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「公聴会」全篇無料公開(『キスギショウジ氏の生活と意見』刊行記念)

草上仁/日下三蔵編『キスギショウジ氏の生活と意見』(全篇初収録+書き下ろし!)の刊行を記念して、収録作の中から「公聴会」を無料公開致します。人間たちに裁判にかけられる神。その理由とは……?

「公聴会」

「これはもちろん、正規の裁判などではありません」
 と、白髪の、上品な顔をした弁護士が言った。
「単なる公聴会であり、製造者であるあなたが、消費者と語り合うための場なのです。互いに本音で語り合い、どこに問題があるのかを探る。それだけです。いいですね」
「しかし――」
 神は、困惑した顔を上げた。
「どうして、わたしがこのような場に呼び出されなければならないのか、さっぱりわからない。わたしは、何も悪いことをしたわけではないし、欠陥品を彼らに押しつけたわけでもない。わたしは、長年にわたって、優れた製品を提供し続けて来た。もし、問題があるとすれば、それは、使用法を誤った消費者の責任だと思うのだが」
「いやいや」
 白髪の弁護士は、悲しそうにかぶりを振った。
「あなたは、製造物責任の原則を理解しておられない。いいですか、最近の判例によれば、あなたのようなメーカー、つまり製造者は、無過失でも、責任を負わなければならないのです。メーカーは、消費者に比べて強い立場にある。従って、消費者の安全、健康、財産を守るために、あらゆる手段を講じる必要があるのです」
「わたしが、強い立場にあることはわかる」
 と、神はしぶしぶ同意した。
「ところで、あなたが、先日話してくれた例のことだが、正直言って、わたしはいまだに理解できない。どうして、猫を電子レンジになぞ――」
「そこですよ」
 弁護士は、神の肩に優しく手をかけた。
「あの消費者は、電子レンジで、濡れた猫を乾かそうとしました。消費者全てに、電子工学の高度な知識を期待するのは間違いなのです。電子レンジの原理やマイクロウェーブの作用について、あらゆる消費者が、知り得る立場にあるわけではない。従って、製造者である家電メーカーは、消費者に対して、猫を電子レンジに入れた場合に発生し得る危険について、あらかじめ警告しておく義務があるのです」
「猫を電子レンジに入れたら、黒焦げになる場合がある、ということをかね?」
「その通りです。これは、アメリカ合衆国で、実際にあった事例なんですよ。実際に、製造物責任訴訟が提起され、家電メーカーは敗訴しました」
 神は、鼻を鳴らした。
「じゃあ、犬はどうなんだね?」
「もちろん、犬を電子レンジに入れた場合に起こる危険についても、警告する必要があります」
「馬は?」
 弁護士は、白い頭を傾けた。
「馬ね。通常、馬は、電子レンジの中に入るとは思えませんが。まあ、馬の前脚、後脚、頭部、尻尾(しっぽ)等については、警告しておくべきだと考えられますね」
「そんなことをしたら――」
 神は、両手を広げて、肩を竦(すく)めた。
「あらゆる商品の取扱説明書は、百科事典なみの厚さになってしまう」
「もちろんです」
 弁護士は、デスクの引き出しから、分厚い法律書のように見えるものを取り出した。
「これは何だと思います? わたしの、デジタル式腕時計の取扱説明書ですよ。何でも書いてあります。腕時計のバンドで崖からぶら下がった場合の危険性についてや、竜頭(りゅうず)で歯を磨いてはならないということ、それに、水に濡れても、オーブンの中で乾かしたりしてはいけないこと、なんかを含めてね」
「それだけ書いてあれば、どんな消費者にも充分だろう」
 少しばかり皮肉な口調で、神は言った。
 弁護士の悲しそうな顔が、さらに翳(かげ)った。
「不幸にして、充分ではありませんでした。本棚に置いた取扱説明書が落下して、頭を怪我(けが)した男が、メーカーを訴えたんです。取扱説明書の取扱いについて、何の警告も受けていなかったという理由でね。もちろん、腕時計メーカーが敗訴しましたよ」
 神は、あきれ返って、頭を振ることもできなかった。
「そして君は、わたしも提訴され、負けるだろうと思っているんだね?」
