもたかつてゐるやうに、その儘(まま)振りのけもせず、二丈餘の鉄梯子を馳登つて行つた。
「や、やつ」
「狼藉者つ」
「関門破りだつ」
「出合へ。出合へつ」
 狼狽して、わめき合ふ人影のうへに、城壁の上から、二箇の人間が飛んできた。勿論、投落された人間も血漿の粉(こ)になり、下になつた人間も、肉餅(ニクベイ)のように圧(おし)潰(つぶ)れた。
[36]【桃園の巻】昭和14年(1939)10月6日(金)付夕刊掲載

(二)

  物音に、望楼の守兵と、役人等(やくにんら)が出て見た時は、張飛はもう、二丈餘の城壁から、関外の大地へとび降りてゐた。
「黄匪だつ」
「間諜だ」
 警鼓を鳴らして、関門の上下(うへした)では騒いでゐたが、張飛はふり向(むき)もせず、疾風のやうに馳けて行つた。
 五、六里も来ると、一条の河があった。蟠桃河の支流である。河向うに約五百戸ほどの村が墨のやうな夜靄(よもや)のなかに沈んでゐる。村へはいつてみるとまださう夜も更けてゐないので、所々の家の灯皿に薄暗い明りがゆらいでゐる。
 楊柳に囲まれた寺院がある。塀にそつて張飛は大股に曲がつて行つた。すると大きな棗の木が五、六本あつて、隠士の住居とも見える閑寂な庭があつた。門柱はあるが扉(と)はない。そしてそこの入口に、
 童学草舎
といふ看板が懸かつてゐた。
「おういつ。もう寝たのか。雲長、雲長」
 張飛は、烈しく、奥の家の扉をたゝいた。すると横の窓に、うすい灯が映(さ)した。帳(とばり)を揚げて誰か窓から首を出したやうであつた。
「だれだ」
「それがしだ」
「張飛か」
「おう、雲長」
 窓の灯が、中の人影といつしよに消えた。間もなく、佇んでゐる張飛の前の扉がひらかれた。
「何用だ。今頃——」
 手燭に照らされて其人の面が昼見るよりもはつきり見えた。まづ驚くべき事は、張飛にも劣らない背丈と広い胸幅であった。その胸には又、張飛よりも長い腮髯(あごひげ)がふつさりと垂れてゐた。毛の硬い者は粗暴で神経もあらいといふ事がほんとなら、雲長といふその者の髯のほうが、彼のものよりは軟かで素直でそして長いから、同時に張飛よりも此人のはうが智的にすぐれてゐると云へよう。
 智的といえば、額もひろい。眼は鳳眼であり、耳朶(ジダ)は豊かで、総じて、体の巨(おほ)きいわりに肌目(きめ)こまやかで、音声もおつとりしてゐた。
「いや、夜中とは思つたが、一刻もはやく、尊公にも聞かせたいと思つて——欣(よろこ)びを齎(もたら)して来たのだ」
 張飛のことばに、
「又、それを肴に、飲まうといふのぢやないかな」
「ばかをいへ。それがしを、さう飲んだくれとばかり思うてゐるから困る。平常の酒は、鬱懐をはらす為に飲むのだ。今夜はその鬱懐もいつぺんに散じて、愉快でならない吉報を携へて来たのだ。酒がなくても、ずゐぶん話せる事だ。あれば猶(なほ)いゝが」
「はゝゝゝゝ。まあ入れ」
 暗い廊を歩いて、一室へ二人はかくれた。その部屋の壁には、孔子やその弟子たちの聖賢の図が懸かつてゐた。又、たくさんな机が置いてあつた。門柱に見えるとほり、童学草舎は村の寺子屋であり、主(あるじ)は村童の先生であつた。
「雲長——いつも話の上でばかり語つてゐた事だが、俺たちの夢がどうやらだんだん夢ではなく、現実になつて来たらしいぞ。実はけふ、前からも心がけてゐたが——かねて尊公にもはなしてゐた劉備という漢(をとこ)——それに偶然市で出会つたのだ。突つ込んだ話をしてみたところ、果して、凡(たゞ)の土民ではなく、漢室の宗族景帝の裔孫といふことが分つた。しかも英邁な青年だ。さあ、これから楼桑村の彼の家を訪れよう。雲長、支度はそれでよいか」
[37]【桃園の巻】昭和14年(1939)10月7日(土)付夕刊掲載

