❖カタブツだが優しい法、陽気だがドライな政治❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年10月18日)
(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)
法律は、法という原理・装置に従いある意味自動で結論を導かれる。政治は、人の意思で利害調整して結論が導かれる。ただし、法による結論は、法的判断で、真に自動的で機械的ということではなく、合理的なものである。だから、理性を辿っていけば正しいゴールの平原に出ることができるというのが一般的な理解。これに対して政治による結論は、政治決断で、議論が分かれ、それぞれの立場や視座における正義があり、単純に決着をつけられない。だから、政治という利害調整作用を最大限に活用せざるを得ない。そして、皆が同時に、同じだけ幸せになる道はなく、ある結論を出せば、どこかに皺寄せが来るし、別の結論を出せば違った所に皺寄せが来てしまう。しかし政治決断の覚悟と責任の下で、結論を出す。その結論には犠牲が付随しているので、結論すなわちゴールにはならず、その結論はとにかく最終的なゴールに少しずつまたは段階的に近づく途中経過のポイントに過ぎないことを忘れてはならない。最近の政治は、目先の政治決断しか意識されていないように感じるのは気のせいか、中長期の狙いを意識して、政治決断を接木しなければ、一回の決断で切り捨てられた犠牲へのフォローがないことになる。さて、再び政治家を選ぶ時期が来た。本物の政治家は誰か、見極めることが国民の責務である。