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★我楽多だらけの製哲書(24)★~「世界最小の国」から届いた手紙とシャルル=ルイ・ド・スゴンダ~

今日、荷物を整理していると1通のエアメールに目が留まった。
それは「世界最小の国」から以前に送られてきた手紙であった。
世界最小の国と言われると、大抵の人は「バチカン市国」を思い浮かべるだろう。
また国連加盟国として世界最小の国を考えるならば「モナコ公国」である。

しかし、私の元に届いた手紙はどちらの国のものでもなかった。
だが、その手紙の送付元の国は「世界最小の国」を自称しているのである。
その国の名は「シーランド公国(Principality of Sealand)」である。

この国の面積は0.000207km²であり、バチカン市国の面積0.44km²よりも値が小さい。面積を別のもの尺度として示すならば、シーランド公国はテニスコートくらいで、バチカン市国はディズニーランド(0.51km²)より少し狭いくらいである。
バチカン市国とモナコ公国がそれぞれ「世界最小の国」というのは公的に認知されているものであるが、バチカン市国は国連加盟を前提としないカテゴリー(国連「非」加盟国を含めたカテゴリー)においてであり、モナコ公国は国連加盟国というカテゴリーにおいてである。
シーランド公国はバチカン市国と同様に国連「非」加盟国であるため、前者のカテゴリーで考えるならば、シーランド公国の方が面積の値は小さいのだから、バチカン市国を世界最小の国とするのは誤りではないかと、情報をこれだけに限定して考えるならば、確かにそう言えそうである。

だが、バチカン市国とシーランド公国はどちらも国連「非」加盟国でありながら、別の観点において決定的に異なった立場にある。その観点とは「国家承認の有無」である。国家承認の辞書的な意味は、「国家の合併・併合,分裂・分離独立などによる新たな国家が既存国家によって国際法の主体として認められること」であり、他国が新たに登場した国家を対等な国家として受け入れる行為のことである。

シーランド公国は、第二次世界大戦中に建設された海上の軍事施設で、イギリスが戦後に放棄していたものを、ロイ・ベーツという人物が占拠し、1967年に独立宣言した経緯をもつ「国」である。この国が国家成立の要件を国際法上有しているかどうかについて考えると、「国家成立の3要件」として「領域」・「人民」・「主権」があるが、このうち「領域」の主要な部分を構成する「領土」が疑わしいのである。ロイ・ベーツが占拠した軍事施設は海底から人工的に資材を組み上げ海上に建設した「人工的な陸地(に類するもの)」にすぎないのであって、国連海洋法条約のような国際法における「島の定義」に当てはまらず、これを「領域」とみなすことはできないというのが一般的な理解である(さらには、放棄されていた軍事施設を占拠したことについての違法性も別に論じなければならないが)。

とにかくこのような国際法上の問題点があるため、1967年の独立宣言当時から2021年5月現在まで、シーランド公国を国家として承認した国は、国連加盟国、国連「非」加盟国を問わず、ゼロなのである。よって、シーランド公国が「世界最小の国」であると考えるカテゴリーは、バチカン市国とも、モナコ公国とも異なっており、シーランド公国が属するカテゴリーは公的なものとは言えないのである。(以上の考察を図表①にまとめてみた)

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さて話を戻すと、とにかく私の元に「シーランド公国」からエアメールが届いたわけである。中身はシーランド公国が発行したIDカード(身分証明書)が入っていた。以前から興味を持っていたのだが、この国(一応、国扱いしておく)は、「爵位」を金銭で販売しており、先日ネットを通じて私はシーランド公国の爵位を手に入れたため、それが記載されたIDカードが届いたのである。

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この国で販売されている爵位の種類は、日本語で表記するならば、「公爵」「伯爵」「ナイトの爵位」「男爵」があり、価格は日本円に換算すると「公爵=約7万6千円」「伯爵=約3万円」「ナイトの爵位=1万5千円」「男爵=約4500円」であった。

ランクと価格が完全に対応しているのかと思ったが、本来、ナイト(漢字にすると「士爵」となる)は一代限りで、貴族の爵位である公爵・伯爵・男爵などより下に位置するのだが、価格からすると男爵より高いのである。また、それぞれの爵位を英語表記してみると「公爵=デューク」「伯爵=カウント(アールという場合もある)」「ナイト爵位=ナイト」「男爵=バロン」であり、デューク・ナイト・バロンに比べると、カウントは認知度があまりないように思える。ナイトも日本語表記の「士爵」は馴染みがない。音からすれば、シーランド公国では販売されていない「子爵=ヴィカウント」と混同されてしまうし、子爵自体も認知度が高いとはいえない。

爵位を手に入れるにあたり、私は「費用対効果」について考えてみた。わざわざお金を出して爵位を手に入れるのだから、その手に入れた爵位の認知度がないと、お金がもったいないという思いがあった(お金を出すことそれ自体のもったいないについては対象外である)。しかし、いかに認知度が高いとしても出費がかさみすぎるのも抵抗感があった。

そこで私は、費用(爵位を手に入れるための価格)と効果(日本語表記でも英語表記でも認知度が高く話題にしやすい)のバランスを考えたとき、「男爵(バロン)」が最適解だと考えた。(以上の考察を図表②にまとめてみた)

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こうして手に入れた男爵(バロン)の爵位であるが、そのような称号のようなものによって、何か自分の社会的地位が向上したかのような嬉しい感覚を持っている愚かな自分の存在を否定することができない。

そんな私の勘違いにある人物は次のような言葉で冷や水をかけてくれた。
「真に偉大な人間になるためには、人々の上に立つのではなく、彼らと共に立たなければならない。」
これはフランスの哲学者・政治思想家であるシャルル=ルイ・ド・スゴンダの言葉である。彼は、このように人間の偉大さは、社会的地位を向上させて人の上に立つことによって生じるものではなく、他の人々と時間や空間を共有し、喜びや苦しみも共に分かち合い、他者のために立ち上がって行動することで初めて生ずるものであると考えたのである。ちなみにこのシャルル=ルイ・ド・スゴンダも、フランスの2つの土地を領有する男爵(バロン)であったが、彼はさきほどの言葉以外にも、人民のことを考えて行動することの大切さを、特に権力者に向けて発していた。

「もし同一の人間、または貴族か人民のうちの主だった者の同一団体がこれら三つの権力、すなわち法律を定める権力、公共の決定を実行する権力、罪や私人間の係争を裁く権力を行使するならば、すべては失われるであろう。」

(以下、考察は続く)

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