(三)

 「相(あひ)かはらずだなう」
 雲長は笑つてばかりゐる。張飛がせきたてても、なか/\腰を上げさうもないので、張飛は、
「何が相かはらずだ」
 と、やゝ突つかけるやうな言葉で反問した。
「だつて」
 と、雲長は又笑ひ、
「これから楼桑村へゆけば、真夜半(まよなか)を過ぎてしまふ。初めての家を訪問するのに、餘り礼を知らぬ事に当らう。何も、明日でも明後日でもよいではないか。さあと云へば、それといふのが、貴公の性質だが、偉丈夫たる者は宜しくもつと沈重な態度であつて欲しいなあ」
 折角、一刻もはやく欣(よろこ)んでもらはうと思つて来たのに、案外、雲長が気のない返辞なので、
「はゝあ。雲長。尊公はまだそれがしの話を、半信半疑で聞いてをるんぢやないか。それで、渋ツたい面(おもて)をしてをるのだらう。おれの事を、いつも短気といふが、尊公の性質は、むしろ優柔不断といふやつだ。壮図を抱く勇者たる者は、もつと事に当つて、果断であつて欲しいものだ」
「はゝゝゝゝ。やり返したな。然(しか)しおれは考へるな。何といはれても、もつと熟慮してみなければ、迂闊に、景帝の玄孫などゝいふ男には会へんよ。——世間に、よくあるやつだからな」
「そら、その通り、拙者の言を疑つてをるのではないか」
「疑ぐるのが常識で、疑はない貴公が元来、生一本の莫迦(バカ)正直といふものぢや」
「聞き捨(すて)にならんことを云ふ。おれが何(ど)うして莫迦正直か」
「ふだんの生活でも、のべつ人に騙されてをるではないか」
「おれはそんなに人に騙された覚えはない」
「騙されても、騙されたと覚らぬ程、尊公はお人が好いのだ。それだけの武勇をもちながら、いつも生活に困つて、窮迫したり流浪したり、皆、尊公の浅慮がいたす所である。その上、短気ときてゐるので、怒ると、途方もない暴をやる。だから張飛は悪いやつだと反対な誤解をまねいたりする。すこし反省せねばいかん」
「おい雲長。拙者は今夜、何も貴公の叱言(こごと)を聞かうと思つて、こんな夜中、やつて来たわけではないぜ」
「だが、貴公とわしとは、豫(かね)て、お互ひの大志を打明け、義兄弟の約束をし、わしは兄、貴公は弟と、固く心を結び合つた仲だ。——だから弟の短所を見ると、兄たるわしは、憂へずには居られない。まして、秘密の上にも秘密にすべき大事は、世間へ出て、二度や三度会つたばかりの漢(をとこ)へ、軽率に話したりなどするのは宜しくない事だ。そのうへ人の言をすぐ信じて、真夜中もかまはず直ぐ訪れようなんて……どうもさういふ浅慮(あさはか)では案じられてならん」
 雲長は、劉備の家を訪問するなど以(もつ)てのほかだと云はぬばかりなのである。彼は、張飛に取つて、いはゆる義兄弟の義兄ではあるし、物分りもすぐれてゐるので、話が、理になつて来ると、いつも頭は上らないのであつた。
 出ばなを挫かれたので、張飛はすつかり悄気(シヨゲ)てしまつた。雲長は気の毒になつて、彼の好きな酒を出して与へたが、
「いや、今夜は飲まん」
 と、張飛はすつかり無口になつて、その晩は、雲長の家で寝てしまつた。
 夜が明けると、学舎に通ふ村童が、わいわいと集まつて来た。雲長は、よく子供等(こどもら)にも馴(な)づまれてゐた。彼は、子ども等(ら)に孔孟の書を読んで聞かせ、文字を教へなどして、もう他念なき村夫子になりすましてゐた。
「又、そのうちに来るよ」
 学舎の窓から雲長へ云つて、張飛は黙々とどこかへ出て行つた。
[38]【桃園の巻】昭和14年(1939)10月8日(日)付夕刊掲載

