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吉田安夫先生追悼試合によせて

はじめに

吉田安夫先生の偉業に関する振り返りを行っているうち、書かずにはいられなくなってきました。

遠い過去の話。。。

吉田先生と直接の関わりはもちろん全くないわけで、思い出話といっても間接的なものになりますが・・・

出場枠を巡る数奇な縁

吉田先生が埼工大深谷高校監督を退任→青森山田高校監督へ赴任するまでの空白期間、埼玉のIH代表枠(団体戦)が2→1に減り、千葉が1→2に増枠された年が1年間だけありました。

(※ 2枠を確保できるよう吉田先生ご自身、尽力されていたと埼玉県卓球関係者の方から当時、お聞きした記憶があります。)

舞い込んできた千葉の2枠目。

そこへ運良く滑り込めたのが自分達。

当時埼玉県内2番手だった某高校の選手や監督さんには申し訳なかった(関東選抜で対戦し敗北。自分などは木っ端微塵にやられた)想いが現在でもあるのですが、自分にとっては吉田先生退任がもたらした幸運である事に間違いないと思っていますし、その幸運を何らかの形で社会へ還元しなければならない。できれば「卓球関係で何とか」と思っていました。

人生最高の爆援体験

高校時代に話を戻しましょう。

(インターハイ予選)準決勝は代表枠をかけた決戦。

相手は前年の優勝校でその前の年も準優勝している強豪。中学時代に関東大会でシングルス2位に入った1年生も新たに加入し、「木下か!」というくらいスキのない布陣。

ベンチ外でスタンドから観戦していた私は、T.T彩たまを応援しているようなノリで全力爆援していました。

2番は落としたものの、1番そして4番と勝利して2-1とリード。「あと1つ勝てば遂に・・・」という試合終盤。

現在でも未だその境地に達せていない、「特殊な現象」が体内に生じ始めます。

ぎゅっと拳を握りしめたまま、手が勝手に震えてくる。

ほどばしる緊張。

拳を開いたら勝利の女神がこぼれてしまうんじゃないかなと思えてしまい、拳を握り続けているもんだから手汗もすごい。

3番のダブルスも好調。リードを保ったまま最後も最後。「いよいよあと2〜3点でインターハイだ!」という場面になると今度は手を合わせてひたすら祈願。

信じられない。この俺が手を合わせるだと!?

何でもいい。とにかく勝ちたい!勝ちたいんだ!!頼む!!!

・・・そんな境地に達したのはこの時だけだし、勝利した瞬間にチームメートと抱きしめ合ったが、男同士で抱き合って悪い気がしなかったのもこの時だけ。

嬉しかった。本当に嬉しかった。

・・・あれから

20数年の時が経ち現在。

「絶対に勝つ!!」

T.T彩たまファミリー達と共にチームを応援していくうちに、究極ともいえる爆援が世紀を跨ぎ、蘇ってきそうな感じがしてきた。

追悼試合でライバルチーム(上田選手)への暖かな励ましシーンを見て、ますますそう思えるようになってきた。

目指してみようと思う。あの時以上の爆援を。

T.T彩たま、それだけの価値がある素晴らしいチームだ。

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