「数学は役に立つ/立たない」について思うこと

(この記事は 2016年9月20日 に執筆したものを一部加筆・修正したものです)

世は数学ブームのようで、近頃「役に立つ数学」と銘打った記事や特集をよく目にします。一方で「数学の勉強は役に立たない」「加法定理なんか社会で使わない」といった文句も引き続き定番のようで、そういったシャウトが飛び出ては反論でタイムラインが賑わうのももはや見慣れた光景です。

僕としては「数学は役に立つ」という事実はもちろん肯定しますが、「役に立つから文句言わずにやれ」とも「役に立たなくたって良い」とも言いたくありません。

「数学が何の役に立つ?」と疑っている人でも、数学が本当に何の役にも立っていないとは思っていないはずです。科学者や技術者が数学を使ってることは知っているだろうし、現代の生活を支える技術に何かしら数学が関わっていることも想像できるはずです。

疑っているのは「自分にとって」何の役にも立たないんじゃないかということなので、「○○の役に立つよ」と言われたところで、その○○に興味が持てなかったら疑いの気持ちは変わらないでしょう。

そもそもなぜ数学は「役に立つ/立たない」ばかりで語られるのでしょうか。例えば「サッカーは苦手だ」と言う人はいても「ボールを蹴ってゴールに入れるスキルが何の役に立つ?」なんて問う人は見たことありません。

それは、「数学は役に立つ」という事実を「数学を学ぶべき理由」と同一視してしまっているからなんじゃないかと思います。

社会で生きていく上では何かしら人の役に立っていくことは必要だし、人生には限りがあるので、「役に立たなくたって良い」などというのは無責任だと思います。一方で「役に立つ知識」を一通り身につければすぐに社会で役に立てるかというと、そう簡単なことでもないようです。

僕は学部時代(9年前)にこのことでかなり悩んでいました。僕が好きな数学は「役に立つ方の数学」ではないと思っていましたし、数学を使う仕事に就くことにも興味はありませんでした。

しかし自分が好きな数学だけやってその先生きていけるかというと全く現実感がない。これはどうしたものかと鬱屈とした日々を送っていました。

大学卒業後は大学院に進学せず、はじめはベンチャー企業で、その後2度転職をしてソフトウェアエンジニアとして働いてきました。その経験を通して学んだのは、人の「役に立ち方」は実に多様で「何の知識・スキルを持っているか」だけで規定されるようなものではないということです。

活躍している人はその人なりの芯(アイデンティティ、ユニークネス、ビジョン)があり、やりたいこと/やるべきことを遂行する上で必要な知識やスキルはその都度躊躇なく吸収し体得していました。そしてその過程も楽しんでいるように見えました。

彼らには学習の目的が明確なので「役に立つ/立たない」などという曖昧な判断基準で悩んだりしていないようです。

僕もソフトウェアエンジニアとして働く中で、数学が直接仕事に役に立ったことはほとんどありませんでした。しかし数学を通して鍛えられた考え方やものの見方は、ソフトウェアの開発や設計において常に活きていたと思います。

「数学は役に立つか?」と問うとき、数学の知識が直接使えるような仕事は限られていますが、もっと広く、数学的な考え方やものの見方が活きる仕事ならかなり広範囲に渡るだろうと思います。

この「広い意味で役に立った」という経験は、数学に限らず、何かを深く学んできた人なら誰もが共有しているものだろうと思います。



「役に立つ知識」は大切なのですが、そればかりだとつまらないし、皆同じような知識を使って同じように働いていては、個人としても集団としても「ユニークな役に立ち方」はできなくなるんじゃないかと思います。

なのでもし「数学は役に立つのか?」と疑問に思ったら、問いを「私はどう社会で活躍したいのか?」に変えて、それを見つけ出すことを優先すべきなのだろうと思います。

もちろんそれは簡単に見つかるものではないので、それを見つけ出す/作り出すためにも、「役に立つ/立たない」だけで取捨選択をするのではなく、幅広く物事を学ぶ姿勢を持っておくことが大切だと思います。


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