週5ペースで酒を飲んでいた30代男子減酒をしてみて気が付いた5つのこと

 最近、減酒をしている。
 具体的には、この1か月間で3回しかお酒を吞んでいない。

 その前は、週5ぐらいのペースでは飲んでいた。会社やプライベートの飲み会でお酒を呑むのはもちろんのこと、晩御飯のお供に缶ビール、さらに夜にウィスキーを飲みながらばりばりスナック菓子を食べたりもしていた。
 今振り返って思うと、「今、もろもろのやるべきことを終え、オフになった」と自分のスイッチを切るためにお酒を呑んでいたのだと思う。
 朝は4歳の子供に起こされて家事が始まり、仕事をして、家に帰ってから諸々の家事を行い、必要があれば仕事に戻る。それら全てを終え、「自分の時間」を始めるための儀式としてが「飲酒」だった。
 音が印象に残っている。ソーダストリームで500mlの炭酸水を作る「ぷしゅっ」という音、氷をマグカップに入れる時の涼やかな音、そして瓶から少しづつ液体が注がれる「トクトク」という音。それらのすべてが、「もう、ここからは、なにも頑張らなくていいんだ」という風に自分を落ち着かせてくれた。
 そんなこともあり、お酒をかなりの頻度で飲んでいた。

 そんな自分が減酒を試そうと思ったのは、健康診断だった。
 今度別のnoteに書くつもりだけれども、今回の健康診断で「膵腫瘍疑い 要精密検査」という結果が出た。

 仕事の関係で癌について調べたことがある。そして、その時理解したのは、癌も種類によって深刻度が大きく異なるということだった。
 最も分かりやすい指標は、五年後生存率、つまりその癌を発症した人が5年後に何%生きているか、という数字だ。例えば、国立がんセンターの2019年の研究によれば、前立せん癌の5年後生存率はクラスⅠ~Ⅲで100%、最も癌の進行が進んだクラスⅣで60%強。一方で、すい臓がんはクラスⅠでも40%強となっている。癌毎に発見された時点の状況、他の臓器への転移のしやすさなどが異なり、生存率は異なる。そして、すい臓癌は最も「たちが悪い」。そんな風に素人なりに理解していた。
 そのすい臓がんを、疑われている。

 真っ先に思ったのは、「子供が大きくなる姿をどこまで見られるのだろうか?」ということだった。今、息子は4歳。仮にあと1年で自分が死ぬとすると、5歳までしかその成長を見られないこととなる。
 今、4歳の息子と過ごす日々は幸せだ。だが、5歳、6歳、あるいは小学生、中学生の息子を見ることが出来ないということは、とても残念だった。子供を育てる妻も、生活面でも、収入の面でも、いろいろな意味で困るだろう。

 癌を疑われて過ごす日々は、奇妙な時間だった。
 なんでもない時間が、とても輝いて見えた。公園で子供と遊ぶとき、いつもよりも風景が目に飛び込んできた。青い空が、風に揺れる木々が、そこでシャボン玉を無心に作る息子の姿が、たまらなく美しく見えた。
 「出来るだけ長生きしたいよなぁ」と素直に思った。

 精密検査を行った結果、幸いなことに癌はなく、腫瘍自体が膵臓にはなかった。今後そのリスクが高いことを疑わせるような要素もあまりなかったし、医者からは「週2日は休肝日は作った方がいい。その誰にでも行うアドバイス以上のことをする段階ではない」という趣旨のことを言われた。
 だが、そうしたリスクが今後の人生にあること、そして、その可能性をほのめかされただけであれだけダメージを負うことを知った時、生活を改めるべきだと感じた。

 真っ先に変えるべきは、飲酒習慣だと思った。
 昨年から運動習慣としてランニングも始めた。フルマラソンも2回走った。だが、食べるもの、飲むものはほとんど見直していない。アルコールを減らせば、結果的に同時に食べているお菓子等も一気に減るはずだ。
 なので、特に腫瘍の疑いがないといわれた後も、減酒が出来ないかを試している。抜本的にお酒をやめることも考えたが、今回のケースでは医者に言われたわけでもないので、そこまではしなくていいだろうと思っている。当面は週2回以下に抑えるという目標を置いてみた。特に根拠はないが。

 具体的には、妻と外食、あるいは家で飲むことは続ける。親しい友人と楽しくお酒を呑むのも維持したい。
 だが、それ以外は飲まない。普段はアルコールの入らない飲み物を呑み、会社の飲み会でもお酒は飲まない。そんな生活を2週間程度続けてみた。
 そこで気が付いたことを記してみる。


