ちょっとした努力

 昨日、久しぶりに友人に会った。
 お互い子供が出来る前は、数か月に一度は会っているような関係だったが、子どもが出来てコロナもあり5年近く会っていない人ばかりだった。
遊び方も昔とは変わっていた。昔であれば、昼からだらだらと呑み続けていた。でも、今はそれぞれが子供を連れてきている。カラオケ屋のパセラで20人近くが入る大きな部屋を借りてだらだらと話し、それから近くの公園で子供を遊ばせていた。全員が並んで座って、走り回る子供を見ていた。
 時間は流れ、年を取った。終わった後のLineグループも子どもが楽しそうで良かった、という感想が一番多かった。
 でも、話してみると個人個人はほとんど変わっていない。
 瞬きを一つすれば、昔の呑んでいた誰かの家に戻りそうな、そんな時間だった。
 またやろうね、次はバーベキューかな、と言い合って別れた。

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 5家族で予定を調整して、入れる場所を探して、と幹事的なことをするのは、それなりに面倒だ。
 そして、普段、暮らしていると、そもそも「昔の友達に会うか」という気分にならない。次々と増える仕事をこなし、終わったかと思えば家事と子育てを行い、余った時間に趣味とやりたい活動をねじ込む。それら全てが満点を取れているとはとても言い難い。誰かと会う機会は減り、会いたいと同じぐらい「会いやすい」が重視されてしまう。調整がしづらく少し遠方に住んでいる昔の友人と会う機会は少なくなる。
 ただ、最近改めて思うけど、友達がいて、その人と会えるというのは本当にしあわせなことなのだと思う。それが人生の価値の1つだと言い切ってもいいと思う。そして、「しあわせに寄与するかどうか?」という観点では、お金や仕事による達成と同じぐらい重要なものなのだと思う。
 であれば、その「ちょっとした努力」は払うべきものなのだ。
 特に、それをおろそかにしている自覚があればあるほど。

 息子も少し大きくなり、明らかに前よりも手がかからなくなった。
 色々な友人に会いたいと思う。すこし面倒でも。

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