決断2

いつかくる決断のとき・2


送管栄養(胃ろう等)を始めるか否か
施療中止か継続か。


起きてほしくないことを起きていないうちから危惧してあれこれ悩むのは「杞憂」。取り越し苦労とも。
考えすぎると身動きできなくなるので、ほどほどにしておくのがいい、それはわかるんです。

でも「起こらないはず」と言う言葉に「絶対」はつけられない。
いつか来る決断のとき・二回目は
『家族の生命の向かう先を、選択せねばならないとき』
今回のコラムは感染症から始めます。

わたしの父は施設内でインフルエンザに感染しました。
感染元は介護士さんでした。
のちに聞いたところでは、介護士さん自身は自分がインフルエンザに感染していたことに気付いていなかったそうです。
介護士さんはその日、日勤でした。
父のケアをして他のことも済ませ、その日の仕事を終えて夕方、施設を出てから、ほぼ30分後に発熱されたそうです。
翌日、病院でインフルエンザと診断されたということでした。

その日、父が発熱しました。
診察ではインフルエンザの反応は出ませんでした。
が、発症直後は検査薬が反応しないこともあるというので、念のため翌日もう一度病院へ行き、再検査。
インフルエンザに罹っていると診断が下りました。

入院したのは心臓の持病の治療で、40年近くお世話になっていた専門病院です。
本来であれば感染症患者の緊急な入院などはお願いできないところですが、継続して服用していたお薬のこと、全身状態のことなども含めて、主治医の判断が必要ということで、特別に病室を用意していただくことができました。

点滴が始まりました。
高熱のためにもうろうとし、父はもう自分の手で食事をすることができませんでした。
それ以前から視力がほとんどなかったので、食事は全介助状態だったのですが。
熱が下がった一週間後。
父は「食べる」ということができなくなっていました。
ものを口に入れて、噛んで、飲みこむ。食べる。
その行動自体を忘れたのです。

アルツハイマー型認知症が進むと、ときどきこういうことが起きます。
身体と脳の仕組みなのかもしれません。
数日前までできていたことが、ちょっと休んだあとで、できなくなる。
というより、脳と身体が『行動』『行為』そのものを忘れる。
父の脳はいわば【『食べる』を削除】したのでした。

経口での栄養摂取は望めません。
栄養は点滴。
経管栄養をどうしますかという問いが医師からありました。
経管栄養か
経静脈栄養です

経管栄養には、胃ろう、腸ろうがあり
経静脈栄養には、末梢静脈栄養と中心静脈栄養があります。

感染症後の弱った身体にメスを入れて胃ろうか腸ろうの手術をするのは、もう無理…という状況でした。
入院直後から点滴していましたので、そのまま継続をお願いしました。

でも末梢静脈栄養だけでは、栄養不足です。
血管がもろくなってきていました。
血液量も減っていきました。
繰り返される点滴のために内出血しやすい。
両腕とも青ずんで、細っていく。
血管が痩せて、あらたに針を入れようにも、血管にたどり着けない。

ここに至り、医師からわたしにふたたび確認が入りました。

末梢静脈栄養で生き延びるとしても、誤嚥性肺炎等の危険はある。
中心静脈栄養に切り替えたとしても、この先の年数を約束するものではない。

『どうしますか』
父母について医師からこのように尋ねられるのは、初めてではありませんでした。
今までどのような事態になっても、
『方法があるのでしたら、それでお願いします』
と答えてきました。
でもとうとう。この言葉を言うときが来たと思った。

『自然のままでお願いします』
覚悟はしていました。

おそらく、どれほど手を尽くしても、どの方法で治療を継続しても。
父の命が進んでいく方向を、変えることはできない。
母の看病が始まってから45年。
父の最初の入院から35年でした。
送るときが来たのだと思った。

でも、一抹の不安……一抹どころか、疑問もあります。
父の生命の終わり方を、他者である娘(わたし)が決めていいのか。
という問題です。
倫理と法の、両方で、それは許されることなのかどうか、じつはわたしはわかっていませんでした。