「まだ、わかりません」
 と、弁護士は、相手を慰めた。
「今日の公聴会の出来如何(いかん)だと思っています。運がよければ、訴訟は起こされずに、示談か何かで済むかも知れません」
 だが、弁護士の顔は、彼が本当はどう思っているかを物語っていた。訴訟は提起されるだろうし、神に勝ち目はないと思っているのだ。
「わかった」
 と、神は言った。
「とにかく、やってみよう」
「それでは、消費者代表団の方からの意見及び質問を受け付けます」
 と、壇上に立った弁護士は言った。
「発言されたい方は挙手を。はい、そちらの眼鏡をかけた方」
「おれは、三十年近くにわたって、神の製品を使って来た」
 と、若い男が話し始めた。
「自分の身体(からだ)だの地面だのをな。でも、はなっから、取扱説明書なんてものは、見たこともないぜ」
「そんなはずはない」
 弁護士の、とがめるような視線を無視して、神は弁解を試みた。
「基本的な注意事項は、いつでも閲覧できるようになっていたはずだ」
「あれのこと?」
 若い男の隣に座っていた、乱れた服装の女性が、黄色い声を張り上げる。
「あの、十項目っぽっちの取扱説明書?」
「十戒だ」
 と、神は弱々しく訂正したが、誰も聞いている者はいなかった。女性が、言葉を続けた。
「あんなもの読んで、わかると思う? あたしの弟は、ヘロインの打ち過ぎで死んじゃったわ。あの説明書に、ヘロイン打ったら駄目なんて、書いてあったっけ」
 そんなことは自明の理ではないか、と、神が言い始めるのを待たずに、若い男がまた話し始めた。
「だいたい、あの旧約聖書って奴、おれの近所じゃあ、学校と図書館にしかなかったぜ。今どき、誰が、わざわざ図書館まで行くって言うんだよ」
「説明書の書式も、充分ではありませんでしたな」
 発言者の後ろから、禿頭(とくとう)の紳士が口を挟んだ。
「取扱説明書は、少なくとも英語、スペイン語、中国語、ドイツ語、フランス語、日本語、ロシア語で併記されねばならない。しかるに、あれは――」
「各国語に翻訳されているはずだ」
 と、神が口を挟んだが、またしても黙殺されてしまった。禿頭の男は、冷静に、自分の発言を終えた。
「確か、ヘブライ語じゃありませんでしたかな、石に刻まれた原典は」
「そんなことは――」
 白髪の弁護士が、黙っていろと言うように、神に向かって手を振った。
「地球がこんなになっちまったのだって、メーカーの責任だ」
 別の男が、発言許可も求めずに立ち上がった。
「地球をどうやって管理すべきかってことも、われわれは一切知らされていなかった。だから、廃液を垂れ流したり、オゾン層をぶち壊したり、炭酸ガスをばらまいたりってことになったんだ。原発と核実験について、十戒に何か書いてあるかい?」
「そうよ。そういったことを警告しておくのは、メーカーの責任だわ」
「それどころか、メーカーは、消費者を騙(だま)そうとしたんだぜ」
 と、さっきの若い男が言い出す。
「よくわからないが、どうも神は、地球が平らだというイメージを、消費者に植え付けようとしたらしい。こりゃあ、とんだぺてんだ」
「おかげで、地球の正しい使い方を思いつくまでに、長い時間がかかったんだわ。重力の働
きなんてことまで、あたしたちは自分で発見しなくちゃいけなかった」
「諸君」
 神はついに、発言の機会をとらえた。
「諸君は、造物主、つまりメーカーとしてのわたしの責任を訴えるが、わたしは、諸君に物を売った覚えはない。見返りを求めた事実は、一切ないのだ。諸君は、無償で与えられた事物に対して、わたしの責任を問うのかね? それは、少しばかり、身勝手というものではないだろうか」
 神は、公聴会に集った何百何千という人々の顔を眺めわたした。怒った顔、悲しげな顔、当惑したような顔――神に見据えられた顔には、少しばかり畏(おそ)れと恥じらいの色が浮かんだように見えた。
「ナンセンス」
 と、ジーンズ姿の若い男がわめいた。
「ロハだからって、メーカーの責任がなくなるもんじゃないだろ」
 若い母親が、目を伏せたままで立ち上がった。
「あなたは、小さな子供たちにとって、もっと安全な世界を造るべきだったと思いますわ。私の五歳の娘は、変質者にいたずらされて、殺されたんです」
