ブルターニュらしいフランス語の単語~「ブルターニュの光と風」展(SOMPO美術館)から

 先に「「ブルターニュの光と風」展(SOMPO美術館)」という記事を書いたが、そこで触れた「ふだんはあまり見かけないフランス語の単語」について記してみよう。

 会場五階の第一章「ブルターニュの風景 ― 豊饒な海と大地」に、アルフレッド・ギユ(Alfred Guillou)による「コンカルノーの鰯加工場で働く娘たち」(1896年頃 油彩/カンヴァス カンペール美術館)という絵が飾られている。原題は "Les Sardinières à Concarneau" だが、この sardinière が珍しい。イワシを捕ったり加工したりといった営み自体は、とくに珍しくもない。しかし、これをたった一語で言い表すとなると、その必要があるくらいには日常的になっていなければならない。

 イワシを意味する sardine からの類推が働くので、初見でも sardinière の意味は分かる。『ロワイヤル仏和中辞典』で sardinier (sardinière は女性単数形で、sardinier が男性単数形に当たる) を引くと、最初に形容詞として「イワシの、サーディンの」という語義が載っている。ついで名詞として「イワシの漁師[漁民];イワシ缶詰工」という語義があり、この女性複数形が使われていることになる。

 アカデミー・フランセーズのフランス語辞典(Dictionnaire de l'Académie Française)では、この単語は1935年の第8版で初登場する(1878年の第7版では見出し語に存在しない)。第8版での SARDINIER, SARDINIÈRE の項では、やはりまず形容詞として説明され、その後で "Il s'emploie aussi substantivement pour désigner l'Ouvrier, l'ouvrière d'usine qui prépare les sardines. (名詞的にも使用され、イワシを加工する工場の男性労働者や女性労働者を指す)" と定義されている。イワシがブルターニュの生活に根づいていることが、絵のタイトルからも伝わってくる。第9版では "Pêcheur de sardine ; employé d'une sardinerie. (イワシの漁師、イワシ缶詰工場の従業員)" と、少しだけ説明が変わっている。時系列的には、「イワシ漁師」に先立って「イワシ加工場の労働者」という意味があったことになる。漁師の場合はイワシ専門とは限らなかったということだろうか。いずれにせよ、イワシを加工するという仕事が、19世紀後半のブルターニュでは定着していたと考えられる。

 もっと珍しい単語もあった。第三章「新たな眼差し ― 多様な表現の探求」で見かけた vasière である。マキシム・モーフラ(Maxime Maufra)「海岸の泥炭地における黄昏、ロクテュディ」(1898年 油彩/カンヴァス カンペール美術館)の原題 "Crépuscule jaune sur les vasières, Loctudy" に登場するのだが、これを「泥炭地」と訳すのはちょっとやり過ぎではないだろうか。

 『ロワイヤル仏和中辞典』は、vasière の語義として以下の三つを掲げる。「①泥底;(湿地・州(す)などの)軟泥地、泥土 ②海水槽、海水池[塩田に海水を引く時ここに一時貯水し、ごみなどを沈殿させる] ③ムール貝養殖場」 モーフラの絵から判断して、③の「ムール貝養殖場」は違うし、塩田を描いたものでもないので②も当てはまらない。①の「軟泥地」がよいだろう。

 私が出品作の邦題に違和感を覚えたのは、「泥炭地」の「炭」の部分である。これは燃料として使われていたのだろうか。もしそうなら、私の疑問は無知ゆえのものであり、踏み込んで「泥炭地」と訳したのが好判断だった、ということになる。ブルターニュの地質について、詳しい方に教えてほしい。

 なぜ訳語一つにこんなにこだわるかというと、泥炭(フランス語では tourbe ということが多い)を燃料としているかどうかは、その土地の暮らしぶり(はっきり言ってしまえば貧しさ)の指標になると思うからである。

 ちなみに、アカデミー・フランセーズのフランス語辞典には vasière という単語は載っていない。最新版はSの途中までしか進んでおらず、Vで始まる単語は古い版を見るしかない。そこで第8版を探してみたが、それでも vasière は見当たらなかった。プチ・ロベール(Le Petit Robert)だと "1 Endroit, fond vaseux. 2 Premier bassin d'un marais salant où arrive l'eau de mer. 3 Parc à moules." とあり、『ロワイヤル仏和中辞典』の定義と一致している。

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