武村ショーゴ

学校で「○」を貰えなかった…のではなく、学校で「○」を貰うこと「しか」出来ない少年時代…

武村ショーゴ

学校で「○」を貰えなかった…のではなく、学校で「○」を貰うこと「しか」出来ない少年時代を送ってきました。そんな自分に、全っ然、納得出来なかった。そんな僕が大きく変わることのできた「学び」を、書いていきたいと思います。 http://takeshogo.com

最近の記事

  • 固定された記事

「世の中フェアじゃない」の思いが枷になっている…?〜常識的な「惑い」を断つ〜

◆「自分たちはこれだけ苦労してきたのだ」…て言われてもなあ先輩が後輩に、我慢を強いる時 上司が部下に、苦労を強いる時 よく語られる理屈があります。 たぶん、多くの人がその理屈を突きつけられてウンザリしたことがあることと思います。 もしかしたら、自分もその理屈を他人に語ったり思ったりしたことがあるかもしれません。 その「理屈」とは、 自分も苦労してきたのだから。 自分も我慢してきたのだから。 だから、お前たちも苦労して当然だ、我慢して当然だ。 こ

    • 古来より伝わる人間観察の手引き〜アビダルマとは〜

      昔、インドで凄い研究がされていたらしい… 「アビダルマ」という仏教用語があるのですが、「ダルマの研究」などと訳されたりしまして、 ブッダの説かれた「ダルマ(法)」に向き合って、その理解を深め、体系化して明らかにしてゆく… そういう仏弟子たちの営みをそのように呼ばれます。 「ダルマ」とはインドの古い言葉で、それが中国の言葉に訳されて「法」となっていますが、 「ダルマ」も「法」も、なんとなく言葉は聞くけれど、どうも意味が曖昧… そんな感じの用語ではないかと思

      • 「自分のことならいくら貶めてもいい」と思ってたらえらいことになってしまった件

        「他人を責める」も「自分を責める」も紙一重…? 他人の事を悪くなんて言えない。 他人を貶めるなんて、とんでもない。 けれど、自分ならば…自分なら、どれだけ貶めてもいい。 こんな風に、 他人を責めたり他人を悪く言ったり思ったりする事には強いブレーキがかかる反面、 自分に矛先を向けたならば、どこどこまでも責め抜いてしまう、 そんな両極端な感情が湧いてしまうことって、結構少なくないのですね。 いやあ、そんな感覚は全然理解できない。そんなん、逆でしょ。 と、思う人もい

        • 「良かれ」と思った行動に歪みが生じていないだろうか〜縁起する世界〜

          ◆「この人のため」の思いが歪んだものだったら…大切に思っている人のために「良かれ」と思って為すこと、言うこと、そして思うこと。 そんな行動の積み重ねが、本当に望ましい結果に向かっているのだろうか。 もしかしたら、何もかもが間違っていて、その人も自分も苦しまなきゃいけない方向に向かっていたりはしないだろうか。 「良かれ」の行動に、歪みが生じてはいないだろうか。 相手を思う気持ちが強ければ強いほど、そういう不安にかられることがあるかもしれません。 相手のことを「大

        • 固定された記事

        「世の中フェアじゃない」の思いが枷になっている…?〜常識的な「惑い」を断つ〜

          他人の「決めつけ」に疲れ切った心をどうすればいいのか

          ◆世にも理不尽な叱られ方「叱られる」ってのが好きって人はそんなにいないと思いますけど、 中でも「我慢ならない叱られ方」ってのがありますね。 「あえて人前で叱られる」 とか 「人格否定するような叱られ方をする」 とか 「必要以上に怒鳴られたり小突かれたりする」 とか まあ、こういうのは「パワハラ」として社会問題になるようなレベルですよね。 そんな社会問題を招くようなレベルとは違うかも知れませんが、 「勝手に決めつけられて、その前提でクドクドと注意される」 こう

