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凛太郎

隣人の姿を初めて見た。
朝の散歩に出るために豆柴の小太郎を抱いてエレベーターを待っていると801号室のドアが開いて若い小柄な男が出てきた。
「おはようございます。802の内藤です」
「どうも、イヌイです。乾電池の乾で、乾です。」
ああ、乾。サッカー選手にいるな。乾貴士か。
「あの、犬、大丈夫ですか?あれだったら、お先にどうぞ」
このマンションにエレベーターはひとつしかない。ペット可物件ではあるが住人全員が犬好きとは限らないので気遣いは必要だ。
「あ、いえ、こちらこそ、ご一緒しても?」
「もちろんです。」

「仕事で徹夜してしまって」
嘘だろ。目の下のクマどころかシミひとつないつるんとした白い肌。無精髭どころか産毛も見当たらない。白い半袖シャツに紺の綿パンツ白いスニーカー。清潔感そのものの服装。
在宅仕事で徹夜か。作家?ではなさそう。WEBデザイナー?投資家?もしかしてハッカー?なんてな。
「ものすごく眠いんですけど無性にソフトクリームが食べたくなって」
このマンションの1階はおいしいソフトクリームが売りのコンビニだ。
「ああ、MニSトップのソフトクリーム、おいしいですよね」

乾のつやつやした唇からピンク色の舌が現れて真っ白なソフトクリームを舐めているところを想像していたらエレベーターは1階に着いていた。
小太郎が俺の腕から飛び出した。
「あ、ではまた。」
振り向きながら俺もつられて駆け出した。
乾は微笑んで手を振っていた。

散歩を済ませて帰宅。今日は土曜日。彼女と待ち合わせして映画を観て、スーパーで買い物して、小太郎を夕方の散歩に連れて行って、二人で夕食を作ってビールを飲みながら食べる。
久しぶりに彼女はうちに泊まる。仕事が忙しかったり、彼女の都合もあって、本当に久しぶりなのに俺は風呂上がり彼女が念入りに肌や髪の手入れをしている間にうとうとしてしまった。

乾の唇。舌。ソフトクリームじゃなくて俺のあそこを執拗に舐め回す。あ、やめてくれ、あ、あ、あ、あッ…

俺のあそこを舐めたり吸ったりしていたのは彼女だった。
「そんなに気持ちよかった?」
最悪だ。

彼女に申し訳ない気持ちで結局3回もしてしまった。彼女は憎らしいほど満足げに寝息をたてているけど俺は眠れそうにない。

そっとベッドを抜け出し、キッチンへ向かう。
ロックグラスに氷を入れて、焼酎を注ぐ。
グラスを手にソファーに腰掛けると小太郎が膝に乗る。
焼酎をあらかた飲んでしまったところで程よく酔いが回ってきて、俺は小太郎を胸に抱いて横になる。と、テーブルの上でスマホが震えた。
LINEの通知。乾?ソフトクリームのアイコン。連絡先交換してないのにどういうことだ?やっぱり彼はハッカーなのか?恐る恐るトーク画面を開く。

「突然のメッセージ失礼致します。隣の部屋に住んでいます乾です。正確にはこのメッセージを内藤さんが読んでいる時には私はもう隣の部屋にはいません。
わたしは地球人ではありません。わたしは母星(仮にXとします)から派遣されて地球の調査をしていました。ちょうど今日で任期を終えてこれから帰るところです。
わたしの母星Xは地球に比べたらたいへん小さな星ですが、高度な文明をもつ平和な星です。
小さな小さな星ですので、戦争など仕掛けられた日にはあっという間に占領されてしまうか消滅してしまうしかないのです。ゆえにわたしたちの星Xは決してほかの星に見つかるわけにはいかないのです。
そこでわたしたちはあらゆる星に赴き、わたしたちの星を見つけることがないよう、万が一見つかってもたどり着くことができないよう監視し、あらゆる電波をコントロールしています。

任務に就いている間、わたしは地球で好きなものが二つできました。犬とソフトクリームです。
わたしたちの星では家畜以外に動物を飼うということはなく、動物をペットとして可愛がるということはありませんし、実際動物を可愛いと感じたことなどなかったのです。しかし地球の犬の可愛さといったら!連れて帰ることはかなわないので内藤さんのこのスマートフォンに保存されている小太郎くんの画像と動画をコピーさせていただきました。事後報告になってしまい申し訳ありません。
ソフトクリームはわたしたちの星の技術で似たようなものが作れそうです。
地球はわたしたちの星に比べればまだまだ遅れているところも多いですが、「かわいい」「おいしい」「気持ちいい」を求める地球人の姿勢には感心しきりであります。
もう二度と会うことはないでしょう。わたしのことははやくお忘れください。

このメッセージは24時間後に消滅します。」

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