水とカイゴ

水とカイゴの正しい関係


わたし水飲んでも太るのよ。ってね。
これ誰が最初に言い始めたんだ…?

尾籠ながら今回はヺベンピの話から始めます。

亡き母、若かりし頃、身長160センチのウエスト50センチ台。
大正生まれのひとにしてはすらっと背が高い。
ほっそり柳腰で手足が長かった。
ちょいとした小町娘というか人目をひく美人さん。でした。
結婚し、十数年が過ぎても、やや年配という年ごろになっても美貌は保っていた感がありました。

でも彼女、ひとつだけ難儀な願望を抱えていた。
太りたくないっていう。
スタイルを保ちたいから水飲まないって言うんですよ。
水飲むと太る。
そう思い込んでいた。

で、どうなったかというと、よくひっくり返ってました。
夏場とか、風呂上がりとか、家事の途中とか、トイレ中とか。
あと外でも、バスに乗ってるときとか、演歌のコンサート中とか。
そのたびに一人娘の出番ですよ。かけつけて、救急車呼んで、病院とか入院とかの手配して、治療が終わったら連れて帰って看病。

まあ、ほぼ水分不足ですね。貧血ではなかったですから。
熱中症らしき状態になったり、体内バランスぶっ壊れたりしてたのかもしれません。

そして水分不足の極めつけはヺベンピさん。
しばしば数日にわたる難治性ヺベンピさんに陥り、小学生だったわたしは近所の薬局にイチジクカンチョウさんを買いにやらされたものでした。
自分のだと思われると子供心にもなんかこう、恥ずかしい感じがしたのでしょう、聞かれもしないのに
『おかあちゃんのだから』
店員さんに言ったりして。
あとで聞いたところでは母も同じ薬局に行って、
『子どもってどうしてこうベンピしやすいのかしらねえ』
みたいなことを言ってたらしい。も〜〜〜。

この『水を飲むと太る』という思い込みは母の生涯を通して変わることがなかったのでした。
太りたくない→水飲まない→ヺベンピ→浣腸頼み→水飲まない→ヺベンピ
こんなかんじ。
体質もあったのだろう、とは思う。
で、結局、この水不足は90年以上にわたって、母を苦しめることになったわけです。
母の体重は老年期にさしかかっても、ややふくよかめかな? という数値で(体重65キロ前後)ほぼ増減なく保たれていました。
血糖値・血圧・コレステロールは要注意状態で20年〜30年。

晩年にさらに頻度を増したヺベンピ症、しだいに楽観できない状態になっていきました。
認知症が始まったころ、ベンピのために何度も内科にかかって浣腸です。
認知症になっても、ヺベンピに苦しんでも、『水飲まない』。これは変わりません。
しかし最晩年、母は痩せました。命がけの痩身の顛末を書いてみますね。

当時、わたしは父と母だけを介護していたわけではなかったので、まあまあ多忙だった。
二日ほど目を離していたときにそれは起きました。
ある朝、母が緊急搬送されたと一報が。
2日ほど前から腹痛を訴えていたと父の弁。
病院で検査の結果、母の腸は内容物の多さに耐えきれず、結腸近辺で大きく裂けてしまったと判明。
結腸穿孔です。
腸内の内容物は腹腔の広範囲に漏れ広がり、腸内細菌による多臓器への感染症、高熱、失血、心停止、呼吸停止。しかしERで懸命の措置の結果、心臓が再び動き出し。

前回のコラムで書きましたが、このとき医師から、
『非常に危険な状態です。助かる可能性は一割以下かと思われます。高齢で体力もなく、手術中に亡くなる可能性があります。手術がうまくいっても、そのあと何日保つ、何か月保つと保証することはできません。また仮に助かっても、心停止の影響で脳が損傷を受けていたりすれば、術後、意識が戻らないまま、寝たきりになる可能性もあります……どうしますか』
と問いかけがありました。

