3週間分、たまったことをばらばらと。
最近、思ったことをばらばらと書きます。
全くトピックがバラバラなので関心があるものだけ読んでいただければ……という思いで珍しく目次をつけます。
「人の話をきく」意義の違い
最近、副業としてコーチングを始めていて、定期的に話を「きく」ようになっている。その関係で、他のコーチとも話をする機会があるけれども、自分の志向の違いを感じる瞬間がある。
話を聞くと「誰かの目的達成を支援できること」「コーチングマインドを広めていくこと」等に意義を感じているコーチが多いように感じる。
でも、自分は、ただただ「人の話をきく」という行為自体が好きで、ありがたいと感じているのだと思う。個人的かつ深い話であればあるほど味わい深いし、ちょっと強く言えば人間自体についての理解も深まると思う。そこから自分の考え方や行動を振り返ることも出来る。
そして、そうして「きく」行為自体がありがたいと感じているからこそ、その相手に(ある種の)好感も持てるし、「きく」という行為自体を通じてその相手にすこしでも役に立てればと思える。
こうして文字にしてみると順番が逆になっているように見える。
役立ちたいが先にない。
「きく」が先にあって、その先に役立てればいいと思っている。
どこかでこの違いが、何かの差を生んでくるような気もする。
とりあえず、なんでも興味あることをボランティアでやったら?
何かを学ぶ上で、結局「実践」をしないと身にならない。
例えば、最近コーチングをやっているけれども、いくら本を読み講座を受け練習のセッションをしても、本当に話したいテーマを持っているクライアントとセッションをしてみて、それでようやくコーチングというものが血肉になってくる。上で書いたものを「ライティング」に入れ替えたところで、ほとんどそのまま通じると思う。
ただ、問題になってくるのは、その実践の機会がなかなか与えられないものが多い、ということだ。コーチングやライティングでも機会は見つけづらいけれども、「法人向けの研修」とかにするとさらに難しい。「経営」とかすれば、めちゃくちゃに難しい。
とはいえ、実践をしないと身に着けない。
そう考えると、とにかく機会を探し求めて、とりあえず何でもいいからやってみる、というところからしか第一歩は進まないのだろう。であれば、一番やりやすいのは「無料でいいからやらせてくれ」というのを「ネットワーク」のある誰か」に頼んでみるのが早い。
考えてみると、そうやって最近色んな機会が広がっている。そして、その実績があれば、案外そこから有料でやらせてもらえる場も出てきたりする。
最近つくづく思うけれども、放っておくと人生は同じことの繰り返しにりうやすい。
分かりやすく頼める仕事は実績の中にしかない。となると、過去やった仕事を頼むのが一番頼みやすい。
若い間は勝手に誰かが期待をしてくれたり育てようとしてくれて色々な機会がやってくるけれども、年を取るほどそういう目では見られなくなっていく。
そして、背負うものが多くなればなるほど――例えば、家族とか、介護とか、住宅ローンとか――、分かりやすく稼げる価値に行きやすい。
そしてだんだん、ある幅の中でしか行動できない人間になっていく。
とりあえず興味があることを学んで、それをネットワークの中で無料でもいいからやっていく。そこから、更に広げていく。その積み重ねが、自分をこれまで見たことがない場所に連れて行ってくれる。
最終的に、稼げるかは分からんけどね。そこは違う戦略が必要そう。
個人的な目標設定ってどうしたらいいのだろうか? あるいは年初目標陳腐化問題
年初に「2024年にやりたいこと宣言(プライベート編)」という記事を書き、11個の目標を書いた。
その中に「11, この目標を3ヶ月に一回振り返る。必要に応じて修正する」という目標を入れたこともあり、2か月に一度ぐらいは目標設定のnoteを読み返しているし、非公開のものも入れて2回は進捗確認を行っている。
だが、今見返すとあまり有効な目標とも思えないことが多い。
まず、「そもそも目標としてやりたいと思えないなー」というものが多く含まれている。例えば、「2,ウイスキーかワインをもう少し研究する」は健康上減酒したい自分には不要だ。「5,フットサルが出来ないかトライする」も、むしろランニングすら減っているのでやろうとは思わない。
逆に、一部の目標はある程度達成して形を変えている。「6,「聞く」活動が出来ないか模索する」は、コーチングが副業として確立しつつあるので、模索するという段階ではなくて「どこまで拡大するかを考える」あるいは「集客のための発信など、拡大のための他の活動をする」という段階に移っている。
これほどちゃんと年初の目標を追いかけたことがなかったので、考えたことがなかったがこれほどまでに個人のやりたいことや目標は変わっていくのか、と思う。
となると、年初に目標を立てて、それを見返すことに本当に意味があるのか、とも思う。
3か月毎とかに目標を立て直す方が適切なのかもしれないが、やや面倒くささを感じたりもする。
どうしてもんかね。
Noteの毎週更新が途絶えてみて
3週間前、Noteの毎週更新が途絶えた。Noteのダッシュ―ボードを見ると120週のバッジを貰っていたので、最低でも120週。多分、140週ぐらいは続いていたと思う。
