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歴史を学ぶ

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歴史に関する記事をこちらにまとめています。
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#軍隊

複数国が参加する連合作戦は外交交渉と不可分の関係にある:1943年のカサブランカ会談…

1943年1月14日、フランス領モロッコで開催されたカサブランカ会談は、第二次世界大戦で同盟関…

メモ 戦後の日本における災害派遣の歴史

警察や消防で対応が困難なほどの広域的に被害が発生した場合、外部のインフラに依存することな…

論文紹介 朝鮮戦争とベトナム戦争で米軍が消耗戦を選んだ理由は何か?

消耗戦(attrition warfare)が望ましくないもの、非合理なものと見なされることが多い主な理…

軍事上の必要性と社会の価値観をいかに調和させるか?『市民と軍人』(1985)の紹介

現代の国際社会でアメリカが指導的地位を維持できている要因の一つは、その軍事的能力の優越に…

メモ 時代によって軍事的プロフェッショナリズムの内容は変化していく

近世ヨーロッパにおいて軍人、特に将校の階級は貴族の男性だけに開放されており、金銭で職位が…

論文紹介 機甲戦の将来を大胆に予想したフラーの理論の意義と限界

イギリスの陸軍軍人ジョン・フレデリック・チャールズ・フラーは第一次世界大戦(1914~1918)…

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メモ なぜリデル・ハートは軍隊の将校を大学で学ばせることを重視したのか?

イギリスの陸軍軍人バジル・リデル・ハートは、第一次世界大戦(1914~1918)の経験を踏まえ、独自の戦略理論を提唱した研究者です。彼は戦略だけでなく、軍隊における教育のあり方についても議論したことがあり、特に将校の教育に関しては改善の余地が大きいという考えを示していました。 リデル・ハートの見解によれば、軍人の業務はあまりにも多忙であるため、知識を向上させる余裕がなくなり、研究心を失ってしまう場合が多くあります。この研究心を回復させ、新しい視点で業務に取り組ませるには、将

メモ 技術が戦闘に与える影響を適切に分析することの重要性

以前、プロイセン陸軍の参謀総長を務めたヘルムート・フォン・モルトケが、19世紀の火器の性能…

軍事史で指揮システムの発達過程を追ったCommand in War(1987)の紹介

指揮(command)とは、組織から与えられた権限に基づいて、部隊や個人に対して自らの意志を示…

ベトナム戦争の後で米陸軍の訓練と人事はどのように立て直されてきたのか?

ベトナム戦争に深く関与したことは、アメリカ陸軍にとって大きな損失をもたらしました。多数の…

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論文紹介 第一次世界大戦でドイツ軍はどのように偽装の技術を取り入れたのか?

1914年にヨーロッパで第一次世界大戦が勃発してから間もなく、フランスではルイ・ギノー(Loui…

政軍関係が国家の戦略評価を左右することを説明したShaping Strategy(2008)の紹介

国家は機械的に環境の変化に反応し、政策を選択しているわけではありません。国家の方針を決め…

論文紹介 独裁者の軍隊は短期間の改革で戦闘効率を急上昇させる場合がある

1980年9月、イラクのサダム・フセイン大統領は、隣国のイランに対して武力攻撃を発動し、イラ…

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日中戦争で中国共産党はどのように兵士家族の支援に取り組んだのか?

長期戦を遂行するためには、軍隊の動員基盤を継続的に強化する処置が欠かせません。このためには兵士を送り出す家族に対する支援も必要です。これは政府軍の人事のみならず、反乱軍の人事を考える場合にも当てはまります。 中国大陸で日中戦争(1937~1945)が勃発したとき、毛沢東はそれまで敵対してきた蒋介石と和解し(第二次国共合作)、一致して日本に対抗する戦略をとりました。同時に、自らが率いる中国共産党の軍事部門を拡大することにも努めています。1937年に党の武装部隊であった中国工農