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『取材・執筆・推敲』を読む①:前段として

『取材・執筆・推敲』を出来るだけ、しっかりと読みたい、と思った。
なので、この本あるいはその周辺で感じたり、考えたことを言語化していきたいと思う。

この本は、教科書として書かれている。
教科書は、読むためのものはない。身に着けるためのものだ。
だから、この本の正しい「使い方」は、自分に行動変容を起こすことだ。
本を読み、人の話を聴き、街を歩くときに自然と「取材」をすること。「執筆」の時、この本の説く技術が頭に浮かぶ、あるいは無意識レベルでその通りに書ける。「推敲」の際、最強の読み手として古賀史健さん自体が呼び出せるようになる。
そういう目的のために書かれた本のはずだ。

でも、そんなに簡単なことではない。
それはそうだ。これまで人生で小中高とあれだけの教科書を読んで、社会人になってからも様々な本を読んできた。それでも、身体に染みついたと言えるようなものはいくつも存在しない。

だから、出来るだけ自分の中にこの本を刻み込こむためにも、この場でアウトプットをしてみようと思う。
自分なりに読んで考えて、関係するものを読んで、実践をして、また考えて。
その繰り返しの中で、自然と血肉となり、ライターとしての筋力が付いてくるのだと思う。

この本の中でも、それが推奨されている。

本書のなかでぼくは、たくさんの「技術」や「方法」を紹介した。しかし「テクニック」については、ひとつも紹介していないつもりだ。ぼくにとって技術とは、考え、磨き、高めていけるものであり、テクニックとは身につけたらそこでおわるものである。
 だからぼくは、この『取材・執筆・推敲』が、これからなにかを書こうとする人たちにとって、「考える手間」を省く助けになることを、まったく望まない。できることなら本書をきっかけに、これまで以上に多くのことを、自分のあたまと自分のことばで考えていってほしい


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まぁ、肩ひじ張っても疲れるので、ぼちぼちやっていこうと思う。
なにせ、楽しくてやっているんだから。


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