土日に1本記事を書くというのを習慣にしていたが、諸々の雑事に追われて完全に失念していた。翌朝気が付いて「うわぁお」と思っていた。
「うわぁお」の中身が何だったのか。残念だというのもあった。だが「まぁ、別に……」というのもあった。
その時、実は「コーチングでお客さんを探せるようなnoteを書くべきでは?」と考えて違うnoteの立ち上げや記事を書いていた時期で、毎週noteを続けている意味が自分なりによくわからなくなっているタイミングでもあった。
元々、このnoteは、放っておくと書く機会のない自分にとって、最低でも週1は書く機会をつくるというのも目的だった。だが、ここ最近はやや定期的にインタビュー記事を書いていたこともあり、その観点でも意味が薄れていた。
そのため、毎週の更新が途絶えてみて、3週間そのままサボった。そして、久々に書いているのがこの記事になる。
ここから、また毎週記事を書くのか?と自分に問いかけてみる。
どうだろう。よくわからない。
だが、書くことで自分が整理される感覚は改めて感じている。その時感じた感情や感想、意見などは、ただ流されるとそのまま空に流した砂のように消え去っていく。noteで記事にしたからと言って忘れなくなるわけではない。でも少なくとも、一度文字にしたことによって、もう少し自分に残る何かにはなると思う。
ただ、「145週おめでとう!」のような週の継続自体がある程度の目的になっていたのは事実だと思う。それは「3週おめでとう!」「10週おめでとう!」では満たされないものだと思う。
さらに言えば、発信自体で違うものを得たいのなら、noteという形ではなくてもいいことも確かだ。
なので、改めてどうするべきかはよく分からない。
しかし、こうして書きたいネタが自分にたまっていたんだな……ということを感じる記事群でもある。勢いとはいえ、何個書いているんだ自分、と思う。
アニメ Fate/Stay Night [Unlimited Blade Works]
とにかく何も考えずに長い時間何かのコンテンツに触れたい。そう思ったときに、なんとなく見たのがこのアニメだった。
今となっては一大コンテンツ群と化したFateシリーズのはじめの作品、Fate/Stay Nightの最近のアニメ化。自分にとっては大学時代に散々堪能したコンテンツでもある。大まかな話の流れと有名なシーンは頭にあったものの、大体きれいに忘れていたので結構楽しめた。そして、おそらくアニメにすることでかなりの会話やシーンを割愛しているのだろう、話としても記憶よりもはるかにすっきりとして見られた。
今、見返すと「理想は必ず失敗すると分かっていて、それでもその理想に向けて突き進むのか?」というある種シンプルで普遍的な問いを扱った作品だと感じた。
これは、普遍的な問いだと思う。大学の頃は衛宮士郎という主人公の特殊性が目についていていた。でも、今思うと、例えば、「小説家になって成功する可能性は限りなく低いけど、それでもその道を目指したのか?」あるいは「スティーブ・ジョブズみたいな経営者となって世界を変えたい。でも、そんなにうまく行かないと思うけど」みたいな願望とそれほど大きく違わない気がする。
そしてその答えは、「そこに憧れているから」「その憧れは美しいものだと感じるから。たとえ、かなわないとしても」というシンプルな答えだった。これも普遍的な答えだと思う。
ありきたりな言い方だけど、最終的に大成するかどうか願いがかなえられたかよりも、その道の途中でワクワクしたり得難い経験が出来るかどうかの方が人生の充実にはつながるだろう。
映画 仮面ライダーガッチャード フューチャーデイブレイク
5歳の息子の付き合いで見に行った。かなり良かった。
端的に言えば、Badエンドルートのifシナリオに行ったもう一人の未来の主人公を、現代の主人公と仲間が未来にタイムスリップして救いに行く、という話だった。
一番、ぐっと来たのは、「未来のもう一人の主人公が、過去から来た仲間(ヒロイン)を過剰に戦わせないようにする」というシーンだった。その未来の主人公は、その過程でそのヒロインを失い、心に傷を抱えている。そんな主人公の前に、その少女が、何も知らず元気な姿で現れる。
どうもこの展開が、自分にはツボらしい。
最近アニメ化が2期まで完了した『無職転生』でもかなり似た展開が原作にある。その部分も、自分の中ではかなり強く印象に残っている。
ある種の極端なノスタルジーなのかな、とも思う。
失ってしまった人が、もう出会えるはずのない大切なものに出会える。失ってしまったが故に、その再会が途轍もなく貴重に感じられる。でも、それでも、別の世界線のことだから、自分にとって失ったことは変わりない。
目の前にあるけれども、手の中には絶対に戻ってこない過去の幻。
この映画は、その点にも救いが用意されていて、それがかつTVシリーズでもずっと語られているキャラの行動原理に従っていて、そこがかなり美しい作品でした。
恋愛関係じゃない、というのが良い。
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