(四)

 むつとして、張飛は、雲長の家の門を出た。門を出ると、振向いて、
「ちえつ。何ていふ煮え切らない漢(をとこ)だらう」
 と、門へ罵つた。
 楽しまない顔色(ガンシヨク)は、それでも癒えなかつた。村の居酒屋へ来ると、ゆうべから渇いてゐたやうに、すぐ呶鳴つた。
「おいつ、酒をくれい」
 朝の空腹(すきばら)に、斗酒を容(い)れて、張飛はすこし、眼のふちを赤黒く染めた。
 やゝ気色が晴れて来たとみえて居酒屋の亭主に、冗戯(ジヨウギ)など云ひ出した。
「おやぢ、お前んとこの鶏(とり)は、おれに喰はれたがつて、おれの足元にばかり纏つて来やがる。喰つてもいゝか」
「旦那、召喰(めしあ)がるなら、毛をむしつて、丸揚げにしませう」
「さうか。さうしてくれゝば猶(なほ)いいな。あまり鶏めが慕つてくるから、生で喰(や)らうと思つてゐたんだが」
「生肉をやると腹に虫がわきますよ、旦那」
「ばかを云へ。鶏の肉と馬の肉には寄生虫は棲んでをらん」
「ヘエ。さうですか」
「体熱が高いからだ。総(すべ)て低温動物ほど寄生虫の巣だ。国にしてもさうだろう」
「へい」
「おや、鶏が居なくなつた。おやぢもう釜へ入れたのか」
「いえ。お代さへ戴けば、揚げてあるやつを直ぐお出しいたしますが」
「銭はない」
「ごじようだんを」
「ほんとだよ」
「では、御酒のお代のはうは」
「この先の寺の横丁を曲がると、童学草舎といふ寺子屋があるだらう。あの雲長のところへ行つて貰つて来い」
「弱りましたなあ」
「何が弱る。雲長という漢(をとこ)は、武人のくせに、金に困らぬやつだ。雲長はおれの兄哥(あにき)だ。弟の張飛が飲んで行つたといへば、払はぬわけにはゆくまい。——おいつ、もう一杯注(つ)いで来い」
 亭主は、如才なく、彼を宥めておいて、その間に、女房を裏口からどこかへ走らせた。雲長の家へ問合せにやつたものとみえる。間もなく、帰つて来て何かさゝやくと、
「さうかい。ぢやあ飲ませても間違ひあるまい」
 おやじは遽(にはか)に、態度を変へて、張飛の飲みたい放題に、酒を注ぎ鶏の丸揚も出した。
 張飛は、丸揚を見ると
「こんな、鶏の乾物など、おれの口には合はん。おれは動いてゐる奴を喰ひたいのだ」
 と、そこらに居る鶏を捉へようとして、往来まで追つて行つた。
 鶏は羽ばたきして、彼の肩を跳び越えたり、彼の危(あやふ)げな股をくゞつて、逃げ廻つたりした。
 すると、頻(しき)りに、村の軒並を物色して来た捕吏が、張飛のすがたを認めると、率(ひ)きつれてゐる十名ほどの兵へ遽に命令した。
「あいつだ。ゆうべ関門を破つた上、衛兵を殺して逃げた賊は。——要心してかゝれ」
 張飛は、その声に
「何だろ?」
 と、怪訝(いぶか)るやうに、あたりを酔眼で見まはした。一羽の若鶏が彼の手に脚をつかまへられて、けたたましく啼いたり羽ばたきを搏(う)つてゐた。
「賊つ」
「遁(のが)さん」
「神妙に縄にかゝれ」
 捕吏と兵隊に取囲まれて、張飛は初めて、おれの事かと気づいたやうな面持(おももち)だつた。
「何か用か」
 周りの槍を見まはしながら、張飛は、若鶏の脚を引つ裂いて、その股の肉を横に咥(くは)へた。
[39]【桃園の巻】昭和14年(1939)10月10日(火)付夕刊掲載