医師の質問に答えて、治療方針をどうするかということへの答え、少なくとも生存への希望をつなぐという返答なら、違法性もないと思う。
けれども、
「消極的治療を選ぶ」(実質、他に選びようがないにしても)
「死は避け得ない前提で、治療法を選択する」
父は認知症前にこの事態を想定していただろうか。
父自身が納得していただろうか。
認知症になる前の母は、配偶者としてそれを了承していただろうか。
この二者の、本当の希望がどうであったのかを、わたしも医師も確認しようがない。

おそらくは(どれほど手を尽くしても)死は避けられない。
だとしたら、医師がわたしに確認するのは、
『命の残り時間を一か月にしますか、二か月にしますか。ただし、どちらを選んだとしても、残り時間を正確に判断することはできませんし、残り時間は何か月と断言することもできません……ということを踏まえた上で、どうするかを決めてください』
ということになるのだと思う。

差はあるだろうけれども、その間をできるだけおだやかな日々にと、わたしは希望を出しました。
『痛まないように、苦しまないように、必要であれば緩和ケアでお願いします、治療費かかってもかまいません』
治療費はたぶんかかりませんよ、と医師は答えました。
そうか。
もう治療費もかからないんだ。

その後、ワーカーさんと相談し、終末期の高齢者を受け入れてくれる病院を探してもらいました。
幸い、わたしの家からそう遠くないところにある病院で、なんと一床空いていてすぐに受け入れ可と連絡が来た。
通常は一ヶ月、二ヶ月待ちらしい。とのことでしたが、即時転院です。

酸素吸入しながら高齢者を移送してくれる介護車を頼み、2日後に転院。
この病院でも『挿管栄養の方法についてどうしますか』
同じことを聞かれます。
『自然なままでお願いします』
『痛みのないように、苦しくないようにお願いします』
繰り返して医師に伝えます。

疾病の経過及び家族の希望については前病院の意思から診断書、サマリーとも届いているはずですから、現病院でもわかっているはずですが、命にかかわる内容ですので、繰り返しの確認となります。

説明と確認をすませ、以下、医師の弁です。
『急変した場合などに電話をいれますが、慌ててかけつけてこなくていいです』
『慌ててもたいていは間に合いませんからね』
『慌てて車を飛ばしてきて、事故にでも逢ったらそのほうがおおごとですから。連絡が行ったとしても、落ち着いて、ゆっくりきてください』
『病院としてもおだやかな見送りができるよう、医師と看護師が常時気をつけて見守り、看護しますから安心してください』

日々、看取りと見送りを続けてきた医師の言葉には、いたずらな感傷に流されない現実味というか、力強さがありました。
かつ、家族をいたわる優しさもあったのです。

患者の家族って不思議なもので、『そろそろかな?』と思いつつも、どこかで、『弱っても寝たきりでもそのままずっと生きてるんじゃないか』という思い込み(願い?)(現実を見たくない気持ちとか……)を、持っていたりするものですが、医師は違うんですね。

終末期の高齢者が運び込まれてくる。
意思の疎通はできない。
経管栄養は最小限。
となれば、あとはおだやかな見送り。
そこはしっかり看取っていきましょう。
という方針のようでした。

一ヶ月後、父は旅立ちました。
おだやかな最期でした。
(と、看護師さんから聞きました。連絡を受けて15分で病院にかけつけました。やっぱり)(が、間に合わなかった、やっぱり)(ここに笑とか入れそうになる)(だめだとは思うが)(笑)

清拭をしていただき、近隣の葬儀業者さんの一覧表のコピー、死去後にすべき法的手続きの一覧表、死亡診断書等をもらいます。
霊柩車を手配し、その日の午後、父を病院から近隣の葬儀会場へと移送することになりました。
医師と看護師さんと院内介護士さん、ワーカーさん、十名近くの病院のひとびとにお見送りをいただき、父の生涯最後の退院となったわけです。

葬儀を済ませ、手続きを済ませ、相続を済ませ、そうしていろいろなことをひとつずつ片づけていきました。

けれどもやはり、終末に備えて医師が尋ねたこと
『回復は望めない状態であることをふまえて、治療を続けるか否か』
わたしの答えの
『自然なままで』
これが医療と倫理のなかにどのように位置づけられているのか。
そのことは結局わかりませんでした。

