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あがり症の圧倒的恐怖感には「安心・安全」の土台を作ることが不可欠

圧倒的恐怖の時に身体に起こっていること

あがり症(対人恐怖症、社交不安障害)の方は、自分の恐れるようなことに直面したり、察知したり、予見したり、頭をかすめたりすると、心が反応します。

それも一瞬にして。

スパッ!と下から上へと突き上げるような衝動的恐怖。

誰が名付けたのか、「あがり症」とは天才的なまでにピタッと来る名称です。

本当に緊張のMAX時には、身体の重心が上に行き、バランスが悪くなります。

地に足が着かなくなります。

中には両手足の感覚がなくなったり冷える人もいます。

これは人間の身体機能として、あまりの恐怖を感じた時には最低限心臓にだけ血流を流す温存モードが作動するからです。

しかも、あがり症の方は頭の想像の世界であれやこれやと悩み続けるので、確かに頭でっかちになっているのかもしれません。

実際、あがり症が良くなったり、リラックスできるようになっていくと、重心が下へと移り、重心が腹まで来たときには正に腹が座って安定します。

とは言え、それはそう簡単なことではなく、あがり症の方が自分が恐れる場面に直面した時は、その突き上げる戦慄的な恐怖にたじろぎます。

恐れます。

逃げたくなります。

そうして、緊張、恐怖、不安、動悸、手の震え、声の震え、発汗、顔の歪み、頭の震え、顔がぴくぴくすること、他者の目、他者の思惑、そういったあがり症に付随するものにひたすら注目します。

息を止め、凝視します。

怖い怖いと思いながらも目を背けられない。

それはさながら、日本の恐怖映画の「リング」の貞子が井戸から這い上がってヒタヒタと迫ってくるのを、腰が抜けて後ずさりしながら凝視するかのように。

ヒマラヤの山奥で30メートル先にヒグマを見つけて固唾を飲んでいるかのように。

そして、ピクッとヒグマが動いただけで髪の毛が逆立ちます。

ドキッ!

心臓がバクバクします。

それが自分をギロッと見て向かってきたらもう、息を飲みます。

来た!!!

人は時に、こういった場面で火事場の馬鹿力を発揮したりするものです。

これは、いわゆる闘争―逃走モードと言われる、交感神経が振り切れた状態と言っても過言ではないでしょう。

普通は一生に一回あるかどうかの恐怖場面でしょうから、もちろんその時だけしか発揮できませんが。

あるいは、「凍り付き」状態に入ってピクリとも動けなくなるのが、真っ白になることや腰が抜けた状態です。

火事場のバカ恐怖

これほどのシャレにならない状態なのに、あがり症の症状が悪化していくと、一生に一回どころかそれこそ毎日貞子の影に怯えるようになります。

毎日、ヒグマに遭遇するんじゃないかと気が気でなりません。

気の休まる暇などありません。

肩をすぼめて目を伏せ目がちにキョロキョロ、ビクビクして。

ただただ、貞子がいつ来る貞子がいつ来ると、髪の毛が逆立つかのような恐怖と不安に包まれた日々を過ごします。

このように、あがり症が重くなっていくと、単なる恐怖や不安ではなく、度を越えた火事場の馬鹿恐怖?の日々を送るようになります。

なぜ、そこまでの極度の恐怖や不安を感じてしまうのでしょうか?

あがり症の方は世界を見誤っているのです。

私は異常だ、異常な人間は他者に拒絶される、否定される、排除される、この世界に居場所がなくなる、たがら自分のあがり症は人に知られてはならない、隠さなければならない、失敗してはならないと。

こういったものがあがり症の方が見ている世界です。

なんて危険な世界でしょう、なんて恐ろしい世界でしょう。

世界観を変える

こうして見てみると、あがり症の方が人前で過度に緊張して警戒してしまうのも分からなくはないのではないでしょうか。

だから、あがり症に対する本当の意味での克服法とは、症状そのものへのアプローチだけでは足りないのです。

だって、仮にあがり症の症状がなくなったとしても、自分自身の劣等感や他者に対する警戒感、そしてこの世界への恐怖感が変わってなかったとしたら、次なる警戒の対象をも見つけるでしょう。

たとえそれが真実でなかったとしてもです。

そうしてまた新たな悩みを創り出すのです。

人に嫌われたんじゃないか、自分のこと悪く言ってるんじゃないか、といったような猜疑心に囚われたりするようになります。

ましてや服薬したり話し方のテクニックを身に付けるだけでは、あがり症克服の半分にすら及ばないでしょう。

というか逆効果になることもしばしばです。

服薬している方、あがらないための話し方の練習をしている方、いかがでしょうか?

服薬しながらのあがり症克服は、私はありだと思っていますが、それはあくまでこの生き辛い今を生き延びるためだけのものと割り切る必要があるでしょう。

メインではなく、あくまでもサブの役割で。

薬を万能視すると、薬があれば私は大丈夫という条件付きオッケーになってしまいます。

そんなの雨風を守っていたテントが強風で吹っ飛べば、もろくも崩れ去る幻想の世界の中での克服に過ぎないでしょう。

そうではなく、一つには、この世界への見方を変えていくことが大きなポイントになります。

他者は敵だ、敵ゆえに私を攻撃する、だから私は隙を見せてはならない、だから私は失敗してはならない。

この世界観を切り崩していく。

それこそ様々な発想と方法で。

私は講座やカウンセリングの中で、それらにあらゆる角度から取り組んでいます。

恐怖突入には「安心・安全」を

ちなみに、あなたが見ていたのは本当にヒグマだったのでしょうか?

ワンちゃんだったりなんてことはないですか?

よく見もせず、逃げまくっていては、ヒグマかどうかすら確かめることなく、ワンちゃんの影に怯えるようになるでしょう。

だから、どうしてもあがり症の方には実際の恐怖場面に突入して、ワンちゃんならワンちゃんでも、ヒグマならヒグマで確かめる機会が避けられません。

ただ、確かめるに当たって、むやみやたらに行ってもヒグマに襲われるだけです。

ヒグマに対処するには、恐怖を何とかしようとするのではなく、安心・安全の体制作りが不可欠です。

それは、ヒグマへのきちんとした対処法を学ぶことであり、仲間を作ることであり、ベースキャンプ~居場所を作ることであり、傷付いた時に癒してくれる病院や看護師、医師がいることです。

あなたには何がありますか?

あがり症がむやみやたらに恐怖突入しても、それは傷口に塩を塗ることになりかねません。

安心・安全の土台を作って恐怖に臨む。

それこそがあがり症の克服には必要不可欠なのではないでしょうか。

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