(五)

  酔ふと酒くせの良くない張飛であつた。それと徒(いたづ)らに殺伐を好む癖は、二つの缺点であるとは、常常、雲長からもよく云はれてゐる事だつた。
 鶏(とり)を裂いて、股を喰らふぐらゐな酒の上は、彼としては、いと穏当な藝である。——だが、捕吏や兵隊は驚いた。鶏の血は張飛の唇のまはりを染め、その炯々たる眼は、怖ろしく不気味であつた。
「何? ……乃公(おれ)を捕まへに来たと。……わはゝゝゝゝ。あべこべに取つ捉(つか)まへて、この通りになるなよ」
 裂いた鶏を、眼の高さに、上げて示しながら、張飛は取囲む捕吏と兵隊を揶揄した。
 捕吏は怒(いか)つて、
「それつ、酔どれに、愚図/\云はすな。突殺してもかまはん。かかれつ」と、呶号した。
 だが、兵隊たちは、近寄れなかつた。槍ぶすまを並べた儘(まま)、彼の周囲を巡りまはつたのみだつた。
 張飛は、変な腰つきをして、犬みたいに突く這(ば)つた。それがよけいに捕吏や兵隊を恐怖させた。彼の眼が向つたはうへ飛(とび)かゝつて来る支度だらうと思つたからである。
「さあ、大きな鶏ども奴(め)、一羽一羽、ひねり潰すから逃げるなよ」
 張飛は云つた。
 彼の頭には未だ鶏を追ひかけ廻してゐる戯れが連続してゐて、捕吏の頭にも、兵隊の頭にも、鶏冠(とさか)が生えてゐるやうに見えてゐるらしかつた。
 大きな鶏共は呆れ且つ怒り心頭に発して、
「野郎つ」
 と、喚(わめ)きながら一人が槍で撲(なぐ)つた。槍は正確に、張飛の肩の辺へ当つたが、それは猛虎の髯に触れたも同じで、張飛の酔をして勃然と遊戯から殺伐へと転向させた。
「やつたな」
 槍を引つ奪(た)くると、張飛はそれで、莚(むしろ)の豆殻(まめがら)でも叩くやうに、周りの人間を叩き出した。
 叩かれた捕吏や兵隊も、初めて死にもの狂ひになり初めた。張飛は、面倒と云ひながら槍を虚空へ投げた。虚空へ飛んだ槍は、唸りを起したまゝ何処まで飛んで行つたか、何しろその附近には落ちて来なかつた。
 鶏の悲鳴以上な叫喚が、一瞬のまに起つて、一瞬の間に熄(や)んでしまつた。
 居酒屋のおやぢ、居合せた客、それから往来の者や、附近の人たちは皆、家の中や木陰に潜んで、どうなる事かと、息をころしてゐたが、餘りにそこが、急に墓場のやうな寂寞(しゞま)になつたので、そつと首を出して往来をながめると、噫(あゝ)——と誰も呻いたまゝで口もきけなかつた。
 首を払われた死骸、血へどを吐いた死骸、眼のとび出してゐる死骸などが、惨として、太陽の下に曝されてゐる。
 半分は、逃げたのだらう。捕吏も兵隊も、誰もゐない。
 張飛は?
 と見ると、これは又、悠長なのだ。村端(はづ)れのはうへ、後姿を見せて、寛々と歩いてゆく。
 その袂に、春風はのどかに動いてゐた。酒のにおひが、遠くに迄(まで)、漂つて来るやうに——。
「たいへんだ。おい、はやくこの事を、雲長先生の家へ知らせて来い。彼(あ)の漢(をとこ)が、ほんとに、先生の舎弟なら、これは彼(あ)の先生も、ただでは済まないぞ」
 居酒屋のおやぢは、自分のおかみさんへ喚(わめ)いた。だが、彼の妻は顫(ふる)へてゐるばかりで役に立たないので、遂に自分であたふたと、童学草舎の横丁へ、馳け蹌(よろ)めいて行つた。
[40]【桃園の巻】昭和14年(1939)10月11日(水)付夕刊掲載

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