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毎週一帖源氏物語 第五週 若紫

 『源氏物語』を原文で読むに当たり、私は「検討の結果、「新潮日本古典集成」の全八巻を揃えることにした」(前口上)わけだが、その検討の中身というのは若紫巻の冒頭何ページかを新潮日本古典集成と岩波文庫で読み比べることだった(岩波が駄目だと思ったわけではなく、新潮のほうが傍注のおかげで視線移動が少なくて済むという判断)。試し読みからひと月ほどしか経っていないが、前よりも楽に読める。やはり、続けることは大事だ。

若紫巻のあらすじ

 三月末、源氏は瘧病(わらはやみ)を煩い、北山に出向いて評判の老行者に加持をしてもらう。その効果が現れるのを待つあいだ、お伴の人々は源氏の気を紛らわすためにあれこれ話をする。世に景色のすぐれたところは多いが、近場では明石の浦がよいという。前播磨国守が出家して大きな邸宅を構えていて、娘を大事に育てている。源氏は興味をそそられる。
 その日は北山に泊まることになったが、そうなると日が暮れるまですることがない。暇を持て余した源氏は、少し下のほうにある庵室を覗き見る。ある僧都が山籠もりをしているのだが、女の気配もある。果たして、四十過ぎの尼や十歳ほどの少女がいる。とても可愛らしく、あの藤壺に似ている(「限りなう心を尽くしきこゆる人に、いとよう似たてまつれる」(190-191頁))。源氏のお忍びを聞きつけた僧都が挨拶にやって来た機会をとらえて、源氏は少女の素性を尋ねる。兵部卿(ひやうぶきやう)宮の娘で、少女の母はすでに故人となっている。尼君は母ではなく、祖母なのだ。兵部卿宮は藤壺の兄であり、少女に藤壺の面影があるのは血のつながりのゆえだ。源氏はこの少女を自邸に引き取りたいと願う。しかし、尼君は少女が幼いことを理由に、源氏の申し出を断る。
 京に戻った源氏は、迎えに来た大殿(舅の左大臣)に連れられて、久しぶりに女君(葵の上)と会うが、相手は一向に打ち解けてくれない。
 藤壺の宮が病気になり、宮中を退出して里に戻る。源氏はこの機をとらえて、王命婦(わうみやうぶ)をせっついて手引きをさせ、藤壺との逢瀬を果たす。そしてその結果、藤壺は懐妊する。
 北山の尼君は、帰京後に病を悪化させ、帰らぬ人となる。孫の若宮は後ろ盾を失い、父の兵部卿宮が引き取ることになる。源氏は先手を打って、強引に若宮を二条の院に迎え入れる。

源氏をめぐる女たちの揃い踏み

 若紫巻では、源氏と深い関わりをもつ女たちが数多く、あるいは直接的に、あるいは間接的に、登場する。ここでは、そうした女たちを紫の上との関連で眺めておきたい。
 なお、「何々の上」は貴人の妻を指す呼称なので、若紫巻の段階で「紫の上」や「明石の上」と呼ぶのは適切ではない。それを承知のうえで、回りくどくなるのを避けて、この言い方で押し通させてもらう。

藤壺と紫の上

 私たち後代の読者は、源氏の最愛の伴侶が紫の上であったという認識を持っている。その人物が若紫巻で登場するので、紫とこの姫を結びつけたくなる。しかし、若紫は紫ではない。それは若い(幼い)紫であって、紫は藤の花の色からの連想で藤壺を指す。

手に摘みていつしかも見む紫の
  根にかよひける野辺の若草

若紫、220-221頁

源氏が詠んだこの歌で、十歳の少女は「紫草とゆかりのある若草」になぞらえられている。
 先入観を排除して若紫巻を読んでゆくと、少女は藤壺との関連で初めて紫の若草と呼ばれていることに気づく。尼君が詠んだ歌(191頁)では単に「若草」と呼ばれており、源氏がそれを「初草の若葉」(198頁)と受ける。いずれにしても、紫草とは断定されていない。ついで、少女は北山の桜にたとえられる。「ほのかに花の色を見て」(204頁)や「おもかげは身をも離れず山桜」(210頁)という源氏の歌にある通りである。そして藤壺との逢瀬を経た後で、源氏は少女を若紫として位置づけるのだ。源氏にとっての紫の上は、何よりもまず藤壺の面影をたたえた女である。

藤壺との逢瀬

 上に触れた藤壺との逢瀬だが、懐妊に至るこのときが初めてではなかったらしい。「宮も、あさましかりしをおぼしいづるだに」(212頁)という本文に付けられた頭注に、「思いもかけなかった悪夢のような逢瀬を思い出されるだけでも。源氏との最初の逢瀬を暗示する書き方」と記されている。一体いつの間に、と思わずにはいられない。書かれていないことが多すぎて、まったく『源氏物語』は油断ならない。
 だが、よくよく考えてみれば、ここに至るまで藤壺と源氏のあいだに何もなかったはずはない。源氏が心のなかで藤壺を思っているだけならば、あれほど業の深さに恐れおののくことはないだろう。かなり早い段階で、一度は契りを交わしたにちがいない。

葵の上と紫の上

 正妻の葵の上は、ぞんざいな扱いを受けている。早くも桐壺巻で登場するが、内心が軽く説明されるだけだ。初めて葵の上の肉声が聞かれるのはこの若紫巻で、それも皮肉めいたひとことだけである(「問はぬはつらきものにやあらむ」(208頁))。
 一方、紫の上は初登場時に子供らしい言葉を発していて、それを源氏が聞きつけている(「雀の子を犬君が逃しつる。伏籠(ふせご)のうちに籠めたりつるものを」(190頁))。読者は葵の上よりも先に紫の上の声を聞くのである。

明石の上と紫の上

 話題に上るだけだが、明石の上への言及が若紫巻冒頭に置かれていることにも注意したい。明石の上と紫の上という二人の女を対比的に語ろうとする姿勢が感じられる。

六条に行くその手前で

 目立たないが、六条の女君の存在も見え隠れする。源氏は六条京極に行く途中、北山の尼君の夫である故按察使(あぜち)の大納言の家があることを知る。山から京に戻った尼君が孫娘とともに暮らしているのだ。源氏が六条に通おうと思わなければ、紫の上とのその後はなかった(少なくとも難しかった)ことになる。
 この展開には見覚えがある。夕顔との出会いも、六条通いの頃に生じた。夕顔の宿は五条の乳母の西隣であり、やはり六条の手前に位置する。こうした地理的な関係は、心理的な遠近にも通じるのではなかろうか。

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