1、誰も「私が飲んでいるかどうか?」なんて気にしない

 一番の発見は、「別に私がお酒を呑もうが吞むまいが、誰も気にしない」ということだった。

 今どきの会社の飲み会ではお酒は強要されない。だから、飲み会では、もともとお酒が吞めなかったり、好きではない人が数人混じっていることの方が多い。印象としては、10人程度の飲み会で1-2人程度。
 なので、自分がお酒を控えてジンジャエールだのノンアルビールだのを頼んだところで、さほど気にされない。「あれ? どうしたの?」と訊かれても「いやー、健康診断でひっかかって」と言えば、多少同情の目で見られてそれ以上追及されない。

 成人してから飲み会ではお酒を呑むものと決めつけていた。なんとなく、吞まないと場の空気も悪くなるような印象さえ抱いていた。
 別に誰もそんなことを気にしていなかった。呑まない言い訳のシュミレーションもしていたが、不要だった。
 自分が呑まないと決めれば、飲まずとも会は成立する。だから、その会で減酒するかどうかは、完全に自分の選択で自由に決められる。これは自分にとっては一つの発見だった。


2,酒抜きで楽しみがどの程度減るか?は会による

 とはいえ、飲み会がこれまでと全く同じかと言えば、そんなことはない。楽しみは少し下がった体感がある。

 まずは、変わらないことから書く。誰かと話すことは基本的に楽しい。馬鹿話、自分の知らない話。自分の友人、あるいは仕事上付き合いのあるあまり知らない人。誰と話すのも、色々な楽しさがある。これは、吞もうが吞むまいがかわらない。

 一方で、お酒が入っている人の話を、まったくアルコールなしで聞くというのは、すこし体感が異なる。
 先日、仕事上の先輩の話を聞いたときにその違いが感じた。なんというか、より一定の低い温度で話が聞ける。
 自分で「昭和」のサラリーマンなんだよ、俺は」と語るその人は、自分の自慢話が多く、同じ話を複数回繰り返していた。あるいは「本当はこの人はここに傷ついているんだな」ということが会話の端々から見えた。そんなことがアルコール抜きの時よりもより感じられたと思う。さらに言えば、その話の詳細をお酒を呑まなかった場合よりも、細かくはっきりと覚えていた。

 それによって飲み会が全くつまらなくなる、ということは自分としてはない。だが、自分の盛り上がりが下がったと思う。体全体で酔客として飛び込むのではなく、斜めで向かい合うような体感。

 一気に満足度が下がった飲み会もある。
 洋食、はっきり言えばフレンチだ。
 GWに両親も含めて家族旅行に行った際、「自分がフランス料理は、飯と酒のセットで楽しんでいたのだ」ということを痛感した。豊潤な味わいのソースが絡まった肉だけでは満足できないのだ。そこにフルボディのスパイシーな味わいの残る赤ワインを取り入れ、交互に飲みたい。そこまでセットで美味しい料理と自分が感じていたことを理解した。
 逆に、居酒屋はそれほど満足度が低下しなかった。理由ははっきりしていて、ノンアルビール、あるいはドライジンジャエールでも十分満足できるからだ。ノンアルビールで食べる唐揚げは十分美味しい。フレンチと異なる。

 ということで、お店とシチュエーションによって減酒の際の満足度は異なる。自分以外の人の満足度に影響を与えてないことも合わせれば「どの会で酒を控えるべきか?」は自分なりに取捨選択できる。
 どの会は酒を控え、どの会は酒を呑めば、最も満足度が高まるのか。ここは今後も研究の余地があるところだと思う。


3、  ノンアルも楽しい


 家での晩酌は、アルコールの入っていない飲料に切り替えることとなった。その結果、ノンアル飲料を色々と探すことになったが、驚くほどいろいろな選択肢がある。そして、結構、どれも美味しい。体感として、この10年でかなり進化した領域なんじゃないだろうか。

 個人的な一番のおすすめは下記。かなりレモンサワーの味がする。炭酸もレモンも強いので、「普通のジュースと違うものを呑んだ……!」という感覚が非常に強い。これを、晩酌の一本として箱買いしている。

