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31歳からの大学院進学 - 数学・修士課程 (2016年4月30日)

この記事は 2016年4月30日 に執筆したものです。

どうも、佐野です。4月から会社を休職して、大学院に進学しました。一人の学生として日々数学を学んでおります。入学からちょうど一ヶ月経ったところで、記憶が新鮮なうちに受験までの経緯を振り返ってみようと思います。

学部生の頃 (2003年〜2007年)

僕は大学で数学を専攻していました。大学院の試験にも合格したものの進学せず、卒業後は社会に出ることにしました。

学部で数学科を選んだのは数学が好きだからではあったのですが、他に興味の持てる分野がなかったという面もありました。大学院も「まぁ行くんだろうな」ぐらいに思ってはいたけど、研究したい分野がハッキリとあった訳でもなく、その先も研究者にはならないだろうと思いつつ、就職に対しても前向きでありませんでした。

そういった漠然とした将来への不安の中で、4人で暮らしていた実家で1人になり(両親は海外へ兄は地方へ)、バイト先の人間関係がうまくいかず、講義はどんどん難しくなってついていけなくなって、ストレスで心身ともにダメにしてしまいました。

院試(大学院の入学試験)はなんとか合格したのですが、「落ちたらどうしよう」という不安から解放されたという安堵が強かったのを覚えています。

院試が終わって時間ができた頃に、中学のときのコンピュータ部の先輩から「未踏ソフトウェアに応募しないか?」と誘われ、その提案が採用されたことをキッカケにそのメンバーたちと会社を設立することになります。

具体的な目標に向かってチャレンジするのは久しぶりに心の底から燃えました。このメンバーと会社をやれるチャンスは今しかない、大学院は試験に受かればいつでも入れるんだから、またその気になったときに戻ればいい。そう考えて大学院の進学を辞退しました。

しかし全然納得の行くレベルで「数学をやった」と言えない状態でそこから離れるのは未練が強かった。それでも中途半端ではいけないと思い、持っていた数学本は全て図書館に寄付したり友人にあげたりして手放しました。

それ以降はしばらく数学のことは心に秘めて過ごしてきました。

社会人経験と心境の変化 (2007年 〜 2014年)

その後は色々な紆余曲折がありながら、二度転職し、28歳のときに結婚もして子供も産まれ、仕事と生活が安定してきたことで「決して振り返るまい」と思っていた過去のことも少しずつ受け容れられるようになってきました。

2014年、 Apple から新しいプログラミング言語 Swift が発表されました。僕は当時 iOS アプリ開発をしていたので Swift は出てすぐ熱心に勉強しました。 

Swift は数学とも相性の良い言語で、数学とプログラミングを絡めた話を社内の LT で発表したら、なかなかウケが良かったのです。

今度は社外向けの勉強会でも「虚数は作れる!Swift で学ぶ複素数」という発表をしました。これを 250 人のエンジニアの前で発表したのですが、これがまたとてもウケがよかった。

数学の話でこれだけ多くの人に喜んでもらえたのは初めての経験でした。

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iOS 8/Swift 勉強会 @ Yahoo! JAPAN

この勉強会に参加してくれていた知り合いが「エンジニア向けの数学勉強会を開催してほしい!」と熱烈なリクエストを送ってくれました。

そんなニッチな勉強会を開催しても人は集まらないだろうと思ったのですが、「機械学習やゲーム界隈で数学勉強し直したい人は多い」と言われ「それはそうかも」と思って検討を始めました。

僕一人でできる話には限りがあるので、プログラミングと絡めて面白い話をしてくれそうな人を募ってみることにしました。そうして年明けの 2015年1月にプログラマのための数学勉強会を開催することとなります。

情熱の再燃と受験の決意 (2015年1月〜5月)

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プログラマのための数学勉強会は初回から好評で、その後も一ヶ月おきに第2回・3回・4回と開催しました。毎回発表者が面白い発表をしてくれるし、参加者にも数学好きな人も集まってくれるので、「自分ももっと数学をやりたい!」という気持ちは高まる一方でした。

それまで数学の話ができる仲間は身の回りにいなかったので、一気に孤独から解放された気分でした。

しかし普段仕事もあり、生まれたばかりの子供もいて、学生の頃のようにしっかりとした数学を勉強する時間を取るのには無理があります。妻の許しをもらってゴールデンウィークに一週間丸っと図書館に引きこもって杉浦光夫『解析入門 Ⅰ』を読み直そうとしてみたりもしたのですが、たった数ページしか進まず愕然としたものです。

そんな中、たまたまこの記事を見かけて強く心を動かされました。

勉強をやり直したい大人のための大学受験のすすめ

勉強は楽しい。無茶苦茶楽しいぞ。死ぬほど頭のキレる教授や、自分より若くて自分よりはるかに賢い友人と知り合えるぞ。毎日のように興味深い勉強会が開かれているぞ。図書館で2時まで勉強して、ああ疲れたと周りを見ると、まだ何十人も残っている、そんな環境に、日本では、一定の学力さえ満たせば誰でも参加できるのだ。

大学へ遊びにおいで、と言いたい。

仕事・育児・数学の三つを同時にやるのは僕には不可能だ。本当に数学をやり直すなら学生になるしかない。しかしそれは今やるべきことなのか…

そうだ、学部時代にお世話になった先生に相談メールを送ってみよう。勇気を振り絞ってメールを送ったのですが、一週間待っても二週間待っても返事はきませんでした。もしやと思って調べてみたらやはり定年で退官されていました。

