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「Noteをそんなに読んで何になるの?」と言われれば

 Noteを、結構読んでいる方だと思う。
 知人で毎日noteを書いている人が多い。でも、仕事が忙しくない時期は、そのうちかなりを読んでいると思う。単純に楽しいのもあるが、癖になっている部分も多い。思わずnoteのトップページを開いてしまうのだ。嫁に「見すぎ」と言われたこともある。
 でも、「読んで何になっているのか?」は、これまでよく分からなかった。
 今日、それについて考えるきっかけがあった。

* * *

 今日は、近所の天ぷら屋さんで、妻と2歳の息子と夕食を取っていた。
 幾つかあるコースメニューのうち、季節の野菜を取り入れたものを選んだ。月ごとにレシピが変わりお気に入りだ。しかも、Lineのクーポンを使えば、月1回に限り、200円引きに出来る。ほぼ10%引き。かなり本格派の天ぷらが食べられる割に、とてもお得。
 慣れた動作でLineの画面を開き、「コースでお願いします」と店員さんに伝えた。

 コースが始まる。
 子連れの食事中は、楽しみ半分、半分が戦争である。
 楽しいのは、料理。戦争は、子供の対応。
 今日は天ぷらのお子様セットを頼んだが、熱すぎて子供が食べられない。ひたすらふーふーと息を吹きかけて冷ます。しかし、油でしっかり上がった上質な天ぷらですよ。そんなに簡単には冷めない。
 ナイフを店員さんに頼み、一つ一つを小さくする。切った断面から息を吹きかける。その方がはやく冷める。

 子どもの天ぷらが冷めてきたので、ようやく一息。少し前に運ばれてきていた自分の天ぷらを食べ始める。やや冷めているが、それでも美味しい。
 その時、店員さんが「クーポンの一品です」と言って、アボカドを揚げた一品を持ってきた。
 ん? これなんだろ?
 そして気が付いた。クーポンは、実は200円引きになる以外に、季節の一品を追加するという選択肢もある。恐らく、店員さんが勘違いしたのだろう。

「いや、頼んでいませんが。200円引きでお願いします」
 恐らく、やや素っ気ない声色だったと思う。
 やや明るい髪の女性は「すいません」と頭を下げて、アボカドを持ち帰っていった。すれ違った男性が小声で、でもはっきりとした口調で何かをその店員に伝えた。さらに女性店員は頭をちいさく下げて、キッチンに戻っていった。

 すこしの罪悪感を感じると同時に、ふと頭によぎったものがあった。
 下記のnoteである。

 書いたのは学友のおにさん。Uber Eatsで頼んだスタバのラテが、家の前で倒れていた。低評価をつけた後、配達員の方の心配りを知って罪悪感を覚えて――という話。
 正確な内容は覚えていたわけではない。でも、二つの読後感を覚えていた。
「こういう日々の小さなことにしっかりと罪悪感を感じられる人を、自分は感じ良く感じる」ということ。本人は失敗談を語っているんだろうけど、私はむしろ好感度があがる話だった。
 そして、その好感度はブーメランのように自分に帰ってくるものでもあった。「自分は、どうなんだろう?」。こういう細かい失敗や逆に気配を気にせず、流してしまっていないか。
 年を経るごとに面の皮が厚くなっている自分を感じることが多い。厚いと生きる上では楽だ。でも、それが悪い意味での無神経さになっていないか。
そんな風に思ったことを思い出した。

 次に同じ店員さんが配膳をしてきた時に、「分かりにくい頼み方ですいませんでした」と一言謝った。店員さんは、すこしおどろいた顔をしていたように思う。
 その謝りの成分の数%は、noteを読んだことから来ていたと思う。

* * *

 毎日書くのは考えることだ、と師匠の古賀史健さんが言っていた。
 だが、毎日読むのも、頭を動かしている。かも。

 そんな風に、思ってはいた。
 いたんだけど――、こんな風に、ぱっと日常の中にnoteで読んだものが頭に浮かんだのは、正直、意外だった。

 ただ、毎日書かれるnoteを読むことで、色々な人のささやかな日常をかなり多く触れさせてもらっている。その積み重ねは、ひょっとすると日常を見る眼を少しづつ変えているのかもしれない。

 まだ、「かも」だけど。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。とても嬉しいです 頂いたサポートで本を買い、書評を書くのが夢です!