手術をするかしないか、家族が判断せねばなりません。
しなければ当然、助からない。
手術しても助からないかもしれない。
助かったとしても、元通りにはなれない。
もしかしたら意識のないまま一生寝たきりかも。
それをふまえて決断です。

助かる可能性があるならば。と、手術をお願いしました。
たまたまですが、この一年前、同じ病院で同じ症例を扱っていて、そのときは痛ましいことにご高齢の女性が亡くなったと、新聞で読んだことがあった。
なので、母のときはちょうど、病院側にこうした症状へのノウハウができていたのかもしれません。

破れた腸を取り除き、人工肛門をつけ、腹腔内を徹底的に洗い、輸血し、感染防止を施し、途中で心停止し、呼吸も止まり、だがしかし心臓と呼吸が復帰(!)、五時間以上かかって手術は終わりました。
手術は成功しました。

その後母は、何度も危ない状態になりつつも、その都度強い抗生剤に切り替えたり、透析してもらったりして二ヶ月。
集中治療室を出ることになりました。
意識も回復しました。
酸素吸入器を外すことができ、首を動かすことができるようになり、「ハイ」「イヤ」が言えるようになりました。
体重は40キロ台に落ちました。
仮にわたしが同じ症状になったら、45キロ→20キロということになって、死んじゃったと思う。
ふくよかさが母の命を保ったんですね。
あれほど太りたくないと言い張った母ですが、結局のところ、余裕のある体重だったからこそ、助かったんだと思います。

余談ですが、この治療の二ヶ月間で、母の高血圧、高コレステロール、高血糖がきれいさっぱり直ってしまいました。

もうひとつ、母はこの二ヶ月間近く、自力で寝返りできなかったのですが、褥瘡ひとつできませんでした。看護師さんのおかげです。看護師さんはホントすごい。ありがたい。

ところがですね。
母が回復し始めると同時にあの悪魔の呪文『太りたくないから水飲まない』が始まりました。
点滴してるからまあ、大丈夫なんですが。
人工肛門でも、腸内に十分な水分がなければ、やはり順調に排便はできません。
ちょいちょい瞞すようにして「お薬ね」とか言って、水分補給です。

三ヶ月後、母は退院し、施設入りしました。
そしてふたたび『水飲まない』と言い出しました。
高齢者に水分を取ってもらうノウハウが施設と介護士さんにはあります。
施設では、母が水分不足になったとか、おおごとになったとかいうことはありませんでした。
それでもときどき看護師さんから、
『お水をもう少し飲んでいただけるといいんですけれどね』
とお話があったりしました。

『水飲むと太る』『太りたくない』
この組み合わせでの思い込みは本当に、困る。

もうね。

『水飲んでも太る』って言うの、やめましょうよ。

体重に敏感(心理的なもの)すぎて、命にかかわる状態になるのって、本末転倒です。
水飲んでも太らないから。
飲まないほうが絶対、やばいです。
とくにヺベンピ傾向のかた。
腸は破れることがあります。
破れて死に至ることだってあるんですから。

あともうひとつ。
スタイル保持を過剰に要求する風潮ですとか。
女性の外見や容貌をコントロールしようとするCMですとか。
周囲からの、「視線を気にしなさい」という感じの強すぎる圧力も。
そんなもん、ないほうがたぶんヘルシー。
って気がする。
『綺麗でいるために、不自由であることを我慢してでも、つらさを辛抱してでも、女だったら美を求め、手に入れるべき。それを捨てたら女じゃない』っていうご意見をときどき目にして、それはまあ、そういうこともあるでしょうね、そうしていると幸せよってひとはそうなさったらいいよ。皆自由だしね……と思うけれど。

水への誤解と美保持圧力と不健康の取り合わせはだめだと思う。

適度な水分、快便快眠。『出す』のはだいじ。

皆様。ミズノチカラを信じませうね(宗教ではありません)。



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