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冬の陣・布陣


Gちゃんが不思議世界にどんどん入って行くのと入れ違いに、Bちゃんはゆっくりと浮世へ戻って来つつあった。

11月、Bちゃんは意識がもどる時間が増え、声をかけて手を握ると、弱々しくではあったが指を動かして、反応してくるようになった。
まだ人工呼吸器は取れず、管を口にくわえているので声は出せない。

腹腔内の状態は一進一退からしだいに回復へと好転し、内部の悪いものを外へ出す処置が功を奏し、あらたな抗生物質の投与、透析などのいくつもの手当を受けて11月半ば、Bちゃんはついに危地を脱し、奇跡的な回復を遂げて、月末には人工呼吸器を外すところまでこぎ着けた。

話しかけると(うん、うん)というように頷くのである。一度ならず二度も、呼吸と心臓が止まって、脳がどうなるか案じられたが、ひどい損傷とまではいかず、記憶も保たれた様子だった。

やがて集中治療室を出て、ナースステーションに近い個室に移るまでになった。
声が出るようになり、手を動かせるようになり、めざましい回復ぶりである。

看護師さんから、
「Bさん、今日もご機嫌ね」
声をかけてもらって、嬉しそうにする。

さほど日を置かず、かすかながら声も出て、「はい」「さむい」一単語程度、話せるようになった。

看護師さんの献身的な看護にも、本当に頭がさがる思いだった。
これだけ長期間、Bちゃんは身体をまったく動かせず、完全な寝たきりだったのに、褥瘡ひとつできなかったのである。

Bちゃんの回復は人の命の強さたくましさと、医療現場の人々の頼もしさを、感動するほどに教えてくれたのであった。
腎機能の回復をはかって人工透析が続けられ、腹腔内の膿も減っていった。

私は頻繁に病室へ通い、人工肛門につける袋の交換の実習をさせてもらった。
オストケア専門の看護師さんから数度習って、実際に交換し、手順を書き留めておいて、次回の実習のときに疑問点を質問する。
学生さんになったつもりで自宅でもイメトレし、何度か実習を繰り返したあとで、
「いい感じに交換できるようになりましたね」
お墨付きが出た。
わーい。と、喜んでみたり。

が、浮かれてばかりもいられない。
12月、このまま順調に回復すれば、Bちゃんは数か月のうちに退院できるかもしれないという運びになった。
認知症でなければ装具の交換は基本的に自分でする。
Bちゃんの場合は人手に頼ることとなる。
ところが介護士さんは装具の交換はできない。装具の交換は医療行為なのだとか。

ということなので、看護師さんが常駐している施設でないと、Bちゃんは受け入れてもらえない。そうなるとおのずと行き先は絞られて、特養か、有料か、いずれかを選ぶことになる。

さて施設を検討する前に、やらねばならないことがひとつあった。


12月中旬。

「Bちゃんのことなんだけど」
意を決して私はGちゃんの外堀の埋め立てにとりかかった。
「そろそろ退院後の話が出始めてるのね、このあとどうするかって」
「へえ。そうけ」
「Bちゃんを施設に入れようよ」
「バカ言え、施設だあ? あんなとこはな、寝かせっきりのくせにカネばっかかかって、割に合いやしねえ」

まず金。これはしかたがない。
Gちゃんが何よりも大切にし、誰よりも信頼しているのが金なのだ。
金が減るのはGちゃんにとって、身を切られるようにつらいことだと察せられた。

「でもさ、家で暮らすわけにいかないと思うよ」
「なんでうちで暮らせねえんだ」
「オストの交換もあるし(2日に一回)、おしっこはカテーテルだし(一日数回の尿廃棄)、薬の管理も必要だし(一日三回、数種類)。第一、自力で歩けないし」
「怠けてばっかりいるからだ、バーサンは努力ってもんをしねえ。歩かせりゃいいだ」

無茶言うんじゃありませんよ。
自分だって家の中で座ったきり、ほとんど歩いてないじゃないか。
なーにが『努力』だ。

「うちに帰ってきたら一週間でBちゃんは死んじゃうと思うよ」
「どのみち死ぬだ、ちょうどいいや」

自棄なのか? 意地なのか? もともとの性格か? 認知症のせいか?
とりあえず責めないで先へ進む。

「家に車椅子で入れないし」(段差だらけ)
「車椅子なんか必要ねえよ」
「車椅子使わないでどうするの」
「そのへんにバーサンを転がしときゃいいだ」
そうはいくか丸太じゃあるまいし。

