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ボビー・ウィットロック・ストーリー/ボビー・ウィットロック (‘13)
Where There’s a Will There’s a Way / Bobby Whitlock (‘13)
洋楽好きならご存知であろう超有名曲、「いとしのレイラ」をリリースしたデレク&ザ・ドミノスのキーボディスト、ボビー・ウィットロックが’72年にダンヒル・レコードからリリースした2枚のソロ作品をコンパイルしたアルバム。
その後、キャプリコーン・レコードから2枚の合計4枚のソロアルバムをリリースしたが、’90年代の後半まで実質的に引退していた。初期の2作のソロ作品は入手困難であり、その2枚がコンパイル+分厚いブックレット付きで再発された。
彼は幼少期からスタックススタジオ等でブッカーT等の演奏に触れており、リアルなソウル、ブルースのベースを持っていた。その後、ジョージ・ハリスンの「オール・シングス・マスト・パス」への参加やデラニー、ボニー&フレンズの一員としてツアーを経てデレク&ザ・ドミノスに参加した。
ご存知のように、デラニー、ボニー&フレンズにはエリック・クラプトンも参加しており、ここでの経験がクラプトンの視線をアメリカ南部へと向けさせることになった。
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個人的には、デレク&ザ・ドミノスのキーパーソンはボビー・ウィットロックだと考えている。もちろんベースのカール・レイドルやドラムのジム・ゴードンの功績も大きいが、クラプトン以外の3人がそもそもの下地を確立していたが故、クラプトンの加入によって相乗効果が発生し、さらにデュアン・オールマンの参加でそれが一際大きくなったのではないかと思っている。
名盤以外の何物でもない。入手は容易なのでぜひ購入を!
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