          他人の「決めつけ」に疲れ切った心をどうすればいいのか

          「自分の考え方」に変化を起こす道は誰にでも開かれている

          ◆「考え方を変えよう」といっても、なかなか…「どうして自分は、うまく行かない行動を繰り返してしまうのかな…」 これまでの人生を振り返ってつくづく、自分の「失敗体質」「うまく行かない体質」みたいなものを感じ始めたとき、 自分の中に根深い問題が潜んでいるのではないかと思い始めることがあります。 そして、 「自分の『考え方』を根本的に変えていかないと行けないのでは…」 と、自分の「心」に向き合い始めると、 確かに「心」が自分の「行動」を生み出し、引いては「人生」その

          「自分の考え方」に変化を起こす道は誰にでも開かれている

          今の歩みに決して後悔しないために一番大切なこと〜浮世を生きる覚悟〜

          ◆「そうか、無常だったのか…」と気付く時 「もう、夏が終わってしまった…!」 コロナ騒動でバタバタしていたこともありましたが、 無情にも過ぎ去る時の流れに、ついつい油断をしていたことを思い知らされるのは、こういう区切り目の時ですね。 こういうショックを受けるのはまぎれもなく、「事実」と「思い」が違ったからです。 「留まることなく、全ては移り変わってゆく」という事実と、 「ちょっとくらいは、固定して変わらない何かがあるだろう」という思いと、 そのズレが、時を経れば経る

          今の歩みに決して後悔しないために一番大切なこと〜浮世を生きる覚悟〜

          「虚ろな世界」の感覚は「不安を克服する信念」になる〜刹那に滅する世界〜

          ◆刹那に消える世界 朝ごはんを食べ終わってから、流しで食器を洗っていると、 スポンジと洗剤と、ツルツルになっていく食器、生ぬるい水の感触、 やかましい虫の声と水の音、 綺麗になっていく食器の光景、 まだ口の中に少し残っている朝食の卵の味… この時、私に広がっている「世界」というのはこんなところでしょう。 だけど今となってはもうそれは「過去」のことであり、 いま私の「意識」が認識している「過去の記憶のイメージ」に過ぎません。 「食器洗いの世界」そのもの

          「虚ろな世界」の感覚は「不安を克服する信念」になる〜刹那に滅する世界〜

          頭ん中がぐちゃぐちゃになった時の特効薬となる思考法〜「渇愛」と「慈悲」〜

          ◆理想的な「思考停止」「余計なことは考えなくていい。ただ、慈悲を貫ければそれでいい。」 これぞ理想的な「思考停止」だと、この頃つくづく思います。 「思考停止」っていうと、普通は良くないことだとされるのだけど、 「停止」したほうがいい思考はどれだけでもあります。 いや、「止めるべき」だって分かっている。「止めたい」と切実に思っている。 だけど、どうにも止められない… そんな「思考」の数々が、私たちの生活の中には常にあるのですね。 私たちの「心」は基本的に、何かに

          頭ん中がぐちゃぐちゃになった時の特効薬となる思考法〜「渇愛」と「慈悲」〜

          「自分の事が嫌い」って、いけないことなのか?〜我執と無我〜

          ◆「私」のこと、嫌いですか…?「自分を好きになる」 というテーマは時折、耳にします。 これは、ポジティブな考え方には違いないでしょうね。 あまり度が過ぎて、 「この人、自分のこと大好きなんだろうな」 なんて他人から言われていたりすると、ちょっと痛々しいのかもしれないですけど。 「自分を好きでいられる」 というのは、心が安定して、未来に希望が持てて、他人に対しても暖かくなるために大切なこと。 だと言われれば、なんとなく頷けます。 逆に、 「私は、自分のことが嫌い

          「自分の事が嫌い」って、いけないことなのか?〜我執と無我〜

          「自分だけ大事にされていない気がする…」の思いをどうしたらよいのか

          ◆最も許せない言動は「嫌いな人」ってどんな人でしょうか? あなたにとって「嫌いな人」は、どんなことをしてくる人なのでしょうか。 私達が「嫌だ」と感じる言動。 これだけはどうしても、許せないと感じる行動。 それをされると、心から辛い気持ちになるような言動。 それは何でしょうか? これには色々な答えが考えられそうですね。 人によっては実に様々な「嫌がらせ」を想像できると思います。 これまで、ありとあらゆる他人の嫌がらせを受けてきたという経験があればあるだけ

