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【美術家の事と、本の紹介】David Wojnarowicz: Dear Jean Pierre (Primary Information刊, 2023/9)

デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチといえば、自分世代だと、U2のONEのシングルカバーのバッファローが崖から落ちる写真「Untitled (Buffalo)」。18年のLOEWEでのチャリティコラボの際にこの作品がさんざっぱら露出していたが、色々な媒体で「U2のONEの”アルバム”のカバーアート」と説明されていたが、あれは誤解で、「”シングル盤”のカバー」が正しい。

ヴォイナロヴィッチは、エイズで夭折したこともあって、なにかとエイズで語られやすい。あと幼年期に父親から受けたという虐待・家出・売春などセンセーショナルな事柄にイメージが引きづられているような印象がある。美術家の実体で言うと、70s後期~80s~90s初頭NYアートシーンを牽引した鬼才ですね。

活動初期はBurning House (燃える家)のステンシルで、70年代の黎明期グラフィティ/ストリートアートのシーンでも注目集めた(20年のJW Andersonの起用も有名)。

78年「詩人ランボーや作家のジュネのように生きる」と、二度と戻らない覚悟でパリに逐電するも、1年足らずでNYに帰還。帰還直後のRimbaud in New York (NYのランボー)シリーズはランボーの顔写真をプリントした紙製のフェイスマスクを着けたヴォイナロヴィッチがNYを徘徊するポートフォリオ(こちらもJW Andersonのモデルで起用も)。

インパクトあった絵面でいうとランボーの仮面をつけたヴォイナロヴィッチが左手にヘロインの注射器をブッ刺してる写真。現代のNYにランボーが生きていたら詩人じゃなくてジャンキーになるか…、とボンヤリと思った事を憶えている。


評者は「ストーンウォール後、エイズ禍以前の、セックス、ドラッグ、アートと愛に満ちたボヘミアンワンダーランドの時代を象徴する作品」と言っていた。

1980年、このシリーズから数枚が『SOHO WEEKLY NEWS』に掲載され、それが彼の作品の初印刷となった。

このシリーズがちゃんと日の目を浴びたのは10年後の1990年。NY PPOWギャラリーで、25枚の小さなポートフォリオを展示されました。2004年にはROTH publicationからオリジナルネガから44枚を纏めた写真集となって出版されていますね。現在ではかなり高値になっている模様。

さて、本書 『DEAR JEAN PIERRE』。パリ逐電中の現地の恋人ジャン・ピエール・ドラージュ宛てに、NY帰還後に送り続けた絵葉書を纏めたファクシミリ版の書簡集。ヴォイナロヴィッチのアート活動の真のベースとなる瞬間を捉えたこれらの書簡群は、彼の魅惑的なパーソナリティと、それに付随する優しさ、思いやり、精神疾患の面を明らかにするだけでなく、当時の傑出したアーティストとしての視覚的言語の発展も良く伝わる。

この作品集を通して、ヴォイナロヴィッチのランボーシリーズ、所属していたインディーバンド「3 Teens Kill 4」、最初の写真集の出版、のちの恋人となるピーター・ヒュジャーとの初期の友情、当時勃興しつつあったイースト・ヴィレッジのアートシーンや音楽シーンへの参加、そして最初の写真集出版の準備などを知ることができる。これらの文章とともに収録されているのは、ポストカード、ドローイング、ゼロックスコピー、写真、コラージュ、チラシ、エフェメラ、コンタクトシート等々。

3 Teens Kill 4 ↓↓↓

あの有名な「Untitled (Genet, after Brassai)」の初稿、前述の「Burning House」「Untitled (Buffalo)」の元モチーフや、1980年『SOHO WEEKLY NEWS』掲載の「Rimbaud in New York」紙面もあり胸アツです。