筆をとる、生きる

こんばんは、ひろなかです。
昨日のnoteを書きながらふと思いました。
なんで僕は脚本を書きたいのか。
別に書かなくていいじゃないですか。思ってることとかあればこういうnoteとかブログでいいし。なんで書くのか、何を書きたいのか。ちょっと掘り下げることにしました。

本当はね、一番書きたいのはあたたかいコメディです。コメディとまでいかなくても苦しくならないやつ。実際僕がそういう作品が好きだし、そういう作品に救われた。僕に可能ならそういう作品を書きたい。人に何か力をあげられる、一歩踏み出す背中を押せる。そんなものを僕は書きたい。自分勝手に生きている僕がもし誰かを救えるのなら、できると思うことすらおこがましいけれどもし出来るなら。そういう作品を書きたい。

でもね、多分無理です。今の僕のままじゃ無理。めちゃくちゃひねくれてるんです。多分自分の周りの小さな幸せに気づけない。ふとした他愛もない会話を楽しむことができない。もしできていても楽しめていることに気づけない。ちょっとずつ気付けてきたけど書くにはまだ足りない。感情って自分が感じられるものしかアウトプット出来ない気がします。少なくとも僕は。だから身近な幸せに気づけるまでは、これは夢だと思います。

じゃあ今書くとしたら何を書くの、って話ですが。もう一つ僕が好きな作風があります。会話劇。って言っても広いんですけど、命が感じられる作品が好きです。人の息遣い、熱量、力。演じているんじゃない、そこにいるのは本人だ、みたいなの。これなら今の僕でも書ける。一つ形にし続けたいものです。でもなんで書きたいのかはよくわかっていない。書きたいから書くでももちろんいいんだけど、根本にあるものは見失いたくない。小説じゃなくて脚本で、わざわざ命を吹き込んでまで何をしたいのか。

結局人を動かしたいんだなと思います。僕の尊敬するしんろくという方が以前言っていました。「演劇は人の人生を変えるものだと思う。観る前と観た後で人生を変える。そういうことを僕はしたい。だから僕は人生を演劇にするんだ。」と。実際僕は彼に出会って人生が変わっています。利己的な考え方が少しずつ利他的に向くようになりました。人を動かしたいっていうのもきっとその影響。もともと”自分が役者をやりたい”だったのが”観る人に何を感じてもらえるか”に変わった。ここがまあ演じるときに考えすぎる原因になるんですけど…。

多分僕は悩みとか難しさとか、人として生きることを書いていくと思います。半分自叙伝みたいのものになるとは思いますが。きっと僕が感じている悩み、乗り越えてきた悩み。誰かには刺さるんじゃないかなと勝手に思っています。もしかしたら悩んでいない人を悩ませてしまうかもしれないです。でもそれでいいと思います。人間って悩むものだと思うし、悩まないのなら仏か獣です。うん。僕は人です。誰かの人生が進みますように。

今日はここまで。
読んでいただきありがとうございました。

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