それはもう深く落ち込みましたが、冷静に考えると僕は先生に何を相談したかったのでしょう。「君ならやれる」と背中を押して欲しかったんじゃないか? このような自問自答を経て、反乱を起こすような気持ちで大学院の受験を決意しました。

受験を決めたのが5月で、試験は9月。8年のブランクがありながらたった数ヶ月で受験は明らかに無謀ですが、落ちたところで失うものといったら受験料ぐらいだ、一度受かってるんだからなんとかなるだろう!とテンションを上げて「エイヤ!」と受験申込書を提出しました。

狂気の受験勉強 (2015年5月〜8月)

その後は大学一年の解析・線形代数から復習し直しました。平日は行き帰りの通勤時間と昼休み、帰宅後から就寝前まで、土日は部屋に引きこもってひたすら勉強。

ペース的には一ヶ月で一年分復習しないといけないので、じっくりと読み込むことはできず、消化不良のままガツガツ詰め込んでいったので相当にキツかったです。しかし学部時代にちゃんと勉強していたものはそれなりに潜在記憶に残っているようでした。

9月に受験を控えていることは職場には隠していましたし、身の回りの人たちにも話していませんでした。そんな中でたった一人、受験する事実を明かし、勉強の心の支えとなってくれた方がいました。「第3回 プログラマのための数学勉強会」で発表してくれた松森さんです。

松森さんは受験に関する悩み相談のみならず、数学で分からないことを質問したらノートの写真を送って指導までして下さいました。松森さんのサポートなしに、院試に合格することは不可能だったと思います。本当に感謝しています。

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松森からの Facebook messenger 経由でのご指導

受験 (2015年9月)

9月、いよいよ本番です。受験はもちろん平日なので、有給休暇を使い切って仕事は休みを取りました。準備は万全ではなく焼き刃もいいところです。

1次試験は筆記。それはもう緊張したし、本番中「ルーシェの定理」と「リウヴィルの定理」どっちがどっちか分からなくなったりして大変テンパりました。

試験の翌日には1次の合格者が掲示され、自分の受験番号を見つけることができました。

2次試験、口頭試問。数名の教授の前で黒板の前に立たされて質問に答える形式なのですが、これまた劇的に緊張しました。人前で喋るのは仕事でそれなりに慣れていたはずですが、自信のないこととなればフレッシュに緊張するものだと分かりました。

そしてその2週間後、合格者発表。掲示板に自分の番号を見つけることができました。9年前にも同じ経験をしているはずですが、当時とは比べようもないほどに嬉しく感じました。

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入学式、一歳の娘と

その後、入学まで… (2015年9月〜2016年3月)

その後は、上司やチームへの報告と、休職するための手続きなど。このタイミングで住宅ローンを組んだりもしました(学生になると審査に通らなくなるので)。入学に向けてもっとちゃんと学力を鍛え直したかったのですが、有給も使い切ってしまったし時間を取ることはできませんでした。

3月31日まで働き、最終日には激励と共にお世話になった人たちに見送りをして頂きました。

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学生になって (2016年4月〜)

そして4月から学生となり、雨の日も晴れの日も図書館にこもって数学の勉強をしています。数学していると1日がすぐに過ぎてしまい、もう一ヶ月経ったのかと思うと少し焦ります。それでも数学に没頭できることは幸せですし、この時間は大切に使わねばと心から思います。常にフルパフォーマンスでいたいので、心身の健康にも気をつけねばなりません。

研究室は第一希望のところに配属されました。10月の面談で「何を研究したい?」と問われ、「数学がしたいです…」としか言えなかったのは情けない限りでした。この一年のうちにテーマを見つけられたらと思っています。

先日はじめて先生や先輩方の前でゼミ発表をしました。「できるだけノートは見ずに、自分の内から出てくる数学を話してください」と言われたのがとても印象的でした。早くそうなりたい。

育児については、子供(1歳)の保育園の送りは僕が担当し、お迎えは週に2, 3回やっています。土日のいずれかは勉強させてもらい、残りは子供と過ごす日にしています。家事も二人で分担してやっており、妻からは「予想以上に協力してくれるので、なんとかやっていけそう」と合格点をもらえているようです。

まとめ

いま改めて、9年前、学部生の頃に心身を蝕んだ悩みはなんだったのかと考えると、数学にも社会にも適合できないことへの不安と、狭い視野と凝り固まった価値観による必然的な行き詰まりだったのではないかと思います。

僕にとっては一度数学を離れたのは良かったと思いますし、晴れやかな気持ちで戻ってこれたのも良かったです。

9年間を総括して、過去の自分にアドバイスを送るとしたらこんな感じです:

* その気になればいつでも稼げるという自信が持てると強い。
* 目的意識を持って真剣に取り組んだことは、目標の通りにならなくても無駄にはならない。
* 合わないと思った人でも共通の目的意識が持てればやっていけるし、それを通して「合う人」の幅も広がっていく。

僕が sho_yokoi さんの記事に動かされたように、この記事も再び学生に戻りたいと考えている社会人や、就職について悩んでいる学生にとってのヒントとなれば幸いです。

最後まで読んで下さりありがとうございました。

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