「GちゃんはBちゃんの世話ができないし、Bちゃんもほったらかしにされたんじゃつらいでしょ」
「そんなこたあねえ、やる気になりゃなんだってできるだ」

口先だけのやる気じゃ、だめなんだ、っつーの。それにGちゃん自身に、やる気の『や』の字もないじゃんか。

「流動食の用意とか三度三度だよ。入浴も家じゃ無理だし、夜中も2時間おきに寝返りさせるんだよ。どう考えたって無理でしょ」
「オメエが来て全部やれ」

ふーん。
そうかよ。

このとき私の脳内で陣触れ太鼓が鳴った。

Gちゃんがこう出てくるであろうということは予測していた。
このときの話は私としては最後通告だったんである。

Gちゃんの城はすでにボロボロだ。
ボロでも一応、城なので、攻城側にも備えがいる。
第一に、人質(Bちゃん)を奪還せねばならない。
外側から力を加えて密着夫婦を引き離し、妻だけを城から救出する。
これはけっこうなエネルギーが要る。


まずは陣立て。

事前に周辺を固めるべく、Bちゃん担当の看護師さん、オストのケア専門の看護師さん、ケースワーカーさん、担当の外科医の先生。それとBちゃんのケアマネさん、地区包括支援センターの担当さん。それぞれの分野のかたがたに、時間をいただいて話を聞いてもらい、アドバイスを乞うた。
覚悟を決めて、恥も外聞もくそくらえとばかり、

Gちゃんの認知症が進んでいること。
認知症になる前から家庭内暴力が頻発していたこと。
Gちゃんは自分大事で思いやりはなく、他者を世話することなどできないこと。
さきの退院後のハサミ騒ぎしかり、Bちゃんを家に転がす発言しかり。
その上、異常なまでにケチで施設費用を出し渋るだろうけれど、Bちゃん名義の貯金だけはGちゃんの管理下からひっぺがし、私が運用したいと考えていること。

とにかく、Bちゃんを家に帰さないために、Gちゃんの暴力から離すために、包み隠さず明らかにして、できることは全部した。

まずケースワーカーさんが熱心に動いてくださった。
あちこちの施設に当たってみたが、待機人数から考えて特養は難しい。最低でも二年待ちという状況である。いろいろ検討した結果、
「有料老人ホームに絞られると思います」
ケースワーカーさんが結論を出した。

となれば、施設選びも対象が定まってくる。
Bちゃんが去年の夏、ショートステイでお世話になった施設に出向いていって相談してみると、
「介護士と看護師とで病院へ話を聞きにいきます」
対応してくださることとなった。
日をおかず、お二人が病院へ来てBちゃんに会い、看護師さんから事情を聞き、
「受け入れ準備を始めます」
受け皿がまず整った。

さらに、Bちゃんが入院したときからずっと担当してくださった外科医の先生も、忙しい中、Gちゃんの説得のために時間を割いてくださるとお返事をいただけた。

かくて

▪️先鋒 ケースワーカーさん
▪️二陣 病棟の看護師さん
▪️三陣 病棟のBちゃん担当看護師さん
▪️四陣 病院のケア専門看護師さん
▪️五陣 施設の介護士さん
▪️六陣 施設の看護師さん
▪️七陣 外科の執刀医兼担当の医師
▪️本陣 ムスメ(私)

こうして陣容を整えたところで、総勢八人がかりで、

「Bちゃんを施設に入れましょう」

Gちゃんを説得するための会議を開くと決まった。

ここまで、Gちゃんも、当事者であるBちゃんも、いっさいノータッチである。
今度こそ、Bちゃんを守りきるぞ。私の決心は固かった。

Gちゃんが何を言おうと、どうあがこうと、Bちゃんを手厚い介護の施設に入れるのだ。

Gちゃん説得会議の日の朝。
「督姫さん、家康さん、頼みます」
陣場方向(東照宮)に向けて手を合わせた。
北条包囲戦のあとで、愛娘督姫を無事に迎えた徳川さんの知略にあやかりたく、
「宜しくご加護お頼み申し上げます」
……という気持ちだった。

今思えば、どうかしていたなと自分でもおかしいけれど、それくらいの決意ではあった。


人質奪還  へ続く

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