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僕の退職ストーリー その3

<鉄道員最終日>
出勤点呼を済ませ、本日の列車の相方にも、これで最終日なんですよと挨拶。長大9両編成の列車が、最後の仕事の舞台だ。とはいえ、ドア扱いなどの運転扱いは行わない車内改札だけの担当であるし、気が楽な仕事。余裕を持って乗務に臨むことが出来る。
通いなれた道を歩き、駅ホームへ。
昨日一緒に飯を食べたKや、同期のOクンやAクンなど、鉄道員仲間も乗りに来てくれている。
そして次の駅から、エミポンや親父、シャルソン仲間のKさんも。
なかなか賑やかになってきた。
デッキでコッソリと記念撮影してもらったりして思い出を残す。
乗り継ぎ駅の手前、昨日で車内放送をするのはラストだと思っていたが、友人などが乗りに来ていると知った本務の車掌さんが、最後の放送をするか?とマイクを譲ってくれることに。
有難くマイクを握らせてもらうことに。予告もしておいたので、車内でみんな、聞いてくれていることだろう。

乗り継ぎ駅に到着。
後任車掌に引継ぎを行っている間、周りを取り囲むミーハー?な僕のファンw
10人ぐらいが集まってくれていて、めっちゃ写真を撮られる。もうなすがままだ。
まあ一枚ぐらいは良いだろうと、みんなの輪の中に入り、全員敬礼で記念写真も撮影させてもらった。もはやお祭り騒ぎだ。

そのままの流れでお昼ご飯を食べに行く。
この駅に来るときは毎回のように食べていたお気に入りのカレー屋さん、一部は他のお店に流れてもらったが、それでも大混雑。8人ほどで押し掛けさせていただいた。
まあこの後もちょいちょい来ることになるのだが、この時の味わいはまた格別だ。

そして、運輸区への帰り道は便乗なので、もう仕事をすることはない。
帰りの特急の本務の車掌さんは、初めて一緒に乗る若手の子だったが、もうすでに盛り上がっている車内に面食らった様子。乗務員室に乗り込んだ僕にカメラを向けたりと、明らかに普通の乗客とは違う一団だ。実は今日が最終日でね!と、事情を話すと、そうなんですか!こんなに集まってくれて嬉しいですね!と納得してくれる。

発車し、本務の車掌さんは車内改札に旅立つ。そうなるとみんな、もう全力で僕を酒の肴にし始める。
まあ色んな写真を撮られただろう。
エミポンも僕見ている目の前でお酒を呑んだり…
旦那の仕事中の姿を肴にして酒を呑むなど、なかなかできないことだぞ!と苦笑する。
宴会に交じりたいのはやまやまだが、一応まだまだ仕事中。
この後に自分へのお楽しみを用意しているので、もう暫くの辛抱だ。
こんなにも楽しい気分で仕事が出来るのは初めて。
恐らく、今までの会社の歴史上、最大限に仕事を楽しんでいる瞬間かもしれない。

列車はあっという間に、もう間もなく僕が降りる駅へと進んでいく。
実はこの列車の運転士さん、ノンビリ屋さんで名が通っており、この日も順調に?2~3分の遅れで走行していた。
ああ、このまま遅れての到着か?と思いきや、運転停車予定の駅を通過の通告。
お・・・もしや?
次の駅は定刻通過し、どうやらこのまま定時で到着できそう。

本務の車掌さんが放送⇒ICレコーダーで案内放送を流す。するとおもむろに、皆さんに良かったらぜひ声を聞かせてあげてください!とマイクを譲られる。
マイクを握る姿に、車内のみんながどよめく声が聞こえる。
到着までの僅かな時間ということもあり、簡潔な一言だけだったが、本当の僕の鉄道員としての放送をすることができた。

僕はここでみんなをお見送りし、みんなはそのまま1駅先まで乗車して貰うことになっている。専門学校⇒同じ会社で同期となったAクンとOクンもここで下車し、家路につくのだとか。
また、エミポンもここで降りてもらい、僕と一緒にみんなをお見送りした。
長年乗務してきた特急列車が、はじめはゆっくりと、そして足早に目の前を走り去っていく。いつもはサッサと運輸区へと歩いていくのだが、少しは余韻を感じるため、最後のテールランプが消えるまでは見送ってみる。

因みにその後聞いた話だが、降りる駅みんなが本務の車掌さんをお見送りしていたら、通り過ぎ際に軽く挨拶をしてくれたのだとか。

さて、僕は最後の終了点呼に臨む。
昼過ぎの点呼場は静かな落ち着いた雰囲気。ササっと締め切り作業を終えると、点呼場には苦手意識しかない上司が。
報告事項(特になし)を手早く終え、定例なら次勤務確認…となるのだが、僕はもう次の勤務は当然ナシ。
いつもは事務的に仕事をこなす上司が一言、「お疲れさまでした」と声を掛けてくれ、「ありがとうございました!」と答礼。
僕の鉄道員人生はこれで終わりを告げた。

後片付けを済ませ、貸与品などは返却。もうこの職場に入ることはないだろう。
エミポンと共に、僕の到着を待つみんながいる、2次会のパーティー会場へと向かった。

<最後に>
僕はもともと、鉄道業界に入りたくてこの会社に入ったという所もあり、仕事の全てが嫌いになって辞めたわけではありません。
会社の方針の違いや、さまざまな要求されることに対して、「おかしい」「違和感」を抱き続けた結果が、ある意味で人生の転換にもつながったのかもしれません。勿論、「鉄道が好き」という根柢の要素があったからこそ、そういった違和感を抱いたのかなとも思います。

その過程で、「本当にやりたいこと」を追求して考えた結果が、今の生活の基盤である「古民家宿ホニャラノイエ」であり、それを見つけることが出来たのは、とても幸運でした。
これまでの総決算として「好きだった業界」で働けた何かの足跡を強烈に残したい…という思いから、この退職プロジェクト企画をこっそりと思いついたのです。
退職を考える理由は人それぞれでしょうが、もしも何か、あなたが今の職業に対して思い入れがあって働いてきたものであるのなら、ぜひ思い出に残るような何か企画を打ち立てるのはおススメですよ!僕にご相談いただければ、何かしら案が思い浮かぶかも!一緒にぜひ面白いことを考えましょう。

退職を明かすタイミングは、職場の環境によるのですが、なるべくギリギリまで引っ張った方がいいように思います。
あまり早く、管理者等に知れてしまうと、もしも辞めたら困る…と考えられた場合、要職につかせるなどして、辞めづらい環境を作られてしまう可能性もあったりするらしいです。
ただ、逆にギリギリの退職表明は、代替人員の手配が間に合わなかったりなどするでしょうし、会社側も色々と手続等があることもあり、あまりよろしくないとは思います。
ということで、僕としては、これぐらいのタイミングなら…という、3カ月前の退職表明となったわけです。ただ、正式に退職願を提出したのは2カ月前でした。

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