竹内寿文ゴルフ

⚫️PGAティーチングプロ、マン振りゴルファー⚫️2014年第16回PGAティーチングプロ…

竹内寿文ゴルフ

⚫️PGAティーチングプロ、マン振りゴルファー⚫️2014年第16回PGAティーチングプロ選手権で優勝し、PGAティーチングプロ約4000人の実力日本一になる。前年のティーチングプロ選手権は準優勝、翌年は5位。⚫️座右の銘 マン振り⚫️マン振りレッスンで飛距離が30yd以上伸びた方多数

最近の記事

【自己紹介⑤】

PGAティーチングプロの竹内寿文です。 ティーチングプロ1年目の2011年、PGAティーチングプロプロテスト選考会で第1次プロテストからの権利を得る。第1次プロテストの有馬ロイヤルゴルフクラブ(兵庫県)では76・69の13位タイで予選通過。スタートのロングホールのセカンドショットは、5番アイアンでシャンクしてダボスタート。最終ホールまでいつシャンクを打つかわからないハラハラした状態でのラウンドだった。過去の経験によりアドレスの時、少しだけボールから離れて構えた事でシャンクを

    • 【自己紹介④】

      PGAティーチングプロ竹内寿文です。 ゴルフ場に所属したので、ゴルフ場連盟の研修会(試合)に出る事になる。現在もある??と思うが、中部ゴルフ場連盟の研修会で愛知県、三重県、岐阜県、石川県と富山県と福井県の北陸3県のエリア。 最初に出た研修会は、レイクグリーンゴルフ倶楽部(岐阜県)。スタートホールのティーショットは、緊張で足がガクガクだった。自分のスコアとマーカーという決められた同伴者のスコアもスコアカードに記入しながらのラウンドだった。全く余裕がない中、スコア78。成績は

      • 【自己紹介③】

        PGAティーチングプロ竹内寿文です。 2003年の春、運命は突然やってきた。 練習場で知り合った年上のNインストラクターが、愛知県の春日井カントリークラブを紹介してくれた。藁にもすがる思いで、思いの丈を支配人にぶつけた。しかし、春日井カントリークラブは研修生を募集していなかった。だが熱意が伝わり、代わりにセラヴィゴルフ倶楽部(現在の名古屋ヒルズゴルフ倶楽部)を紹介してくれる事になった。研修生に成ったら練習場のアルバイトを辞めると周囲には伝えていた。 後日、セラヴィゴルフ

        • 【自己紹介②】

          PGAティーチングプロの竹内寿文です。 1998年の春、早く上達したい一心で練習を続ける日々。同級生からの遊びやコンパの誘いを断り、ひたすら白球を打ち続けていた。その様子を見ていた常連客が、アイアンセット(ジャンボ尾崎プロオリジナルモデル MNTⅢ PRO MODEL ダイナミックゴールド R400のスチールシャフト)を譲ってくれた。嬉しくてさらに練習に没頭していった。 しかし、ただ練習してるだけでは上手く打つ事が難しかった。上達しないと悩んでいたら、プロゴルファーを目指

        【自己紹介⑤】

          【自己紹介①】

          初めまして、PGAティーチングプロの竹内寿文(たけうちとしふみ)です。 ブログを始めるにあたり、自分の事を皆さんに知ってもらいたくて書き始めました。お手隙の際に見ていただければ幸いです。 私は、1978年2月20日、長嶋茂雄(当時読売巨人軍監督)42歳の誕生日に名古屋市の城西病院で生まれた。父(公務員)、母(看護師)、姉1人・兄1人の3人兄弟の末っ子。 幼少時代、両親が共働きだったため祖父母に面倒を見てもらっていた。いつも祖母におやつとして饅頭を食べさせてもらっていたの

          【自己紹介①】