 梅酒で有名なCHOYAの出しているノンアルも美味しい。特に、下記は柚子の味がしておいしい。
 家で酒を呑む際、もともとビールかハイボール、あるいは日本酒・ワインなどの醸造酒を呑んでいた。なので、柚子のサワーなどは元々目にも入らなかった。なので、家でそうしたサワー的なものを呑むということ自体にも、新鮮さもある。
 お酒を控えて新しい飲み物と出会いがある、というのがなんだか興味深い。

 あとは、ジンジャエール。もともと生姜が好きなこともあり、飲料にはパンチの強さを求めていたこともあり、これも探していて面白い。今の所、ウィルキンソンのドライジンジャエールがとにかく辛いし炭酸もきつくて良いけれども、ジンジャエール用の生姜シロップを探すのも興味深い。ほぼ日で昔生姜シロップの作り方も掲載されていたので、作っても良いと思う。

 また、まだ試していないけれども、色々な酒造が「お酒として造った後にアルコールを抜く」という製法でノンアル飲料を作っているようだ。
 探せば意外と奥が深そうな世界でもある。もう少しこの世界には踏み入ってみたいと思う。


4,呑まないと、痩せる


 一番驚いたのは、体重の変化だった。するすると痩せていく。これまで、月間80km走っても一定の所で下げ止まっていた体重が、この1か月間で最大3kg追加で痩せた。
 これは人によるのだろうとは思う。もともと、深夜に酒を呑みながら、アテとして様々なお菓子をあてどもなく食べていた。スナック菓子、スルメイカなどの酒の肴、ベーコンやゆで卵などをその場で作ることもあった。さらに、特に動画を見つつ、お酒を呑んでいるときに顕著なのだけれども、歯止めがきかず飲み続け、食べ続けてしまう傾向にあった。これでカロリーを多くとっていたのだと思う。
 お菓子類を全く絶とうという意思はないので、今でも夜に甘いものを食べてはいる。だが、お酒が入っていなければ理性が働くし、そもそもそこまで食べ続ける流れにならない。よほどストレスがある状況でもなければ、個包装されたお菓子を3-4個つまんで終わることが多い。
 また、ノンアル類より紅茶を飲む頻度も上がった。飲んでいる量も減った。飲料から摂るカロリー量もだいぶ減っていると思う。
 体重気になる人には、2-3週間の断酒か減酒はおすすめのメニューかもしれない。


5,とはいえ、やはりお酒は美味しい


 昨日、1週間ぶりにお酒を呑んだ。妻と二人で近所の居酒屋に行った。
 久々に「生中1つ」と注文する。一週間ぶりに飲んだビールに、のどが鳴る。しばらく目を閉じて余韻に浸る。

 やっぱり、ビールはうまい。

 15分と経たず、中ジョッキは空になった。
 久々に飲むと、とてつもなくうまい。
 ノンアルビールとはちがう。
 もうぜんぜんちがう。

 だが、毎日飲み続けていたビールに、毎回それほど感動していたか、というとそんなことはない。
 そして、日々呑んでいるノンアルレモンサワーやノンアルビールに不満もない。

 当たり前の言い方になってしまうが、要はバランスなのだと思う。
 完全な断酒はつらい。まったく飲めない人生は送りたくない。
 だが、吞む量を減らして、他の飲み物に変えることでも、満足度はそこまでは下がらない(まったく下がらない訳ではないが)。
 そして、久々に飲む酒は、やたらうまい。

 そう考えれば、満足度と健康の適切なバランスがあるはずだ。
 そして、振り返ってみても、自分は適切なバランスから少し足を踏み外していたと感じる。



 もちろん、自分が今後どんな生活を送るかわからない。長い人生でたった2週間減酒を試しただけだ。また、週5呑む生活に戻る可能性もある。

 だが、今の段階ではそこに戻る気はないし、戻る「べきではない」と思う。それは正しくない選択だと強く感じる。

 「膵腫瘍疑い 要精密検査」という健康診断結果を読んだ時のあの視野が一気に狭まる感覚を忘れないこと。そして、その可能性を一部念頭に置いたうえで、自分なりに出来る生活の注意をすること。
 そのぐらいはできるだろうし、やるべきだと思うのだ。
 仮にまた同じかもっと悪い診断が下ったとき、節制した生活を送っていなければ自分を責めてしまう気がする。
 それは避けたい。

 呑むか呑まないかはほとんど自分の選択だけ。
 かつ、満足度と健康のバランスは取りようがある。
 良い気づきだった。


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