気になる気にならないどちらにも、良いと悪いがあるの難しいな。

わりと日常的に舞台観劇をする方です。この時点で、結構マイノリティだと思います。
舞台って観に行かないですよねあんまり。映画とはわけが違うと思います一般的には。ぼくも、今でこそ観ますけど、最初はなんか、ハードルが高いというか、というより、なんだか遠い世界の話って気がしてました。舞台ねー、へー、俳優さん生で見れるんだぁ、へー、変なのー。みたいな。そもそも俳優さんを生で見るっていう行為自体が、ちょっと想像ついてなかったです。そこでどんな演劇が立ち上がっているかということよりも、俳優さんを生で見てるっていう状況が、テレビや映画しか観たことなかった人間からすると凄く変な感じで、劇場に行く!って一歩が踏み出せなかったというか、踏み出すという行為に現実感が得られなかったです。劇場なんて行っていいんですかね?あたしみたいなもんが??みたいな。敷居が高いってことなのかなこれは。ちょっとよくわからないですけど。
あとそもそもチケット代がねー、結構しますからね。映画は2000円とかで観れちゃいますけど(それだって世の中的には高いって言われてたりしますし)、演劇なんて平気で5000円とかしますからね、まぁ、しんどいですよね。行くんですけどね。
え、なんで行くの?って話ですよねこんな書き方すると。これはねー、うーん、正直体験してみないと理解してもらうのは難しいような気がしますねー。生の俳優、生の演技に馴染みのない多くの人に、画面越しと生の違いを完全に腑に落ちるかたちで説明するのは、ぼくは不可能だと思っています。むしろ伝えようとすればするほど、舞台を大層な、大仰なものとして表現してしまいそうで、それって多分逆にハードル上げるでしょ?だからとりあえず行ってって言うことしかできないです。←
大きい舞台はあれなんで、とりあえず最初は小劇場から、とかも思うけど、どうなの、逆に小劇場の方がハードル高いんですかね?ぼくは今となっては小劇場の方が好きなのですが…。
まぁなんか、大劇場の方が有名な人も出てるし、なんか凄そう!って感じでイメージできるけど、小劇場って、どこにあるの?どうやってチケット取るの?誰が出てるの??と、はてな目白押しなのかもしれないぼくはそうでした。謎に包まれ過ぎているのかもしれない。
そもそも大劇場の演劇と小劇場の演劇は、個人的には全く別物だと思っています。小劇場は、大劇場のしょぼい版ではないし、大劇場は小劇場のすごい版でもないと思います。同じことを言っているかもしれませんすいません。そして、ぼくが演劇の醍醐味だと思っている「一体感」という部分においては、小劇場の方が圧倒的に体感できると思うのです。舞台上、もっと言えば作品の登場人物が、まさに目の前にいる。抽象的な話ではなく、この物理的な距離感が、観劇している自分を他人事でいさせてくれない、ほとんど当事者みたいな感覚で、固唾を飲んで舞台上を見つめる、ことになる。なっちゃう。それが小劇場演劇の力だと思います。
あとなんか、わかんないですけど、大劇場演劇(も、最高な作品いっぱいあります本当大好きですでも今回小劇場演劇の話をするのでちょっと語弊のある言い方してしまうかもしれませんでも本当いいものたくさんですカッコ内に入れる文量ではとてもない量を喋っていてごめんなさい)とか映画とか、って、上演されてる、上映されてる、って感じがする時間が少なからずあったりするんですよねぼくは。そういう瞬間がリフレッシュになって結果集中が続くとかもあるんですけど。かたや小劇場ってどこまでも、観にきた!!!観ている!!!!!という感覚がえぐいんですよね。さっき言ったこととだいぶ被りますけど、他人事でいれないんですよ。距離感的にどうしようもないですこれは。上演されてんな〜なんて感じで座ってらんないです。観るしかない。観る以外選択肢ないです。し、そもそも開演前、場内に足を踏み入れた瞬間から、観に来たーって感じが凄い。会場に向かう道すがらも、観に行くゾって感じが凄い。どこまでも能動的な娯楽だとつくづく思います。演劇は体験ですぼくにとって。小劇場は尚更。自分という人間や、個人の生活からは一定時間完全に切り離されるのですが、切り離されても自分は自分。切り離される前の生活や自分という人間を携えて、強制的に別世界に心身共に連れて行かれる。こんな感じなんですよね毎回の観劇が。これがクセになっちゃって。戻れないですわ。実際の肉体は、じっとただ舞台上を見つめているだけなんで全然動いてないんですけど、ですけどとんでもなく能動的。ね、意味わからんでしょ?わからんはずなのですよ。だからとりあえず騙されたと思って行ってもらわないと、ぼく自身が演劇のハードルを上げる一端を担ってしまうから。嫌なんですよ好きなんで。好きなんだけど説明できないから嫌だ。でも好き。愛。(?)