終末期の高齢者の医療をどう判断するか。
終末期の高齢者本人が、今以上の(危険をともなうかもしれない)治療を望むだろうか。
身動きできず、意思の伝達もできない状態で、複数の管をつけて長く生き続けることを望むだろうか。
その年月がどれくらいの長さになるか不明のまま、いくつかの苦痛に耐えることを本人は望むだろうか。

生きていくことと、どのように生きたいか、というビジョンが乖離したとき、どう判断するだろうか。
これを家族側は、推定しなければなりません。
家族による終末期医療の決定は、ほとんどの場合
『その場になるまで考えたくない』
『決められない』
『話題にするのも憚られる』
『縁起悪い』という感じで、
親が元気なうちはなかなか話題にできません。
言霊とか縁起とか、ひとりでも言い出すともうだめです。

家族はさまざまです。
いわゆる『親』『らしさ』ゼロだった親もいますよね。
介護が大変だから早く片付いてもらいたい。
乱暴な父だったし、もう面倒見たくない。
あるいは、
医療費捻出できないからこのへんで幕引きして欲しい。
とかいう理由は(そう思いたくなるのも人情で、無理からぬケースもあるけれど!)高齢者本人の意思を推定しているわけではない。
終末期医療の決定を、こうした理由で左右することはできません。

また、『不仲だったから治療を縮小しようという考えなのか』という疑念を、家族側の誰かに一度でも指摘され、責められたりしたら(それが事実でなくても)、終末期治療を『自然に』と決定することは難しくなってしまいます。

かといって、高齢者本人が治療に苦しみ、意思の表明ができない状態で、本当は『もうおしまいにして欲しい』
と願うほど延命措置が辛いのに、まわりが
『一分一秒でもいい、長く生きてほしい』
『できる限りのことをして欲しい、管まみれでも、機械に囲まれてもいい、とにかく生かしておいてほしい』
これも家族側の願望であって、本人の気持ちを推定しているわけではない。
医療側は家族の希望通りにしてくれるでしょう。
が、本人の気持ちに添っていないという点で、これは虐待に近いかもしれない(という危うさがある……)。

つまり、感情とか愛情とか家族なりの複雑な相克とかを、全部横に置いて、冷静に
『推定』し、的確に『判断』し、その後の施療をどうするか。
家族は『決断』しなければいけません。

難しい問題です。
家族全員が「こうなったらこうしよう」と一致するとは限りません。
また、ひとりっ子は全重圧を自分ひとりで受け止めなければいけない。
覚悟を決めるしかありません。

30年ほど前に『病院で死ぬこと』という本を読みました。
旅だってゆくひとに、その旅立ちはもう止め得ないという臨終時になって、病院では心臓マッサージを始めとするいくつかの激しい施療行為をおこなう。それははたして必要なのだろうか。旅だってゆくひとに、見送る家族にとって、それがベストなのだろうか。(違うのではないだろうか)という問いかけの本でした。

個人の尊厳を保ったまま、自然に、無理なく、見送るにはどうしたらいいのか。
親ふたりとも持病を持ち、ひっきりなしの入退院、疾病が原因と思われる言動の浮沈と家庭内の荒れ具合をみてきたわたしには、切実な問題でした。

繰り返しになりますが、家族のありようはさまざまです。
どの方法が一番いいとか、どれが間違っているとか、他人が口出しすることではありません。

けれども、かつてない高齢化社会になろうとしている今、子世代と孫世代がこうした判断、決断を迫られるときがきます。避け得ない決断です。
親世代、祖父母世代を見送ったあとで、遺された若い世代が、自責にとらわれ、あるいは後悔して『あれで良かったんだろうか、間違ってなかっただろうか』と悩みながら生き続けるのは辛い。

たしかに、本人を目の前にして話しにくいよ。という話題です。
それでも、親子であるいは家族で、『終末期にどうするか』を、話し合っておくことをお勧めしたい。
いつかあなたが親の最期にあたり、
『親は常々、こうして欲しいと言ってました』
と言うことができれば、それは医療側に対してだけでなく、遺る家族のためになるのです。

いつか来る決断のときのために。
このコラムがあなたとあなたの家族の一助となりますように。


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