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★我楽多だらけの製哲書(14)★~最近の板書とマキャヴェリ~

私は授業の際の板書が実際にどのような形で組み立てられたかを記録するようにしている。これは時として、「自己満足」または「自己陶酔」のようなものと捉えられてしまう。確かに全くそのような要素がないわけではないものの、「自戒の念」から記録しているのも事実なのである。

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自分の授業ノートの中にある板書計画が、現実の黒板上ではどのように展開されているか、理想と現実との関係を確認するための証拠なのである。もし記録しなければ、私のような怠惰な性格の持ち主は、今回は運悪く上手く展開できなかっただけだと、都合の良い解釈を振り回して、次回は上手くいくという全く根拠のない展望を持ってしまうと思っている。だからいかに自分の理想と現実が乖離してしまっているか、そしてそのような乖離をどれだけ繰り返しているかを自覚するために記録しているのである。そうしておけば、その乖離の繰り返しを反省し、修正をしなければならないという意識が芽生えやすくなると考えて続けている。

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最近は、自分にとっては相当な努力を必要とする分野を担当しているので、そのような自戒の念または謙虚さがより一層求められる。ただ、同じように相当な努力を必要とする分野を担当して、必死にならざるを得ない経験はこれまでも何度かあった。ただ、特に去年は担当する分野の専門性から考えても、ごまかしがきかなかったため、緊張の連続であった。このような緊張は、教員を始めた1年目は当然にあった。そのときと同じくらいの緊張感は、初めて倫理分野を担当したときであった。教員1年目は、偏差値の高い男子校の勤務で、生徒の質問も鋭く、自分の力量が常に試されているという緊張感に満ちていた。だから、学校から帰る時は、書店に寄って関連する本を買ったり、ネットカフェで関連情報を調べたりする毎日だったことを思い出す。それから倫理分野を初めて担当したときも、高校で倫理を受けたことのないという事実が大きな劣等感となって、帰宅途中に最寄り駅のモスバーガーで必死に倫理の受験用テキストを読んだりまとめたりしていた。

そんな劣等感から始まった倫理分野であったが、現在の自分を振り返ってみると、様々な分野の中で一番好きであるし、内容理解についても自信を持てている分野となっている。

「どうすれば短所をコントロールできるかが、成功不成功の鍵となってくる。」

これはイタリアの政治思想家・外交官であり、主著『君主論』で有名なニッコロ・マキャヴェリの言葉である。

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