直近で観てきた作品の話をします。小劇場演劇というか、なんというか。会場はカフェでした。いやカフェと聞いてました。行ってみたら思いっきり劇場でした。いや本当は本当にカフェなんでしょうけど、むちゃくちゃ劇場として作り込まれてて、まずそこにびっくり仰天。開演前、舞台上はわりと抽象的なセットの中に生活感のある棚とか椅子とか飲み物とかが置かれてて、抽象と具象が入り混じってて面白いなーと思って見てました。本来カフェだから舞台袖(そもそも舞台袖というものが存在したのかも謎)にいろんなセットや物を置いておける場所があるはずもなく、よって最初から舞台面にあるものでほとんど全ての時間や場所を表現しなければならず、ああいうかたちになったんだと思う。
観た結果、めちゃめちゃよかった。人間は感情を剥き出しにすることはあんまりないから、いろんなことを理性で押し殺してると思うんですけど、そういった理性がたくさんたくさん働いていて、結局物凄く感情的な物語だったなと思いました。人間は生きていく中で様々な物や事や人に出会うし、それによって刻一刻と個人が変化していくのに、それは誰にだって自然に起きるのに、その自然に逆らって人間同士が折り合いをつけていくことには限界があるんだと思いましたし、それはとっても悲しいことだけれどどうしようもなくしょうがないことだと思いました。人間は全てが上手くいくことを諦めなきゃいけないけれど、それは諦めて脱力して絶望してしまうってことじゃなくて、絶対に諦めなきゃいけないことだからこそ、腹に力入れて歯を食いしばって生きていかなくちゃいけないんだよなという感想。登場人物や物語に圧倒的共感!!というよりは、人間が生きていくということについての作品(作家)の考え方に、酷く共感、というのが近い感覚なのかなー。
天井から垂れる無数の布がとっても効果的で、それに相まった照明が綺麗で残酷でした。綺麗と残酷ってそれぞれの言葉のイメージ全然違うけど、この表現がとてもしっくりくるのはなんでだろう。綺麗な様子が残酷であること、残酷な様が綺麗に見えてしまうことが、何事も綺麗事では済まされないことに通じていたようにも感じました。ぼくはね。
それと、会場がそもそもカフェなんで、超防音!って感じの場所じゃなかったから、外の車の音とかバンバン聞こえましたし、その日は雨で、その音も聞こえてました。うるさくはなかったけど気になった。悪い気になったじゃなくて、そういう本物の音が入ってくることが、妙にリアルで結局見入ってしまいました。
終盤、怒涛の展開を見せたお話でしたが、その周辺において、俳優のパワーのバランスが難しいなぁと思いました。これは序列とかそういうことじゃなくて、肉体的なパワーの話。ぼくの個人的な感覚っていうのはただ演劇を楽しく観るだけの平凡なものですけど、そんなぼくからすると、このシーンでこの人はこの人にパワー負けしてたら、次のシーンにいけるのかな?って思うところがありました。そんな少々メタ的な感覚では拭いきれないほどの感銘を受けた素晴らしい作品だったので、満足感には一切影響はないんですけど、あそこは生物としてねじ伏せてほしかったなと思った瞬間がありました。暴力的な話ではなく、発するパワーの話です。漠然としていてすみません。
でもとにかく、めちゃめちゃ濃厚な観劇体験だったなーー。観始める前の夕方、観終わった直後の夜、会場の外に小雨が降っていたことも含めて、そういう運も含めて、この劇団さんは持ってるな〜と思いました。そういう理由もあってか、いろんな境界が曖昧になったような、そんな夜でした。いい時間でした。

やっぱり、演劇は面白いな〜。

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