 神は、優しい視線を、その母親に送った。
「それは、わたしのせいではない。あなたがたみんなが背負った、罪によるものだ。わたしが、あなたがたの祖先を、楽園から追放した時――」
「そこで、まず、製品の欠陥が露呈するわけだ」
 痩(や)せた小男が、神の御言葉を遮(さえぎ)った。
「第一に、楽園には、禁断の果実なんてものがあったし、第二に、誘惑する蛇がいた。こういった危険なものを放置しておくとは、管理者として無責任極まるんじゃないのかね」
「わたしは、諸君の先祖に、誘惑に負けるよう、勧めたりはしなかった」
 神は、心底から当惑した。
「あれは言わば、諸君が、自ら招いたことだ」
「ナンセンス」
 と、さっきの若者が反論する。「あんた、全能なんだろ。だったら、どういうことになるか、最初からわかってたはずだ。つまり、あんたは、人間に食わせるために、あの果実を置いたんだ。おれたちじゃない。あんたが招いたことだよ」
「だいたい、失礼です」
 きりっとしたスーツを身につけた、キャリアウーマンといった感じの女性がつけ加える。
「男の肋骨(ろっこつ)から、女を作るなんて。手抜き工事と言われても、仕方ないんじゃないですか」
「洪水の時だってだね。あんたは、まずいことになると、ただ雨を降らせて、何万という人間を殺戮(さつりく)したんだ。ただ、あんたの言葉に耳を傾けなかったという理由だけで」
「ひどい仕打ちだ」
「全くだよ」
 非難の声があちこちから沸き起こって、たちまち、誰が何を言っているか聞き取れなくなった。神は、身をすくませることもなく、ただ、人間たちの非難に耐えた。
「それで」
 やがて、それ以上聞いていられなくなると、神は、朗々たる声を張り上げた。
「諸君は、わたしに、製造者としての責任を取らせようと言うのだね? わたしが、人体や、天地や、他の動物たちについて、正しい使用法を説明しなかったという理由で」
「製造者としてだけじゃない」
 と、禿頭の紳士が言った。
「使用者として、あなたには十字軍や、異端審問官や、他の戦争犯罪人たちの行為に責任がある。また、管理者として、楽園の維持運営に疎漏があったこと、数々の天変地異に対し、何らの対策を講じなかったこと――」
「わかった」
 神は、片手を上げて、紳士の言葉を遮った。
「その、全てについて、責任を認めよう」
「駄目です」
 白髪の弁護士が、壇上から悲痛な声で叫んだ。
「さっきも言ったように、今日はただの公聴会で、裁判の場ではありません。しかし、公の場で、全面的に責任を認めるなど、言語道断――」
「裁判などくそ喰(く)らえだ」
 神はうんざりしたような顔で、瀆神(とくしん)的な悪態をついた。
「弁護士君、製造物責任者は、普通、どういった償いをするのだね?」
「えー、しかし、今、そのようなことは」
「答えたまえ」
 神の声には、有無を言わせぬ響きがあった。何しろ、相手は神なのだ。正規の弁護士といえども、その言葉には逆らえなかった。
「あの、まあ、そうですね。程度にもよりますが、危険度が高い場合には、市場から全ての製品を回収し、さらに、被害者に賠償を――」
「わかった」
 と、神は言った。その顔つきを見て、誰かが高い声で悲鳴を上げた。
「わたしも、そうすることにしよう」
 神は、手を一振りすると、ただちに、全ての製品を回収した。あらゆる物の造り主である神が、一瞬にして、全製品を回収したのだ。
 誰もいなくなった。何もなくなった。公聴会場も、そこを埋める消費者たちも、前の高層ビルも、高速道路も、地面も、空も、風も、全てが、一瞬のうちに消え失(う)せた。光さえも。
 神は、次に賠償を行なおうとして、賠償すべき相手が、誰も残っていないということに気づいた。
 神は、仕方がないなというように、ゆっくりとかぶりを振った。
 もうこりごりだ、と思う。メーカーには、常に、不条理な責任がつきまとうものらしい。造物主などという割に合わない仕事は、これっきりにするとしよう。
 その代わりに――そうだ。食いっぱぐれのない、いい職業がある。
 今度は、弁護士でもやってみるとするか。


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