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【東大理二】石原由貴さんの合格体験記「三重県の公立・四日市高校。朝2時間勉強。高校の授業と公文だけで現役合格しました」

東大合格note 第6回

石原 由貴(いしはら・ゆき)さん

現役東大大学院生 23歳

今回は、前回紹介した荒木さんのお友達の石原由貴さんにお話を伺った。石原さんは現役で東京大学理科Ⅱ類に入学して、現在は大学院の工学系研究科物理工学科(修士)の1年生。実験や研究と並行して就職活動中の石原さんに、どのように東大に合格したのか聞いた。

 

<基本情報>

三重県菰野町出身

お父さんは大学卒業、お母さんは高校卒業

妹が1人(国立大学に進学)

中学受験はせず、公立中学校へ

公立の四日市高校にトップクラスで合格し、東大を視野に入れる

勉強は朝型

高3最初の模試はE判定だったが最終的にはB判定で安定


幼稚園のときから高3まで公文だけ

 石原由貴さんはとても華奢な、かわいい女性だ。
大きなリュックサックを持ち、竹書房のオフィスに入る少し手前で一度きちんと立ち止まり、「本日はよろしくお願いします」とまっすぐお辞儀をする。
その姿を見ただけで、「きちんと育てられたお嬢さん」だとわかる。

少し緊張しながら、東大に合格した体験について話し始めてくれた。

「子供のころから、両親に『勉強しなさい』と言われたことはないです。ただ『社会で通用する常識が備わっている人間に育ってくれたらいい』という方針で育てられました」

きちんとした規則正しい生活。それが石原さんのバックボーンにあるようだ。

ご両親は、石原さんがまだ幼児の頃から、家の中にいろいろな教材を持ち込んだ。しかしどれも強要したわけではない。

「英語のポスターや、数字のポスターや、いろいろなものを貼ってみて、私が何に興味を示すのか見ていたようです。幼稚園のときに公文の教室に入り、それ以外の塾には行っていません」

公文は、実際の学年には関係なく、どんどん難しい教材をこなしながら勉強を進めていく。その内容は幼児向けのものから大学受験まで。

「小学生の時にはもう中学校レベルの勉強をしていました。私は英語が得意なので、英語は中3のときに高3までのすべての教材を終了してしまいました。数学は高3で全部終了し、そのタイミングで公文をやめました。

公文はそれぞれの教室に先生がいるんですけど、私が通っていた教室の先生が大阪大学を卒業した方で、かなり難しい数学の問題も丁寧に説明してもらえたのがよかったと思います」

ちなみに、それ以外の習い事としてバレエ、習字、ピアノもやっていた。

中学時代、友人に恵まれ四日市高校に

 中学に入る時点で受験することは考えなかったのだろうか?

「小学校の友達と一緒の中学校に行きかったので、受験はしたくなかったんです。一番近い私立中学でも片道1時間以上かかりますし」

中学校では吹奏楽部に入り、アルトサックスを吹くようになった。

吹奏楽部は練習時間が長いので勉強の妨げになるのでは、という見方もあるが、石原さんの場合は、時間をさらに有効に使う習慣がついたようだ。

「中3のクラスにたまたま進学校を目指す人がいて、一緒に勉強していました。一緒に頑張れる仲間がいてよかったと思います」

こうして県内トップの進学校・四日市高校に入学した。

 

四日市高校に入り、東大を目指すことに

 四日市高校では国際科学コースへ。

「なんとなく、大学は近いところに行くつもりだったんですけど、入ってすぐのテストの成績がよくて、順位が1ケタだったので、『東大を目指してみないか』と先生から言われて目指すことにしました。高校在学中、成績は1ケタから落ちたことはありません。公文で勉強していた貯金もあったので、勉強で切羽詰まったことは一度もないです」

高校でも吹奏楽部に入部してアルトサックスを続けた。

「週6日部活があって、年2回のコンクールを目指していたのでたいへんでした」

そんな生活の中、石原さんの勉強時間は朝型になった。

朝5時半に起きて1時間勉強して、電車が混む時間を避けて早めに登校して、学校に着いてからまた1時間くらい勉強していました。部活の後で週2回は公文に行きました。高校時代に通っていた公文の教室は、家と高校の間にあって、定期券の圏内だったので通いやすかったです」

入試結果(合格最低点330点で石原さんの得点は368点)

このように聞くと、すぐに「じゃあ自分も朝型にして東大へ!」と考えたくなるかもしれないが、石原さんはちゃんとこう付け足した。

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