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「勝利至上主義」との向き合い方

こんなこともありました。

全国小学生学年別柔道大会について | 全日本柔道連盟 (judo.or.jp)
■小学生の柔道全国大会廃止 「行き過ぎた勝利至上主義が散見される」

関係者によると、指導者が子どもに減量を強いたり、組み手争いに終始する試合があったりした。判定を巡り指導者や保護者が審判に罵声を浴びせることもあったという。全柔連幹部は「大人が、子どもの将来ではなく、眼前の勝敗に拘泥する傾向があった。見つめ直す契機にしてほしい」と話す。

うちは、長男が地域の少年野球チーム(少年団)に所属してます。
これ、本記事のタイトルですが、少なくとも少年野球に子供を通わせている、かつ、子供があんまり上手じゃなくて常にレギュラーって感じじゃない親にとっては、赤べこレベルのヘッドバンキング案件です(笑)

いわゆる、チームの勝ちにこだわるあまり「試合に出られない子がいる」問題ですね。

これは結構根が深い、そして結局は解決も改善もされないという、民族問題みたいなものです。
なんか普通に書くと平気で8万字くらいになりそう(ほぼ愚痴)なので、私の考え方だけ簡単に書きますと…、

①試合の勝ち負けは二の次:(たかが)少年野球なのに、勝利のために犠牲になる子が一人だっていていいはずがない。

②全員の出場機会を均等にすべき:ユニフォーム着て朝はよからグランド行って砂いじりだけして帰るの、時間の無駄。

③誇れないプレーはしない:相手のエラーをウェイウェイ喜ぶなよみっともない。

が、理想なんですけど、まぁこれが周りからすると全くの的外れらしく、そうは言ってもねぇ…と取り合ってもらえません(笑)
ってか、めんどくせぇ理想論者扱いされてる、きっと。

結局は大人が勝ちたくなっちゃうんですよね。これがホント一番の害。
大人が勝ちたいがために、上手な子しか出せなくなるし、試合に出られない子の存在は黙殺される。そしてそれが「子供たちのため」にすり替えられる。

そして、なんでそうなるか(大人が勝ちたくなるか)も段々わかってきた。

「見返りが欲しくなる」からだと思います。
多くの少年野球の監督・コーチってボランティアなんですよ。土曜日も日曜日も祝日も、朝から晩まで子らに野球教えてるんですよ。タダで。
みんな、なんでこんなことやってんだろ俺…と思いながらやっている。そして、その思いを肯定的に報いてくれる唯一のモチーフが「勝利」になってしまうわけです。
というか、そうなっていってしまうわけです。面白いことに、最初はみ~んな「少年野球なのにそんなに勝ちにこだわるぅ!?」という態度なんですよ(笑)
それが、払う自己犠牲が積み重なるごとに、わかりやすい対価が欲しくなる。これはたまにある、監督の子供はヘタクソでも試合に出られるパターンの源泉でもあります。

冒頭の柔道の親たちだって、最初はそんなことなかったんだと思いますけどね。普通に考えて、育ち盛りの子供たちの食事減らして減量させるなんて虐待ですよ。
「組み手争いに終始する」のも、上記③と一緒です。勝利至上主義の前には教育的フェアプレーなんぞ不要です。

まあぶっちゃけ、やってる本人がそこそこ楽しそうなのでいいんですけどね別に。
あともう私個人的には残り2年半(卒団)なので割り切って、「○○君より上手にならないと試合に出られないよ!」とかクソみたいなことを言うことになってもしょうがないかな、とも思っております。


という、なんとも詮無いお話。

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