          「自分だけ大事にされていない気がする…」の思いをどうしたらよいのか

          「こんな私なんかが…」の思いにがんじがらめの生き方を脱却するために〜「業不滅」と「無我」〜

          「だけどこんな私が…」の思いがいつも枷になる何かにチャレンジしようとした時に、 「だけど…こんな自分なんかが、なあ…」 という気持ちが沸いてきて、行動にブレーキがかかってしまうことがありますね。 「この人と仲良くなりたい」と思っても、 「私なんかが、おこがましいんじゃないか」っていう気持ちになったり、 「この仕事にチャレンジしてみたい」と思っても、 「こんな自分なんかが、図々しいかな…」と考えてしまったり、 「私には、こんなチャレンジする資格

          「こんな私なんかが…」の思いにがんじがらめの生き方を脱却するために〜「業不滅」と「無我」〜

          ベストパフォーマンスを引き出す「心」とは〜言葉に「重み」が帯びる時〜

          ◆「言ってしまった事」を悔いるよりも大切なことは…友達と色んな話をして、楽しい時間を過ごして、 「じゃあね」 って別れた後に、にわかに「思い返し」タイムが始まる事って、ありませんでしょうか。 友達と話しているその時は、場のノリや勢いで話せたことを 後になって振り返ると、 「え…さっき僕、よくあんなことを言ったよな…」 と、血の気が引くような思いをしたり。 「こんなことを言って、どう思われたかな…」 と、心配になったり。 相手は「あははっ」て笑っていたけれど、内心ではド

          ベストパフォーマンスを引き出す「心」とは〜言葉に「重み」が帯びる時〜

          「出来ない」が「出来る」になる法則〜「コツを掴む」の真意〜

          「コツを知りたい」ってのは安易な考えなのか?「この仕事、何かコツでもないかなあ」 「恋愛のコツを、どうか教えてもらいたい」 「英語の勉強も、コツさえ掴めたならば…」 こういった、 「コツを掴みたい」 という願いは、多くの人が持っていることと思います。 そんな「コツ」を求める要望に対して、 「そんな楽しようなどと考えるな。コツなどない。努力あるのみだ!」 と、手厳しい意見をぶつけられてシュンとなってしまう場面も、よくありそうです。 「コツを掴む」と聞くと、なんと

          「出来ない」が「出来る」になる法則〜「コツを掴む」の真意〜

          「復讐劇」にみる人間の本性~「愚痴」と「快感」~

          ◆凄惨な「復讐劇」に目を覆いながらも…「復讐劇」を描いたストーリーって、結構多いですよね。 漫画でも映画でも、復讐に燃えるキャラクターが、憎き復讐相手を、ジワジワ、ジワジワと追い詰めていく。 そんな有様を描く物語は多く、また多くの人に好まれているような気がします。 最近たまにアマゾンプライムで映画を視聴するんですけど、『告白』という映画が本当に、凄まじい「復讐劇」でした。 湊かなえの小説を映画化したもので、松たか子が主演の映画です。 ある中学校の女性教師(松た

          「復讐劇」にみる人間の本性~「愚痴」と「快感」~

          日本を代表する哲学者が語る「善」がスゴい〜西田幾多郎『善の研究』を読んで〜

          ◆「善」を徹底的に研究した日本の叡智「え、まだ読んでなかったの!?」 と言われても仕方がない。 「日本の哲学」というテーマで発信しておりながら、これをまだ読んでいないのは、どうなのか… と、長らく思っていた書籍がありました。 「日本の哲学」といえば、まず挙げられるであろう人物。 それが、西田幾多郎なのですが、 その西田氏の代表作『善の研究』を、最近ようやく読みました。 あなたは、ご存知でしょうか。哲学者・西田幾多郎。 「哲学」といったら西洋のイメージが強いです

          日本を代表する哲学者が語る「善」がスゴい〜西田幾多郎『善の研究』を読んで〜